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もしも、シャア・アズナブルがRX-78-2を奪取し、一年戦争をジオン軍の勝利に導く事が出来たなら

作者: 唐揚げ

 機動戦士ガンダムGQuuuuuuXは酷い作品だと、私はここに記しておく。

 これは、あくまで私個人の感想である。当然ながら「いいや、名作だ」「傑作だ」と言う人がいるのは理解している。事実、私自身、毎週火曜日には楽しく視聴していたのは否定しない。しかし、そんな「私」に冷や水を浴びせること、すなわち熱意を削ぐようなことを、あえて今、しなければならない。

 まず、本作『ガンダムGQuuuuuuX』がなぜ面白いとされるのかを考えてみたい。それは、株式会社カラーによる創意工夫であったり、過去のキャラクターの再登場など作品への愛であったり、新しいキャラクター造形の魅力であったり――。多様な要素が絡んでいるのは間違いない。

 そして何より大きな要素は、ガンダムオタクなら誰しも一度は妄想する、「もしシャアがガンダムを奪っていたら」という想像が、本作で具体的に描かれている点だ。

 シャア・アズナブルがガンダムを奪取し、さらにホワイトベースを乗っ取る。そして、その結果ジオン軍が勝利する――そんな展開は、ファンなら誰でも一度は夢想したことがあるのではないか。それを実際に映像化してしまった本作は、いわばガンダムオタクの“夢”そのものである。

 言ってしまえば、これは懐古主義的な側面もある。しかし、そうした“昔のファン”をガッツリ捉える戦略が間違っているとは、個人的にも思わない。

 こうして、従来のファンを巻き込みつつ、新しいファン層を獲得し、ファンの新陳代謝を図る――その結果、コンテンツとしての寿命を延ばすことにもつながる。この戦略は、今後のガンダムという作品をつくっていくにあたって、非常に重要な方向性だろう。事実として、『ファーストガンダム』『Ζガンダム』『逆襲のシャア』を観ようとする人々が増えたのは、本作GQuuuuuuXの存在が大きかったと思う。


 ここから、冷や水を浴びせるような形になるが、私が本作に対して抱いている不満を述べていきたい。

まず、キャラクターの思惑が分かりづらい。12話という短い話数の都合上、キャラクターの日常や関係性に尺を割くことができなかった故に仕方ない。しかし、それによってキャラクター同士の関係性があまりにも希薄になってしまっていると感じる。

 たとえば、主人公・アマテの日常において、他の登場人物との絡みがほとんど描かれない。ニャアンとの会話、シュウジとのやり取り――いずれも量が少なく、それゆえ彼らを「大切な友達」だと視聴者が納得するのは難しい。そして、もはや、存在すら忘れられているポメラニアンズ。OPで彼らが「まるで悪の組織」みたいな面してソファに座っているのを見て、どういう顔で見ればいいのかわからない。

「ファンに想像させればいい」「視聴者の解釈に委ねられているんだ」という意見もあるかもしれないが、それは視聴者が口に出して言い言葉ではないと思う。そして、制作者側が安易に口にしてよいものではない。白紙の履歴書には何でも書けるが、それを“公式”がそのまま差し出すのは、無責任ではないか? それでは、無法状態である。

 この問題点が引き起こしているのは、登場人物たちのキャラクターが見えてこないという事態である。

 ニャアンもアマテもシュウジの為にとか、ララァのためにとかを考えている。誰かの為にというのはわかりやすい。ただ、問題は各々の絡みがあまりにもないということだ。

 もっとも、昨今のインターネット文化というのは、そういう“二次創作的共犯性”に満ちているものではある。シイコは強化人間で、ドゥームラサメは生きていて、フタナリなんだ。そして、黒い三連星で今年の夏コミは決まりだ。

 ええ、ガンダムなんて、オタクなんてそんなもんだって?

 それを言ってしまえば、オシマイだろう。

 閑話休題。

 次に私が指摘したい問題点は、本作の面白さが「ライブ感」に依存していることである。

 つまり、毎週放送される中での急展開、予想外の出来事に驚き、興奮しているだけではないか? 突然、ガンダムが出てきたり、黒い三連星が出てきたり、ララァや名前の言えないモビルアーマーだったりが出てきて興奮しているだけではないか?

 果たして、これを来年、再来年、あるいは10年後に、いや、今でもいい。見返したときにも「面白い」と思えるだろうか?

 私は、ないと思う。

 もちろん、一定の面白さは残るだろう。だが、初見での熱量、今と同じ熱量で楽しめるかというと、疑問が残る。それは当然どんな作品でもライブ感こそ楽しめるのは前提としてあるのだけれども。

 そのライブ感の熱が抜けたときに、「名作だ!」と胸を張って言えるか。私は厳しいと思う。それは、12話の勇み足故のキャラクターの関係性の薄さ故の、誰が死んでも何ともショックはない。キャラクターのほとんどは一話退場であるのも、余計とそうだ。

 


 結局のところ、これは「異世界転生もの」「なろう小説的世界観」にガンダムを当てはめただけなのではないか。あるいは“もしもボックス”的な世界観。

 すべて胡蝶の夢で終わってくれたほうが、むしろスッキリするくらいだ。オタクの夢ではある。

 来年、再来年に本作を見返して、本当に「面白い」と思えるのか――そのために、私はこの記録をここに残す。そして、この本文を読んで「いや! GQuuuuuuXは名作だ! 面白いんだ!」と思ったあなたは、是非とも、また、来年も見て、私の感想を読みに来てほしい。


 そして、まるで、触れられていないZZを見てくれ!

なんでこんなものを・・・?

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