#008 旗持ち
幸裂は書類をもって指定された部屋の扉をくぐり抜けた。
中には長い年月を経て滑らかな光沢を放つ木製のデスクと、ファイルの置かれた棚、そして一人の男がいるだけだった。
初老のその男は、薄く疎らになった黒髪に黒縁の眼鏡、緑色の毛糸のベストに革紐のループタイという出で立ちで、上品そうではあったがどこか気弱で頼りない印象を受ける。
「これを渡すよう言われました」
幸裂が頭を下げてから入室し男に近づくと、男もまた立ち上がってこちらに近づいてくる。
男のその足を見て幸裂は静かに目を見開いた。
「話は伺っています。幸裂仰生くん。私は坂東。旗持ちの一人です」
「旗持ち……じゃあ、その足は」
義足をさすりながら坂東は微笑んだ。
「いえいえ。呪いの類ではありませんよ。これは先のグアム占領戦で将校を務めていた折に地雷でやられましてな。何の因果か、今は旗持ちの一人としてこの代理戦争に参加しております」
「そうですか……」
坂東は幸裂を見て目を細めると、何かを感じたのか静かに話を始める。
「慣れておられないでしょうから言っておきますが、私以外の旗持ちは国主以外誰も知りません。私は君たち依代と関わる手前、こうして存在を明らかにしていますが、宮内庁内でも私が何の仕事に従事しているかは知らせておりません。戦争において情報は血より重い。自分の情報も、味方の情報も、誰にも漏らしていけませんよ? とくに……戦争に関与しない者には絶対に」
「筐遺棄……ですね?」
坂東は表情を変えずにこくりと頷いた。
「先ほど外で騒ぎがあったようですが、気を付けることです。ここは普段から普通でないことが常態化した宮内庁ですから、誰も詮索はしませんが、外ではこうはいかない。ルールに背けば、それがたとえ不可抗力であったとしても、超越者は弁明に聞く耳を持ったりはせず、即座にペナルティを課すでしょう」
「肝に銘じておきます」
少年の黒曜石のような瞳を覗き込み、老兵は静かに微笑んで「よろしい」とつぶやくと、再び椅子に腰かけた。
男の静けさと威厳の中に、少年は亡き祖父の面影を見出し、第一印象を改める。「この人は擬態しているだけだ……」と。
「さてと、それでは本題に入るとしよう。鳥居君」
扉に向かって坂東が呼びかけると鳥居を含む依代の面々が部屋に入ってきた。
それを見渡す坂東の顔つきは、もはや幸裂が入室した時とは別人に見えるほどの威厳と覚悟を帯びている。
「君たち野良組の四人は鳥居君の指揮のもと、国内に潜伏している中国チームの殲滅および、彼らが企てている〝ケイオス〟の阻止に当たってもらう」
「ケイオス……」
「そう。勝利条件の一つだ。国民が国家に反旗を翻し、国家転覆に成功すれば条件が達成される。しかし達成できずとも、国をかき乱せば我々の動きは制限される。反乱の芽が大きくなる前に、速やかにこれを摘み取ることが重要になってくるのだよ」
坂東は幸裂の方を向いてそこまで話すと、机の上に置かれたリモコンに手を伸ばした。
天井からスクリーンが下りてきて、そこに一人の女と思しき監視カメラの映像が映し出される。
「彼女が反乱組織〝族長解放戦線〟の首謀者だ。茨城県内にある移民収容区を根城にしていることは分かっている。中国チームはどうやら、彼女に情報や資金援助、武器の支援を行っているらしい……言うまでもないが、彼女はこの戦争のことは知らない。よって断じて戦争の存在を看破されてはならない……」
「国内法に照らし合わせて、警察や軍の介入で何とか出来ないのか?」
鳥居が顔を顰めて言うと、坂東は静かに首を振った。
「すでに打てる手は打った。しかし強襲部隊は誰一人帰ってこない。中国チームの依代が何かしらの呪詛で妨害していると見るのが妥当だろう」
「了解した」
「新たな情報が入り次第、そちらに情報を送るが、期待はしないでくれ。皇尊の威信に賭けて、敵を殲滅、反乱組織を解体せよ。君たちの健闘を祈る」
そう言って坂東は立ち上がると、往年の闘志を瞳に燻ぶらせながら姿勢を正し敬礼した。
その気迫に思わず幸裂を含む野良組達は息を呑んだが、敬礼で応える者は誰もいなかった。
部屋を去る間際、坂東は鳥居を呼び止めて穏やかな笑みを浮かべて言った。
「曲者ぞろいでしょうが、野良組を頼みます」
鳥居は何も答えず頭だけ下げると、静かに部屋を後にした。
ネトコン13参加作品です。
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