第12話 黒字ではない、再生だ
月末の帳簿を閉じたとき、私は一度だけ深く息を吐いた。
数字は、整っている。
だが、それは“黒字”ではない。
(破綻を回避しただけ)
それでも、この領地にとっては――決定的な違いだった。
「……終わりました」
私の声に、執務室に集まっていた役人たちが顔を上げる。
誰も騒がない。ただ、静かに結果を待っている。
「今月の支払い、全て完了しています」
「来月分の最低運転資金も、確保済みです」
一瞬の沈黙。
それから、誰かが小さく息を吸った。
「……生き延びた、ってことですか」
「ええ」
私は、はっきりと頷いた。
「この領地は、今月で“死ななくなりました”」
それ以上でも、それ以下でもない。
だが、その言葉の重みを、ここにいる全員が理解していた。
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役所を出ると、街の空気が違って見えた。
活気が戻ったわけではない。
人々は、まだ慎重だ。
だが――怯えてはいない。
「給金、きちんと出たな」
「来月も、大丈夫らしいぞ」
小さな会話が、あちこちで交わされている。
(不安が、希望に変わる瞬間は静かだ)
私は、それをよく知っている。
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午後。
エドガー辺境伯との定例報告。
「……正直に言おう」
彼は、帳簿を閉じて言った。
「奇跡だと思っている」
「奇跡ではありません」
私は、即座に否定した。
「不要な支出を止め、
現金の流れを整理し、
決めたことを守っただけです」
「それが、どれほど難しいか……」
エドガーは、苦笑した。
「この領地は、救われたのか?」
「いいえ」
私は、首を横に振る。
「救われてはいません。
ただ、“再生できる状態”になっただけです」
その言葉に、彼はゆっくりと頷いた。
「……だが、それで十分だ」
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その日の夕方。
一通の書簡が、王都から届いた。
正式な命令ではない。
だが、圧力は明確だった。
【辺境伯領における財務処理について、
王室の監査を検討中】
マルセルが、苦々しく言う。
「来たな」
「ええ」
私は、書簡を机に置いた。
「予想より、少し早いですが」
「どうする?」
「変えません」
即答だった。
「ここで揺れれば、全てが崩れます」
私は、帳簿を指で叩く。
「数字は、もうここにある」
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夜。
執務室で、一人考える。
(王都は、権力で縛ろうとする)
だが、ここでは違う。
(ここを動かしているのは、制度だ)
誰かの善意ではない。
誰かの怒りでもない。
守られているのは、契約と信用。
私は、新しい紙を取り出した。
「……標準会計案」
それは、次の段階。
個人の判断に依存しない仕組み。
(王はいらない)
その考えが、自然に浮かんだことに、少しだけ驚く。
(必要なのは――帳簿だ)
窓の外、辺境の街に灯りがともる。
多くはない。だが、消えてはいない。
この領地は、勝っていない。
だが、負けもしなかった。
そして何より――
もう、元の国には戻れない。
私は静かにペンを走らせる。
これは、国家の再生ではない。
**制度の誕生だ。**
そうして、第1章は終わった。
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