~魔女の根城~北方戦線①
アリアが街を案内してくれるという。
これも魔法なのだろうか――どこからか松明を取り出すと、ゆっくりと桜の前を歩き始めた。
「元族長の家までご案内します。そこで我々と、我々の世界の話をさせていただきます」
歩いているあいだ、桜はしきりに辺りを見回した。
街は荒廃していた。
コンクリートの家々は瓦解し、鉄筋が露出している建物が目立つ。他にも瓦礫が積み重なった場所や、焼け焦げた跡がそこかしこに散見されている。
「紛争地域みたい……」
ぼそこりと桜がこぼすと、アリアがそれに反応した。
「ここは戦場ですから」
「戦場?」
「ええ。ここからさらに北に進むと、北方領土を代表する王都があります。比べて、我々が今いる場所は北方領土の入り口……。外部の戦力ともっとも鉢合わせしやすい場所と言えます」
「つまりここは、王都に敵を侵入させないための地域ってこと……?」
「おっしゃる通りです。我々エルフは、哨戒班としてこの地域に駐屯しています。あなた様がご覧になっているこの光景は、外部の戦力と交戦した痕跡というわけです」
「……あなたたちが、戦ってるの?」
「ええ」
「なんのために」
「……生きるためです」
前を歩いているアリアの表情は見えない。
だが桜には、「生きるため」というその一言だけでは表せない激情が、アリアの言葉の裏に隠されている気がしてならなかった。
「……失礼ですが、私からも一つよろしいでしょうか」
アリアが、視線は前に向けたまま桜に話しかけた。
「あなた様を、なんとお呼びすればよろしいでしょうか」
「呼び方ですか? 私はカリン・サクラです。お好きに呼んでください」
「カリンサクラ……。そうですね……では、リン様でいかがでしょうか?」
「リン……? ああ、花梨のリンね。くすっ、その呼ばれ方は初めてかも」
「ご不満ですか?」
「いいえ。気に入りました」
「ならよかったです。それと、私に対する敬語はおやめください」
「どうして?」
「あなたは我々の救世主となられるお方です。それが我々に敬語を使っていては、格好がつきません」
「……その救世主って、どうやったらなれるの?」
セレスもアリアも、「救ってくれ」とリンに言った。
しかし、三十年以上ものあいだ、魔法も戦いもない平和な世界で育ったリンには、まだこの世界でなにを成せばいいのか想像もつかない。
「じきに分かります。自覚があろうとなかろうと、リン様は特別なお方なのです。
さあ、付きましたよ。ようこそ――魔女の根城へ」
案内されたのは、柵で囲まれた大きな洋館だった。
☆
リンは驚いた。
辺りの建物がほとんど廃墟と化している中、この建物だけが、老朽化を覗けば綺麗な原型をとどめているからだ。窓からはぽつぽつと明かりが漏れ、生活感のある物音と声が中から響いている。
リンの言いたいことを察してか、アリアが口を開いた。
「ここは北方戦線のなかでも一番安全な場所にあります。……というより、ここに住んでいる我々が安全にしている、という言い方が正しいでしょうか。結界を貼っているので、魔法に長けていない人間では視認することすらできないのです」
「魔法に長けているって……。私も魔法、使えないんだけど」
「自覚されていないだけです。リン様は南の賢者の権益を通ってこの世界に来られました。その時点で、魔力に不自由しないほどの適正が見込まれている、ということです。三年も魔法を学ばれれば、リン様はきっと、私なんかよりよっぽど強い魔法使いになられる」
アリアはどこか遠い目をしていた。
それは自分とリンとの間に、一線を引いているような視線だった。
「話がそれましたね。中へご案内します」
アリアは咳払いをすると、扉の前に立った。
彼女は左手で軽くノックしてから口を開く。
「戻りました。異界の巫女も一緒です」
すると、ギィィと音を立てて扉が開いた。
中はエントランスのようだった。大きな木の机に、丸太を切り取ったような椅子。
ほかにも使い古された木製の家具が散見している。部屋の隅々には、明るい光源があった。
松明の明かりとも、電球の明かりとも違う暖かい色だ。これもなにかの魔法なのだろう。
部屋の中央には、ボロい洋服を着た子どもたちが机を中心に円を描くように何人も待機していて、リンを見ると一斉に頭を下げた。
「「「ようこそいらっしゃいました!!!」」」
年はみんな小学生ほどだろうか。今のリンと同じくらいの背丈と声色だ。
男女まんべんなくばらけていて、髪色や体格こそ違うが耳が尖っている。
そう考えると、高校生くらいまで発育しているアリアは年長な部類なのだろう。
「エルフの子どもたちです」
「……こんな子どもたちまで、最前線に?」
「ええ。この子らの親は王都で奴隷に。若い世代は戦力として前線に放りこまれるわけです」
「……」
なんとなく、リンにも分かってきた。
魔法という強大な力。
耳という身体的特徴のあるエルフ。
そして前線で戦わされる子どもたち。
「……差別の対象になっているのね。あなたたちエルフは」
「ええ。ですので、魔族と」
リンはなんだか、無性に怒りがわいた。
「……アリア」
「はい」
「教えて。私はこの子たちのために……あなたのために、何をすればいい?」
補足
リンは元中学教師です。
咲久との結婚を期に退職しましたが、今でも自分が担任を務めていたクラスのことを思って卒業アルバムをしきりに見返すほどに、子どもと、「子どもの成長とその過程」がなによりも好きでした。