第13話 制度は、人を選ぶ
新しい紙を配っただけで、部屋の空気が変わった。
「……これは、何ですか」
役所の会議室。
長机の向こうで、年配の役人が眉をひそめる。
その声には、警戒と戸惑いが混じっていた。
「標準会計の草案です」
私は、淡々と答えた。
「今後、この領地では――
全ての収支を、この形式で記録します」
紙の上には、これまで使われてきた帳簿とは明らかに違う表が並んでいる。
項目は整理され、数字の流れが一目で分かる構造だ。
だが。
「……分かりにくい」
誰かが、ぽつりと言った。
「今まで通りでは、駄目なのですか」
「慣例が――」
「前の形式の方が、現場には……」
予想通りの反応だった。
私は、否定も肯定もせずに聞いていた。
そして、全員の声が途切れたところで、口を開く。
「全員に、理解してほしいとは思っていません」
ざわ、と空気が揺れる。
「この制度は、“できる人”のためのものです」
露骨な拒絶ではない。
だが、迎合もしない。
「分からない方は、質問してください」
「覚える気がない方は、今まで通りの仕事を続けて構いません」
一人の役人が、思わず声を荒げた。
「それでは、不公平ではありませんか!」
「いいえ」
私は、即答した。
「責任と裁量が、不公平になります」
沈黙。
「この制度を理解し、使える人には、
判断する権限を渡します」
「使えない人には、渡しません」
それだけの話だ。
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会議が終わった後。
部屋を出る人間の背中は、はっきりと二つに分かれていた。
足早に去る者。
紙を手に残り、黙って考え込む者。
ユーリは、後者だった。
「……質問しても、いいですか」
「どうぞ」
彼は、紙を指差す。
「この項目。
“予算”と“実支出”を、並べて書く理由は?」
「差異を、感情ではなく数字で見るためです」
「怒らなくて済む、ということですか」
「はい」
私は、少しだけ頷いた。
「責任を、正しく分けられます」
ユーリは、しばらく考え――
小さく息を吐いた。
「……難しい。でも、面白いです」
その言葉を、私は聞き逃さなかった。
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執務室に戻ると、エドガー辺境伯が待っていた。
「……随分、思い切ったな」
「必要なので」
私は、そう答える。
「全員を抱えたままでは、次に進めません」
エドガーは、少し考え込み――
それから、静かに言った。
「反発は、出る」
「ええ」
「それでも?」
「それでも、です」
私は、視線を逸らさなかった。
彼は、苦笑する。
「……君は、人に厳しい」
「制度に、正直なだけです」
その言葉に、エドガーは何も返さなかった。
否定もしなかった。
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夜。
机に広げた草案を見つめながら、私は一人考える。
(これは、選別だ)
能力ではない。
忠誠でもない。
理解できるかどうか。
(残る人間は、少なくなる)
それは、避けられない。
だが――
(だからこそ、強くなる)
窓の外。
辺境の街は、静かだった。
もう、混乱はない。
だが、平等でもない。
私はペンを取り、草案に一行書き足す。
「――責任と権限は、常に対であること」
制度は、人を救わない。
だが、人を選ぶ。
そして選ばれた人間だけが、
次の段階へ進める。
第2章は、静かに動き始めていた。




