#004 幽世での会話
石段を並んで下る二人の間に会話は無い。
人の住む領域をとうに逸脱したこの霊山は、かつては修験道の修行場だったと言われている。
密かに修行を行なった空海が、いまなお暗い洞穴の奥で修業を続けているという———もはや伝説を通り過ぎて怪談に近いような逸話まで残っていた。
多くの人が興味も示さず、わざわざ訪ねるものもいない様な深山ではあったが、足を踏み入れた者はそれらの噂が「あながち嘘ではないかもしれない……」と思うほど、瘴気が深いのは確かで———現に先ほどから熊蝉の声に混じって低い男の声が、どこかで経を読むのが聞こえてくる。
そんな不気味な静寂とも喧騒とも形容しがたい空気を破って、初めに口を開いたのは幸裂の方だった。
「ありがとうございました。祖父の埋葬を手伝っていただいて」
「かまわない。ああするのが、一番の早道だと判断した。むしろよかったのか……? きちんと埋葬してやらなくて」
「はい。祖父はこの山が気に入ってましたから」
「そうか」
それ以上会話は続かなかった。
魑魅魍魎が遠巻きに二人を観察する。
しかし誰もふたりに悪戯を仕掛けようなどとは思わない。
封じてもなお漏れ出すほどの呪いを身に宿した二人に並みの怪異は近づかない。
それは知性の宿らない山ノ怪の類も例外ではなく、肉体を失ってなお魂魄を強く縛り続ける〝畏れ〟のなせる業なのかもしれない。
改めて自分と同等、あるいはそれ以上の呪いを宿す鳥居に対して幸裂は興味が湧いた。
横目で観察していると「なんだ?」と目を細められたので、幸裂は素直に答えることにした。
「鳥居さんの呪いもえげつないですね」
「ああ。最低最悪の代物だ」
「鳥居さんも解呪が目的ですか?」
「そうだ。一族の悲願でもある。と言っても、お前のところのように、一つの血筋に執着するような呪いではないが……」
「はは……なんでも知ってるんですね。俺の事。他の依代もみんな解呪が目的なんですか?」
「何も知らんさ。調べて分かったことは多くない。他の依代だが、目的はそれぞれだ。この世には呪いを積極的に使う人間もいる。それと、自分の呪いのことを他人に話すな。仲間の依代にもだ」
不意に足を止めた鳥居から、数段下がった位置で幸裂も足を止め振り返る。
「それはどういう……?」
太陽が入道雲の陰に隠れて、あたりは鬱蒼と生い茂る森の闇と同じ濃度に包まれた。
一斉に現れた幻蟲達がその中を泳ぎまわったが、二人の周囲にだけは相変わらず何者も近づこうとはしない。
「情報は生命線だ。外部に漏れれば容易く命を失うことになる。いや……もっと悲惨なことにもなりかねない」
そう言って鳥居は懐に手を差し入れ、巻物のようなものを取り出した。
「幸いここには人がいない。それを読んでも差し支えないだろう。この代理戦争のルールが書いてある。質問するのは構わないが書いてあるルールが全てだ。解釈の仕方も、どうやってそれが起こるのかもわからない。確実に言えるのは、ルールを破れば必ず罰が下るということ、それだけだ」
幸裂は素早くその紙に書かれたルールに目を走らせた。
そしてその中から一つの言葉を見つけて静かに目を見開く。
「筐遺棄……これがもっと悲惨なこと……」
「そうだ。察するにただ封印され、忘れ去られるだけでは済まないだろう。それに……」
「それに?」
「いや……なんでもない。今話しても詮無い事だ。時間を食った。少し急ぐぞ」
そう言って鳥居は駆け出すと、幸裂の手から巻物を取り上げ懐に仕舞った。
はぐらかされた内容に思いを馳せながら、少年もまた男の背中を追って駆け出した。