値札のついた神-間宮響子-
最初の異変は、部屋の中にある観葉植物だった。
リビングの隅に置いてあったモンステラが、たった一晩で黒く萎れた。
いままで育てていて、水も光も足りていたはずなのに、葉はまるで焼かれた紙のように縮れていた。
「……おかしいな……」
美咲は困惑した表情で首を傾げながら、その時は原因を深くは考えなかった。
すべての始まりが、三日前に近くのリサイクルショップで買った古い置物だということを、このときはまだ知らない。
それは簡素ながらも細部まで精巧に彫られた木彫りの老婆像だった。
背を丸め、顔は伏せられ、表情は見えない。
値札には「¥1,500」と貼られていた。
一目で気に入ったことに加えて値段が安かった。
それだけの理由で、彼女はそれを家に連れ帰った。
翌日から、部屋は異様に寒くなった。
冬の季節ではあるが暖房を最大にしても、部屋の中で吐く息が白い。
床に足をつけると、真冬のコンクリートのように凍てつくほど冷たい。
なにより夜中、物音がした。
振り向くと、廊下の奥に後ろ姿の老婆が立っていた。
声をかけようとした瞬間、その姿は消えた。
だが翌晩も、その次の晩も老婆はいた。
俯いたまま決して顔を見せず、ゆっくりと家の中を徘徊する。
電化製品が壊れ始めたのは、その頃だ。
テレビ、電子レンジ、スマートフォン。
触れていないのに、内部から叩き潰されたような音を立てて沈黙した。
気づけば、部屋は荒れていた。
ゴミを捨てる気力が湧かない。
掃除をしようとすると、強烈な眠気に襲われる。
床には空きペットボトル、食べ残しの弁当、破れた袋、黒い埃。
まるで――。
誰かが、住みやすい環境を着々と整えているかのようだった。
「……これは、“神格”に近い」
間宮響子は、老婆の置物を見てそう呟いた。
「……神!?、ですか?」
「ええ。ただし、信仰の果てに腐った神」
響子の目には、置物から無数の赤い糸が伸びているのが見えた。
それは家の壁、床、天井、そして――美咲自身に絡みついている。
「この老婆は、人間の“不要なもの”を糧にする。捨てられた物、忘れられた人、役目を終えた命」
響子は低く続けた。
「リサイクルショップは、供物の山です」
その時である。老婆の影が、壁に滲み出た。
そして部屋の温度が一気に下がる。
空気が鳴り、床が湿っぽく軋む。
「出て行け」
老婆の声が、家全体から響いた。
「ここは、もう、わたしの家だ」
響子は一歩も退かなかった。
「いいえ。あなたは“神”ではない。不要とされた神よ」
印を結び、名を呼ぶ。
それは、信仰が断たれ、捨てられ、忘れられた存在にとって――。
最大の呪いだった。
老婆の影が悲鳴を上げ、木彫りの置物は真っ二つに割れた。
数日後。
部屋の寒さは消え、家電も正常に戻った。
ゴミはすべて処分され、床は久しぶりに見えるほどきれいになった。
「もう、大丈夫ですよね?」
美咲の問いに、響子は少しだけ間を置いた。
「ええ。ただし――」
彼女は言葉を選ぶ。
「値札のついた神をお迎えして、二度と家に入れないことです」
帰り際、響子はそのリサイクルショップの前を通った。
店先の棚に、新しい木彫りの置物が並んでいる。
背を丸めた、顔の見えない老婆。
値札は――。
「¥1,000」
少し、安くなっていた。
――(完)――




