烏屋書店②「開店」
寝ぐせの酷いアリスを洗面所に行かせ、いつも通り髪を下ろさせた後に、店内に3人が揃った。
よくよく考えれば、寝ぐせがひどいのは真浩も同じなのでは、と鋭い視線がアリスから向けられる。
しかし全く意に介さず、真浩は朝礼のごとく話し始めた。
「さて、開店まであと10分だ。今日からマチ子がうちの従業員として加わるわけだが」
「はい……!」
意気込んではいるマチ子だが、やはり緊張はあった。見知らぬ土地で即戦力として働かせられるのだから、無理もない。
「まあ、そのなんだ。そんなに気を張らなくていいぞ。お前にやってもらう仕事は大きく2つだ」
「2つ……なんでしょう」
真浩が指を1つ立てる。マチ子の視界端で、アリスが欠伸をしているのが見えた。
「まずひとつは、店内の掃除だ。もちろんアリスはやらないがな」
「頼んだわよ、マチ子ちゃん♪」
「あはは……」
別に掃除が嫌というわけでもないし、むしろ任されたことに対して嬉しいとすら思っている。
しかし自信満々にウィンクを送るアリスに、マチ子は苦笑を返すことしかできなかった。
「それで、もうひとつの仕事は更に大事なことだ。これがこの店で最も重要な仕事になる」
マチ子の前でしゃがみ、目線を合わせる。真浩の表情はほぐれていたが、緊張しているマチ子にとってそれは安堵するには足りない笑みだった。
「そ、そんな大変なこと……私に任せていいんですか……!?」
「ああ、何ならお前が一番適任だ。お前を働かせるといった理由のひとつでもある」
真浩とアリスが絶対の信頼を視線に宿してマチ子に向ける。必死で思考を巡らし、自分に適したものとは何か、自分の得意分野とは何かを考えたが、焦った思考回路は答えを生み出すことができない。
「えと……えと……何でしょうか……」
「接客だ」
「へ……?」
真浩が再び立ち上がり、入口の扉へと向かう。店の外では車の通りも多くなってきているようだ。対向車線ではバスが止まっていた。
「この辺は特にじいさんばあさんが多くてな。世間話に付き合ったり昔話を聞いてやるだけで良い」
「そ、それだけですか……?」
「ああ。まあ本の場所とかおすすめの本とか聞かれたら適当に返しとけ。分からなかったら聞け」
扉を開き、開け放しにする。そよそよと涼しい風が店内に入り込み、視覚で感じていた朝の訪れを、全身で感じ始める。
書店を横切る通行人に、真浩が会釈をする。御覧の通りと言わんばかりの表情で、アリスがクスリと笑う。
「まひろじゃ子どもは怖くて泣いちゃうし、年配の人もなんか近寄りがたいのよ」
「なるほど……」
「あたしも【住人】として仕事があるし、こういうのに向いてる人材をちょっと探してたのよね~」
「ほれ、来てみろマチ子」
言われるがままに、店の外へと出る。続いてアリスも、本の並んだワゴンを押しながら店の外へと出る。
それは、昨日まで知らない街の光景だった。
知らない人が歩いていて、知らない建物が建っていて、知らない人の視線を感じる知らない場所。
「わ、ぁ……」
それなのに今は、目に見える全てに安心できた。
同じ街の住民として、生活している人がいて、街のシンボルとしてこの書店が、八百屋が、鮮魚店が建っていて。
(この本屋さんに来れたおかげで……私もこの街の住民だって、思えてる……)
マチ子の頬が、自然と緩んだ。
「おや烏屋さん、その子は?」
「ああ、新入りだ」
隣の八百屋から、腰の曲がった年配の女性が現れる。マチ子を見るなり、柔らかな笑みを見せた。
「わたしゃ土田タヱっていうの。よろしくね」
「私は……」
マッチ売りの少女と言いかけて、思い出す。
こう名乗って良いんだ。また、自然と頬が緩んだ。
「マチ子、って言います」