烏屋書店①「準備中」
朝日が昇り、カーテンから陽光が漏れて部屋を照らす。温かな空気に目を覚まし、マチ子は布団の上で目を擦った。
「ん~……」
大きく伸びをし、一息吐く。少しずつ覚醒していく意識の中で、見慣れない和室にいることを自覚した。
畳の匂いが鼻孔をくすぐる。布団の柔らかさが体を包み込む。目に見えるもの全てが、新鮮だった。
体を起こして、辺りを見回す。
(本当に、今日からここで働かせてもらえるんだ……)
昨日は緊張もあり、部屋をしっかりと見ることはしていなかった。しかし一度落ち着いて頭を整理すると、景色は変わって見えた。
真浩のこと、アリスのこと。少しずつではあるが、人となりを知ることができた。記憶がないながらも、自分のことを理解してもらえた。作中では一夜を明かすことすらままならなかった彼女からすれば、誰かの傍で朝を迎えることは、何よりも特別な意味を持った。
隣でまだ寝ているアリスを眺めながら、頬を緩ませる。
(寝顔は、やっぱり子どもだ……)
起こさないようにそっと立ち上がり、マチ子は部屋を出た。
「お、マチ子。もう起きたのか」
廊下に出ると、階段を下りてくる真浩と鉢合わせた。寝ぐせであっちこっちへ向いている髪を搔きながら、今日も面倒くさそうにしている。
「あ、真浩さん。おはようございます」
深々とお辞儀をすると、真浩がマチ子の頭をぽん、と撫でる。
「散々歩き回って疲れてんだろ。まだ寝てていいぞ。それでも目が覚めたってんなら、売り場の本棚見て配置くらいは把握しとけ」
「あっ、はい! 分かりました!」
真浩が先に、軋む廊下を歩き、暖簾の向こうの書店スペースへ向かう。マチ子もそれに続こうとしたが、一度踵を返して洗面所へ向かった。
(顔を洗って、ちゃんと目を覚まそう)
顔を洗っているうちに、暖簾の向こうからカタカタと何かを叩く音が響いてくる。
「……?」
タオルで顔を拭き、しっかりと目を覚ましたところで、マチ子も暖簾をくぐる。
「よう、結局起きることにしたんだな」
「あ、はい。せっかく働かせていただけるので、私が怠けるわけにもいきませんから」
マチ子の方を振りむくこともせず、真浩は二つ折りの何かを叩き続けている。それは、マチ子には見覚えのないものだった。
「売り場の本は自由に読んでいいぞ。ただし、読んだ後は元の場所に戻せ」
「はい。えっと……真浩さんは、何をしているんですか?」
「ああ……そういや【住人】はパソコン知らねえんだったな……面倒くせえ」
「ぱそ……こん……」
真浩がカウンター上のノートパソコン画面をマチ子の方に向ける。液晶画面すら初めて見るマチ子にとって、興味深いと同時に、少し近寄りがたいものがあった。
「発注、通販、売り上げの計算……つまりは仕事に関わるものはほぼすべてこれで出来る」
「えぇっ!? す、すごい……こんな薄いのに……」
「開店する前に確認しておかなきゃいけないことやら、やっておかなきゃならねえ仕事があるもんでな。ちょっと集中する」
画面を自分の方向へと戻し、またキーボードを打ち始める。真浩の真剣な表情に、マチ子も自然と口を塞いだ。
「じゃあ、私は本棚を見ていますね」
「ああ。開店まではまだ時間がだいぶある。アリスも起きてねえし、緩い気分で見ていていいぞ」
「はいっ、ありがとうございます」
まだ明かりのついていない店内を、ゆっくりと散策する。壁一面も、棚全ても本で埋め尽くされている。
日本語で書かれたものから外国語で書かれたものまで多種多様、この中から興味本位で1冊取ってみることすら、マチ子には少し気が引けるほどだった。
そんな中で、マチ子はあることに気付いた。
「……おとぎ話ばかり?」
「気付いたか」
独り言のつもりで呟いたマチ子の一言に、カウンターから真浩が返した。
「あ、ごめんなさい……お邪魔しちゃいました」
真浩は画面から顔を離し、マチ子に向き直る。その表情は、何やら満足気だった。
「在庫だけなら、もちろん新刊やら流行りのものまで抑えちゃいるが……店頭ではほとんどおとぎ話や絵本しか売ってない」
「それは、どうしてですか……?」
「この街が、御伽街だからだ」
「……?」
カウンターから立ち上がり、真浩が売り場へと入る。
「この街では、大切に読まれた絵本が……まあ、今では絵本となっている童話の原作小説とかもなんだが、おとぎ話が恩返しに来るってのは説明したな?」
「は、はい……私みたいな、【住人】のことですよね……?」
「そうだ。それがこの街の文化であり、この街に住む人たちはみんな本が好きだ。そして、この街で唯一の本屋であるうちは、代々そうしておとぎ話を買い求めに来るお客さんが多いんだ」
「なるほど……!」
本棚の本を指さしながら、真浩が1つの本を手に取る。
「それに、【住人】もここによく来る」
「私たち、以外の……」
「例えば、そうだな。こいつなんかそろそろ来る頃だ」
マチ子に、真浩が持っていた本が手渡される。
「ヘンゼルと、グレーテル……?」
「ああ、こいつら具現化するたびに道端にパンくず捨てて毎回怒られてる。そんでもって道が分からなくなったとここに来るんだよ」
「あはは……」
話しているうちに、店内に指す光が大きくなり、道を歩く人の数も増えていた。どうやら通勤通学の時間になったらしい。
「っと、もうこんな時間か。マチ子、アリスを叩き起こしてくれ」
「わ、分かりました……!」
「その必要はないわ」
2人の背後から、声がする。
「誰だと聞きたくなるくらい間抜けな声だな」
「私はちゃんと起きているわよ、まひろ」
そこには、金髪が全て逆立ちし、身長が倍くらいになったアリスがいた。
「誰ですか!?」
烏屋書店の開店時間は9:00~18:00です。