意外と積みこめる自転車
夜道は物騒、ということは概ねの人が納得すると思う。大体の怖い話が深夜や、夕刻から夜の帳が落ち始める頃ということは、多くの人が知ることだ。
それは、一般の人達からは視えない連中が元気良く闊歩し始める時間帯ということもあるが、何より人間の視覚が太陽の元で生活することに適応的に発達したことで、暗い場所では取得できる情報量が大きく減少することも関係してくるだろう。
佐伯の場合、うじゃうじゃ闊歩してる連中はともかく、変な人間に襲われることの方が怖い。
ここまで説明して、ようやく佐伯は俺が車で彼女を送っていくということを受け入れた。もうちょい、早く折れてくれても良かったんだけど。
「そんなに心配してくれなくても、普段のバイトはこれよりも遅い時間になることもあるのだが……」
「もう一回、一から説明した方がいい?」
なんなら、侑芽も呼んできて。
その次は母さんかなあ。
「悪い、世話になる」
別にそんなに手間じゃないから、そこまで申し訳なさそうにする必要はない。元はと言えば、俺が口裂け女の対処をして貰ったのが始まりだし、夕飯に関しては侑芽がごり押した。
佐伯の気が変わる前に、自転車をさっさと我が家の車に押し込んでエンジンをかける。
「加奈さん、またきてくださいねー。 なんなら、卓也がいないときでも、むしろ卓也抜きで、卓也の存在がなくてもいい」
「お前、俺に怨みかなんかある?」
「あ……あはははは。 うん、また、″これ″のいないときにね」
何はともあれ、めちゃくちゃ佐伯のことを気に入ったらしい我が妹が律儀に玄関から出てきてまで手をブンブン振るのに、佐伯は手を振り返す。
少し年季の入った自家用車は、ブオオンと大きな鳴き声を上げた。
さて。
「伊豆野、本当に悪いな」
「あれ? 俺は″これ″って名前じゃなかったでしたっけ?」
送られることを気にしているらしい助手席に座っている女は、そうやって謝ってきたので話題を反らす。そうしないと絶対こいつ、ずっと謝り続けるし。
「う…………もしかして、″それ″の方が良かったか?」
そういうこっちゃじゃねえんだわ。
「だが、″これ″も捨てたもんじゃないぞ。 英語にしたときは、Thisだ。 もちろん、″それ″には負けるが……」
「俺は別に、ThisかItのかっこ良さを気にしてる訳じゃないんだわ」
「冗談だ。 卓也」
しれっと呼ばれた俺の名前。頑なに呼ばれなかったから、心配していたことがあったのだ。
「よかった……名前忘れられてなかった」
「おい、そんなことある訳ないだろ。 というか、そっちこそどうなんだ」
「えーと…………」
「おい、まさかお前!」
暴れちゃダメですよお姉さん。ほらー、シートベルトがガクってなってますよ?
「ほれ、そろそろ動くから普通に座りなさいよ、加奈」
「……………」
「………………」
無言。
少々やかましいエンジンが車内を占領する。
うん。
なんとなくいいたいことはわかる。
「私たち、微妙に気恥ずかしい会話をしてなかったか、今」
言語化しないで、恥ずかしさが増すから。
結局その後、なんとなく下の名前呼びでの会話は佐伯宅に到着するまで続いた。
その次に、佐伯が俺の家に来たときは、お互いに下の名前で呼ぶことが習慣になったりしたのは、また別のお話だ。