RPGで最弱扱いのあれ
それの見た目は水とほぼ変わらない。
水の中に混じっていればそれを見つけられるものはなかった。
だから普段のそれは下水に住んでいた。
人間たちの流す生活排水、そこに含まれる有機物を摂取するだけで生命を維持するには充分だった。
それでも時々は別のものを摂取したくなる。
人間だって栄養は足りても毎日同じ食事では飽きてくるというもの。わずかばかりでも知能を有するそれは味わうということを知っていた。
だからたまに、年に一度か二度ご馳走にありつくことをよしとしていた。
民家への侵入はそれほど難しいことではない。下水管と無縁である家というのは滅多にない。
トイレ、台所、風呂場。
侵入口はいくつもある。
音を立てずに入り込むそれに気付く者はない。
そうやって屋内に侵入してもすぐには行動しない。
その家に何人の人間が住んでいるのか、生活習慣はどうであるのか。それを把握するまでは天井裏や床下にじっと身を潜めている。
理想的なのは独り暮らし。
姿を消してもすぐには気づかれにくい。
また、独り暮らしであれば食事を邪魔されることもない。
それは知能を持っていた。
高い知能ではなかったが、自分の狩りを円滑に進め、食事をゆったり楽しむためにはどうすればいいかを考えるだけのものは持っていた。
侵入するそれに気付くものはいない。
稀に暗がりにいる害虫に行き会うこともあるが、捕食してしまえば済む話であるし、捕食できなかったとしても本命である人間に告げ口するようなこともない。
以前に危うかったのは、暗がりで遭遇した害虫が慌てて逃げ出し、逃げた先で人間に見つかった。それだけならいいのだが、害虫は事もあろうに人間に追われて元の場所、つまりそれが潜んでいる場所に戻ってきてしまった。
そのせいで害虫を追って来た人間に見つかりかけた。
あのときは予定を変更して即食事に移行しなければならないかと焦ったが、なんとか事なきを得た。
そして、その日の入浴時に無事に食事を終えることができた。
それは食事の場として風呂場を好んだ。
理由は色々ある。
まず、風呂場であるならば人は入浴のために全裸になっている。
それは雑食でありその幅はとても広い。有機物のみならず無機物であっても消化可能ではあるが、無機物を食するのはあまり好きではなかった。
その点風呂場なら、余計なものを身に付けずにいてくれる。
また風呂場は密室であるから多少の物音がしても外部に漏れにくい。
獲物はできるだけ素早く仕留めるに限る。無駄に暴れさせてしまうと血流の関係からか味が落ちてしまう。そのことをそれは経験から知っていた。
しかし時には多少抵抗されることもある。
それもさして問題ではなかった。
風呂場であるなら少しばかり血が飛び散ったとしても後始末が楽だった。
獲物が一人で風呂場に入って来たら、シャワーを浴びるなり身体を洗うなり注意力が落ちるのを待つ。そしてゆっくり近づき身体の大きさを広く薄く伸ばし一息に包み込む。
この時絶対的に狙うのは口である。悲鳴などあげられては面倒なことになるからだ。
まず頭部だけ完全に覆うという方法もあるが、以前それを試したところ自由な手足を使って大暴れされた。
全身を覆ってしまえば手足の自由もかなり制限をかけられる。
人一人の全身を覆うだけの面積にまで引き延ばせば当然厚さは保てない。それでも人の力で破られるほどには薄くならずに済んでいた。
包んだ瞬間、獲物は驚き、声をあげようとするが口も覆ってしまうので音は出ない。それからすぐに口内に侵入して呼吸そのものを阻害する。
簡単な方法を目指すのであれば、一撃で首を折ったり、延髄を破壊することもできる。
即死させた後でじっくりと消化するという方法もある。
それはそれで悪くはないのだが、生きている獲物の抵抗を感じながら消化するのが好きだった。
焼いた魚より刺身、それも活け造りがいいという人間の趣向に似ているのかもしれない。
今日の獲物も全身を包んだ瞬間に声を上げようとした。けれど声を出せず、すぐに呼吸が苦しくなって酸素を求めて暴れようとしたが、手足の先まで包まれているので思うように動けなかった。
それが包んで支えていなければ風呂場のタイルの上に転倒していただろう。
暴れる獲物のせいで、薄く引き延ばされたそれは暫く形を一定に保てず、あちらがぼこん、こちらがぼこんと形を変えた。
息苦しさとほぼ同時に獲物が感じるのは痛みだ。
それは獲物を溶かして吸収するが、触れている部分すべてが溶けるわけではない。どの部分を溶かすかを任意で決められた。
どこから食べるかはそのときの気分で決める。
表面からじっくり行くか、内部に入り込んで内側から行くか。
このとき、獲物にとって最悪な選択となるのは、中からか外からかではなく、獲物を生かしたまま食べるかそうでないか、だ。
呼吸を阻害しているために二分ほどで意識を失い抵抗もなくなる。徐々に体温も下がるが、それでも食べている間はまだ温かい。
最後まで活きの良い状態で食べたいなら声は出せぬようにしたまま頸部で気管を切って、それが酸素を取り込む管の代用品を作る。声帯より肺に近い部分に穴を空ければ声を出される心配はない。
僅かにひゅうひゅうという呼吸音が聞こえる程度であり、無論そんな音が聞こえる近場に余人はいない。
呼吸さえ確保してやれば獲物の鮮度は長く保つ。
当然、生きて意識があるのなら、吸収されている間ずっと気も狂わんばかりの激痛に苛まれることになるが、それには関係のないことだった。
包み込んだ肉体が痙攣するのも食事の楽しみの一つであり、その痙攣がどうして齎されたかなどはどうでもいいことだった。
食事の途中で出っ放しになっていたシャワーを止める。
お湯が当たったところでどうということはないが落ち着いて食事をするのには邪魔だった。
二十分程で柔らかい肉の部分をすっかり平らげた。通常の捕食者ならそこで終わりだがそれは最後の最後、骨の一片、髪の毛一本、爪一枚、血液一滴に至るまで喰らい尽くす。
小一時間で獲物の姿は痕跡もなく消え去り、食事に満足したそれだけが残る。
三十分ほどゆったりした後で片付けを始める。
まず浴槽に蓋をした後、風呂場を出て部屋を一巡りする。
照明やエアコン、テレビなどがついていた場合は電源をオフにする。
テレビは風呂に入る前に切っておくのが普通だが稀に忘れたのか故意なのか、電源が入ったままのこともある。
部屋を巡って不自然となる痕跡を消したら、再度風呂場に戻り徹底して清掃する。
そこで何かが行われたと疑われるようなものを残してはならない。
注意深さと丁寧な仕事ぶりのお陰だろうか。今のところそれの存在に気づいている者はいないが慎重に立ち回る必要があった。決して気づかれてはならない。もし見つかってしまえば楽に狩れる獲物が恐ろしい天敵に変貌しかねなかった。
清掃が終わるとそれはまた排水口から下水へと戻っていく。
それの見た目はほぼ水であり、一見しただけで危険生物だと看破できるものはいない。
そして下水管の中に戻ってしまえばそれを捕捉する方法など無いと言って良かった。
上水道下水道を自由気ままに行き来し、また気が向いたらふらりと餌と定めた民家に侵入する。
世間的には犠牲者はただ消えたと認識される。
失踪、行方不明、消えた理由は誰にも分からず、残された者たちが懸命に探しても消えた者が戻ることは二度となく、消えた理由が判明することもない。
決して人間を侮っていたわけではない。
それは常に慎重だった。
けれど知らないこともあった。人間たちの使う道具の進歩に充分についていけていなかった。
だから知らなかった。
空き巣対策などに使われるモーションセンサー付きの監視カメラが安価に出回っていることを。
高画質なカメラならそれの姿もしっかりと映ることを。
カメラはループ録画設定になっており映った映像も放置すればいずれは上書きされる。
部屋の住人が消えたことが判明するのがいつになるのか。データが上書きされる前にカメラの存在に気付く者がいるのか。
それは神のみぞ知る話だった。
物理攻撃無効
強いよね、あれ