第1話 断罪のその日、帳簿は黙っていた
※本作は剣と魔法よりも、帳簿と契約書が活躍します。
派手な復讐や即効性のざまあはありませんが、
数字が積み上がることで、取り返しのつかない差が生まれていきます。
静かな改革と遅れて効く因果応報をお楽しみください。
「――レティシア・ヴァンローゼ。貴様の罪状を読み上げる」
冷え切った大理石の広間に、王太子アルベルト・クラウディウスの声が響いた。
その声には、怒りよりも先に、苛立ちと焦りが滲んでいた。
私は玉座の前で跪いたまま、黙ってそれを聞いていた。
視線を上げなくても分かる。周囲に集まる貴族たちの視線は、好奇と期待と、ほんの少しの安堵で満ちている。
――ああ、これを待っていたのね。
「王室財務局における不正会計。王室予備金への不当な介入。帳簿の改竄。以上をもって、貴様を王室財産横領の罪により断罪する」
広間がざわめいた。
“横領”という言葉は、いつだって分かりやすい。説明も、理解も、不要になる。
私は深く息を吸い、口を開いた。
「殿下。その件につきまして、帳簿をご確認いただければ――」
「不要だ」
言葉を遮ったのは、王太子自身だった。
「貴様はいつもそうだ。数字だの制度だのと、分かりにくい理屈で本質を誤魔化す。だがな、横領は横領だ」
その隣で、伯爵令嬢セシリア・ルノワールが一歩前に出た。
慈愛に満ちた微笑み。けれど、その視線は、私ではなく“正義”の方を見ている。
「難しいことは分かりません。でも……王室のお金を、勝手に動かすのは間違いだと思うんです。善意があったとしても、罪は罪ですわ」
貴族たちが頷いた。
誰もが“分からない”という事実から目を逸らし、理解できる言葉に飛びつく。
私は、手元の書類を静かに差し出した。
「王室会計、過去五年分の収支報告です。臨時支出と不足分の補填、その理由を――」
「もういい」
財務大臣ギルバート・ヴァイスが書類を受け取る。
ちらりと中身を見て、露骨に顔をしかめた。
「専門外だ。ここで扱うには不適切だな」
そう言って、彼は松明に近づき――
帳簿を、投げ込んだ。
ぱち、と乾いた音を立てて、紙が燃え始める。
数字が、インクが、理由が、音もなく崩れていった。
その瞬間、胸の奥で何かが静かに冷えた。
……ああ、そう。
理解しようとすら、しないのね。
「証拠は十分だ。審議の必要はない」
王太子が満足げに頷く。
「判決を言い渡す。レティシア・ヴァンローゼ。貴様を王都より追放し、辺境伯領への左遷を命じる。財産の大半は没収。以後、王都への立ち入りを禁ずる」
死刑ではない。
牢に入れられるわけでもない。
――だからこそ、誰も疑問を持たなかった。
私はゆっくりと頭を下げた。
「……承知いたしました」
その静かな返答が気に障ったのか、アルベルト殿下は眉をひそめる。
セシリアは胸に手を当て、安堵したように息を吐いた。
彼女は本気で信じている。
自分が、正しいことをしたのだと。
(残り九十二日)
私は心の中で、数字を数える。
(王室予備金が底をつくまで)
帳簿は嘘をつかない。
燃やしても、見なかったことにしても、現実は変わらない。
……けれど、この場にいる誰一人として、その事実を理解していなかった。
「連れて行け」
そう言われ、私は立ち上がる。
誰も声をかけない。引き止めない。
広間を出る直前、ふと振り返った。
勝利に酔う王太子。
善意に満ちた令嬢。
そして、数字を理解しない大人たち。
(……もう、間に合わない)
不思議なほど、感情は動かなかった。
ただ一つ、確信していることがある。
この国は、もうすぐ破綻する。
帳簿の上でも、現実でも。
そして私は――その場にいない。
重い扉が閉じ、断罪の儀は終わった。
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