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『夏の日の妄想』

作者: 游月 昭

『夏の日の妄想』



 根元が踏み固められると、桜は寿命が縮まるらしい。ソメイヨシノの寿命60年説は花見客によるイジメが原因、そんな事を桜の並木道を歩きながら考えていると、

(今俺はどこに向かっているんだ?)

 用事をわすれてしまい、

(とりあえず自販機)

 冷たい飲み物が欲しい事に気づく。

(ベンダーとラベンダーに何か関係があるか?)

 我ながら下らない思いつきだが、綴りを調べるためにスマホを取り出し、サファリを開く。

(歩きスマホ)

 一旦は立ち止まるが、お盆の連休の町は閑散としていて誰が通るわけでもなく、路地を視界に入れて歩けば危険は無いと、また歩き出す。結果、ベンダーとラベンダーには何ら関係は無く、綴りも違う。ベンダーはベンディングマシーンの事らしいが、今更自販機の事をベンディングマシーンともベンダーとも呼ぶ気はないので、どうでもいい事ではある。

(有った)

 自販機、略語が嫌いな私は本当は自動販売機と言いたいのだが、そこまで世間に反抗しなくてもいいかとも思う。

(炭酸でやわらかい喉ごしで)

 小銭をポケットから探り出して投入。指を右へ左へと動かしながら、別に指を差さなくともと手を下ろし、目を動かし、幾分ロボットの動きを真似ながら、首をガツンと止めまた動かす。人が見ていないかとさり気なく辺りの様子を伺いながら、また、あまり長く自販機の前に居ると、優柔不断な男だと思われるのも癪なので、以前にも買った事がある、炭酸入りのヨーグルト飲料のボタンを押した。そして軽度の虚しさを覚えた。これは自分の意思で選んだ物なのか、それとも社会に影響されて意に反する行動をとってしまった結果に手に入れた、自分に似つかわしくない物なのか。どちらにしても買った物は飲む他はない。

(えっと)

 缶を開けるためにスマホをポケットに仕舞う。

(他に)

 開けてもまた閉められる瓶の物は無かったのかと自販機を振り返る。しかし今更買い替えは出来ない。諦めてリングプルを引きながら腰を引こうとしたが思いとどまった。缶に結露する水滴に指が濡れているのが分かる。それだけなら良い。今開ければ液体が吹き出して手がベタベタになる。腰を引いたって服にしぶきがかかるかもしれない。この先手を洗える場所があるとは思えない。

(買わなきゃ良かった)

 炎天下の舗道を、缶を持った三本の指先だけを冷やしながら歩く。暑さと自己嫌悪のために自分の顔がだらしない顔になっているだろう事にふと気づいて、背筋を伸ばし、眉を上げ、この暑さにさえ負けない自分である事をアピールしてみる。

(誰に?)

 誰でもない。誰も私の事など見ているはずがない。子供の頃からそうだった。“カッコいいアキラ君”を教室の扉の陰から見ている女子など、ただの一人として居なかったのだ。不自然に伸ばされた背筋は逆に滑稽だろう。いやそれにさえ誰も気づくことはないだろう。ゆっくりと元の姿勢に戻し、どこへ行こうかと考える。

(川崎!いや、女を取っ替え引っ替えするイケメン野郎がこの連休中に一人で部屋に居る筈もない)

 電話で確認する気も起こらない。

(坂本は?アイツなら……ああ、ダメだ実家に帰るって言ってた)

 残るは綾ちゃんだが、同じモテない者同士デートっていうのも悪くない。しかし、もし彼女に電話をして、

「今、彼氏と海に来てるのー」

 などという事になれば、私はモテナイビトの王としてとてつもない孤独の栄光を噛みしめる事になる。

(綾ちゃんは真っ先に自慢の電話をしてくるだろう)

 そのはずだ。4人いたモテナイビト仲間として会社帰りによく飲みに行った仲だ。山崎が一抜け、幸っちゃんが二抜けし、

「恋人が出来たら真っ先に言ってよ」

 と言ったのは綾ちゃんの方だ。

(よし!)

 私は綾ちゃんのアパートに向かって足早に歩く。電話はしない。

(サプライズだ)

 だとしたら花束くらい持って行くのも良い。しかし妙に感動して、

「嬉しい!そうだったのね、私も!」

 勘違いされてはこまる。

(しかし胸は大きいぞ)

 そんな事を考えてしまうのはこの暑さのせいだろうか、あるいは若干の恋心が、

(無いなぁ、うん)

 冷え切った指先の存在を思い出し、そろそろ缶を開ける事にした。信号機のボックスなのか、金属の箱の上に缶を置き、リングを恐る恐る引く。微かにジュワジュワとした音が聞こえ、小さなしぶきが見える。その先に彼女のアパートがある。

(信号を渡るか、それとも引き返すか)

 しぶきが上がるのをしばらく見ていて、何かセンチメンタルな気分になってきたところで、背後から声がかかる。

「アキラ君!何してんの?こんな所で」

「は?」

 不意を突かれて言葉を失い、事もあろうに、

「綾ちゃん、彼氏出来た?」

 と挙動不審な態度で訊いてしまう。彼氏が居ないから自宅周辺をうろついている筈なのにだ。

「え?何で?いないよ」

 彼女はどこか恥ずかしそうで嬉しそうで、私が次の言葉を選ぶのにも失敗し、

「そっか」

 などと微笑んで言ったものだから、彼女の頬が間違ってみるみるピンク色に変わって行く。

「あ、ごめん、俺」

 慌てた私の耳が激しく発火していくのが分かる。逃れられない事態になっている。どう考えても、告白の後の二人状態だ。気まずい二人はそれぞれうつむき、相手の次の動きを探っている。

「ねえ、私の部屋に、来る?すぐそこだから」

 彼女の声が微かに震えている。私はいつもの平静を取り戻そうと正直に言った。

「知ってるよ、綾ちゃん居るかなと思って。」

 二人の境界線が曖昧になって行くのがハッキリと分かる。彼女を友達と思っていた私がいつのまにかトキメキライン上に居て、そして彼女もまたその線上で私と向かい合っている。

「居るよ、居る居る」

 嬉しそうな彼女の笑顔は今まで私に向けられたものとは全く違う煌びやかなものだった。私は彼女に一瞬で恋をした。彼女も同じに違いない。私は吹き出してくる涙をこらえることが出来ず、その恥ずかしさのあまり、彼女に向けて笑顔で両腕を広げた。

「アキラ君!」

 彼女は私の胸に飛び込んできた。そして彼女は涙声で言った。

「私、彼氏出来たよ」

「うん、俺も彼女が出来た」

 

 


(終わり)

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