第四一話 オークの覚悟と辺境伯の楽観視
「首領殿、予定していた棍棒四○○本が無事全員の手に渡りました。しかし部隊の練度は低く、十分な訓練を受けたのは全体の二割強に過ぎません。それどころか、一切訓練を受けていないものも同程度おります。やはり明日決行するというのは時期尚早ではありませんか? それに以前お伝えした通り、例の悪魔の姿が見えません。やはり戦争から手を引くべきだと思います」
オークの首領に対し、側近がオーク軍の悲惨な現状を説明し、そして明日に控えた開戦を遅らせるどころか戦争自体を止めさせようと説得する。
ここはアルト大森林北東部に位置し、森と外との境界線は目と鼻の先だ。
時間は夕方、都市はまだ少し明るいが、森林内部は木々に覆われているため暗くなってきていた。付近ではオークの戦闘員、数にして約四○○が最後の訓練をしており、そのうちのほとんどが見たこともない人間との戦闘をどう勝ち抜くか真剣に模索している。
そんな彼らを見つめながら、少し離れたところで首領たるオークが側近に言う。
「できることなら俺ももう少し遅らせたいし、そもそも戦争はしたくない。お前の言い分はよくわかっている。だが俺たちは戦うと決めた時、住処の食糧を全部取ってきてしまった。今やめれば皆飢え死にしてしまう、そうだろう?」
「もう、後には引けないということですか……」
「そうだ。だから……人間から食糧と住処を奪わなければならない」
オークたちの表情は暗い。
「……わかりました。エルフたちとの戦いで培った戦術を用意していますが、それは森林での戦闘に特化したものです。人間の住処で人間相手にかなうのでしょうか?」
「わからない。だが、エルフと人間は姿がよく似ている。そう言ったらエルフたちが怒るだろうが、それは事実だ。だから、彼らは戦い方も似ていると信じるしかないだろう」
「了解しました。南方に向かわせていた一部の部隊も今晩帰還します。明日には全部隊を展開できる予定です」
「そうか……。よし、お前たち! 今日はここまでだ! 明日に備えてゆっくり休め!」
首領のオークが戦闘訓練をしているオーク達にそう言うと、彼らは皆手を止める。
そして、口々に不安の声を漏らした。この程度で大丈夫なのだろうかと。
「心配はするな! 相手は人間、あのような小さき存在には負けん!」
オークの首領はそう言ったが、本当なのだろうかと考える者は決して少なくなかった。偵察に行った部隊や森の近くを警備していた者は、人間相手に五分五分の勝率といったところだ。森林の近くの戦いでその結果だというのに、人間たちが普段から生活している街の中では圧倒的に劣勢となってしまわないだろうか。
明日攻める北の都市へ、以前偵察として向かったオークたち曰く、人間はかなり強いと伝えられてもいた。
不安の種はいくらでもある。しかしながら何よりも、あの悪魔と戦うよりはよっぽどマシだろうという考えが彼らの背中を押している。その悪魔の姿が消えたと言う話は、勿論聞かされていなかったために知らない。
その後、新兵たちは家族の元へと戻って行き、大切な時間を過ごすのだった。
「そういえば首領殿、偵察の者から〝森の近くに落ちていた〟とこれを受け取っています」
そう言った側近のオークは、首領に布の包みを渡す。
「中身は?」
「確認していません」
「そうか…………ん!? これは……」
オークの首領は驚いている様子だ。
「我々の仲間の……牙でしょうか?」
「そうだろうな。だが一体何故、いや誰が……」
「このような綺麗な布を用意できるとなると、人間かエルフだと思います。ですが、森の外に落ちていたとなると……」
「人間か……」
首領の掌の上には三本の大きな白い牙があった。それは少女が届けたものだが、オークたちにはそんなことなど知る由もない。
「エルフたちとは違って俺たちを貶さずに、戦士として認めてくれたのか……。すまないな、人間。ここまでしてくれる者たちを襲わなければならないなんて……」
側近のオークは無言で首領を見つめる。
「ああ、忘れろ……忘れてくれ。同情はしない。……だが、武器を持たない人間は攻撃するなと、明日伝えよう」
「ええ。それがいいかと思います」
そして首領とその側近も、それぞれの家族のもとへと帰って行く。
一方その頃、冒険者組合の報告から大規模なオーク軍が北方に集結しているというのは明らかであったが、ヒューエンドルフ辺境伯マインラート・フラム・ローデンヴァルトやその部下たちには危機感が欠如しているようだ。
「五体のオーク共がやってきたときは数人の冒険者が片付けたと聞いた。その程度の者共が倒せる相手など、造作もなかろう。それに市民は酷く恐れていたようだ。我が息子の策はうまく行きそうだな」
ヒューエンドルフ城内の煌びやかな部屋の一室にて辺境伯がそう言うと、息子のホルストがニヤリと笑う。
「オークの数は推定千体、棍棒を手にしていたのが全体のおおよそ三割程度で、最低でも三百体は戦闘に参加すると見積もられます。ですが現在この都市にいる騎士は数十人、せめて冒険者を雇うべきではありませんか?」
フーベルト・フラム・レオポルト男爵が、自身の意見をはっきりと述べる。
「我々の実力を侮ってもらっては困りますな、男爵殿。かつての農民の反乱を思い出してください。たった四人の騎士で、千人ほどの農民の首を刎ね飛ばしたではありませんか」
会議に参加していた騎士隊長がそう言った。
「そうだぞ男爵。騎士たちの誇りを貶すようなことは言うな」
ホルストが続く。
「はっ。失礼した騎士隊長、悪く言うつもりは無かった」
「いえ、気にしておりませんとも」
彼が気にしているというのは、その顔で誰もが察せる。
「ところで閣下、冒険者共には戦わないよう忠告されましたか?」
騎士隊長が質問する。
「当然だ。奴ら、他の街から勝手に冒険者を連れてきているようだが、もちろん手柄を上げさせるつもりは無い。あとはお前たちが、市民を襲う悪逆非道なオーク共を殺すだけだ」
「それは、とても楽しみですな」
皆笑っているが、男爵だけはそうでなかった。
辺境伯たちは門を突破したオークが簡単に撃破されたと考えている。しかしながら森林付近では冒険者側の敗北も多い。
亜人との戦闘に慣れている冒険者たちでさえ苦戦するという敵を退けるなど、騎士たちにできるはずがないと冷静に考えていた。騎士は対人戦に強いが、それ以外の存在との戦闘は経験すらないだろう。
それにも関わらず勝てると豪語する騎士たちと、何事にも無頓着で金を使いたがらない辺境伯、そしてその親族全員に対し、男爵は明らかな怒りを覚えていた。
このままでは民の生活が危ないと、そして新しい指導者が必要だと、彼はそう思うのだった。




