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不思議の国のアリス①「でもこれ以上、歳を取らないのよね」

「さて、マチ子。今日からこの家に住んでもらうわけだが」


「は、はいっ……」


 真浩の低い声は、人相の悪さもあってマチ子の心臓をいちいち縮めた。慣れつつはあるものの、どこか怖さは抜けていないようで、返す言葉が上ずりかけた。咳払いで誤魔化して、少し恥ずかしそうに真浩の言葉を待つ。


「確か、2階の1部屋が余ってるはずだ。そこを使え」


「あ、ありがとうございま……」


「ちょーっと待ったぁ!」


 何気ない会話に横入るアリスの両手。何か不満を抱えたようで、真浩の脇腹を指でつついている。


「あの部屋、本だらけで物置状態じゃない。あんな埃だらけのところで寝かせるって言うの?だめよ」


 言ってやったと言わんばかりに誇らしげな表情をするアリスに、真浩は溜息を吐いた。本日何度目の溜息か。真浩も何か言いたいことがあるらしいが、言葉を飲み込んだのをマチ子は見逃さなかった。


「まあ、そうだな」


「それよりも~、今日は女の子同士色々話したいこともあるし、あたしと一緒に寝ない? この襖開けた隣の部屋なんだけど~」


「私は、大丈夫ですけど……」


「やった♪ じゃあ、布団敷いてくるわね~」


 子どものように……と言っても見た目は子どもだが、大きな足音を立てて隣の部屋へと走るアリス。鼻歌と布団の音が聞こえ始めたところで、真浩がマチ子に寄る。


「あいつ、あんなこと言ってるが掃除当番サボってるだけだぞ」


「そ、そうなんですか……」


「何十年もこの家にいるくせして、仕事は完璧にこなすが家事は一切やりゃしねえ」


 溜息の原因は、どうやらアリスにあるらしい。


「ということは、家事もすべて真浩さんが……?」


「ああ。家主だからと言われたらそれまでだが、料理掃除洗濯、どれも当番制を提案したが全却下された。あいつは強かだぞ」


 ちらりとアリスの方を見る。今の話が聞こえていたのかは定かではないが、妖しいウィンクがマチ子の視界に入った。


「……家事なら、私に任せてください。きっと人並みには出来ると思いますので……」


「形だけ当番表がまだ残ってる。アリスの名前が書いてあるところは頼む……一軒家の家事を1人で全部やるのは、さすがに疲れる」


「そうですよね……」


「ほらほらマチ子ちゃ~ん、こっちで一緒におしゃべりしましょ~♪」


 既に布団の中に潜り込んだアリスが、隣に敷いたもうひとつの布団を叩く。

 苦笑いで返しながら、マチ子は真浩に一礼した。


「では、アリスさんのところへ行きますね」


「ああ、おやすみ」


「おやすみなさい」


 襖を閉めながら、もう一度会釈をする。後ろではアリスが緩やかに真浩に向かって手を振っているのが分かった。

 ぱたん、と小さな音がすると、部屋の中は静かになった。


「いらっしゃ~い」


「お邪魔します」


 豆電球の小さな灯だけが照らす部屋の中で、マチ子も布団に入る。

 全身が優しいぬくもりに包まれながらも、今はもう少し眠気に抗った。


「ごめんねマチ子ちゃん、まひろが適当な名前つけちゃって」


 布団に入って早々、アリスは顔を近づけ、両手を握った。真浩よりも年上という事前情報が無ければ、きっと同世代の、それもかなり距離感の近い友達が出来たと思えていただろう。


「いえ、本当に嬉しいと思っていますから。いいんです」


「えー、あんなセンスない名前なのに?」


「はい……誰かに優しく呼んでもらえるなんて、それだけでここにいていいんだって、思えるから……本当に、嬉しいんです」


「マチ子ちゃん……」


 マチ子の身体が、布団とは違うぬくもりで包まれる。アリスが、優しくマチ子を抱きしめた。


「記憶が戻っても、元の持ち主のとこへいっても、ここが第2のおうちだと思って良いからね」


「……えへへ」


 マッチ売りの少女にも家族はいて、原作では描かれなかった彼女の生まれてから数年の間に、家族愛はきっとあった。しかし、皮肉にも彼女は彼女自身に向けられた愛を知ることは無かった。ただ夢に見た祖母のやさしさと、マッチが灯す小さな炎の温度だけが、記憶に残っていた。

 しかし、事実は小説よりも奇となった。見ず知らずの人間が、出会ったばかりの人たちが、こうして自分を迎え入れてくれて。ぽっかりと寂しさで空いていた心の隙間を、少しずつ埋められていくようだった。


「そういえばマチ子ちゃん、まだ知らないことがたくさんあるだろうから、今聞きたいことがあったら何でも聞いてくれていいのよ」


 抱きしめ、背中をさすりながらマチ子に話しかける。トーンを落とし、耳元に呟くように話すその声は、耳触りが良く、程よい眠気をさらに誘った。


「えと……アリスさんは、やっぱり、不思議の国のアリス……ですよね?」


「ええ。不思議の国のアリス。そして鏡の国のアリスでもあるわね」


「真浩さんより年上って聞きましたけど……アリスさんの持ち主って、誰だったんですか?」


「あー……」


 得意げな表情をしていたアリスだったが、この質問には少し躊躇したようで、しばしの沈黙が流れた。まずい発言をしたかと思い、マチ子の顔に冷や汗が流れる。


「あっ、えっと、ごめんなさい、なんでもないです……!」


「……真浩の祖父、烏屋真よ」


「おじい……さん……」


「彼が大切に読んでいた不思議の国のアリス。あたしは彼へ恩返しをするために、この烏屋書店に来たわ。【住人】として、持ち主の願いをひとつ叶える。それが【住人】としての務めだから」


 薄暗いながらも、頷いてアリスの話の続きを促す。アリスの懐かしむような話し方が、気軽に聞く話ではないと物語っていた。


「そしたら彼、何をあたしにお願いしたと思う?」


「……?」


「『ずっと一緒に、この店を見守ってほしい』ってさ。あたし、完全にその一言で惚れちゃった」


「わ、ぁ……」


「あの人は本当に本が好きで、本に愛されてて……まあ、真浩が生まれてるってことは、勿論私の片思いで、それが実ることは無かったんだけど」


 おどけてみせるアリスだったが、マチ子を抱きしめる力は、少し強くなっていた。


「とりあえず、そういうことだから、私はこの店がある限りここにいるのよ。あの人が亡くなって、もう長いこと経つんだけどね」


「そうだったんですか……」


「辛気臭い話しちゃったね!はい、おしまい!」


 マチ子に抱きつくのは続けたまま、大きく布団をかぶりなおす。2人の上に、布団が優しくずしりと乗った。


「あたしのこと、ちゃんと話したんだから、マチ子ちゃんも記憶が戻ったら色々教えてね~~」


 冗談めかした言い方をしながら、マチ子の身体をくすぐっていく。

 布団の中で笑いを抑えながら、こくこくと必死で頷きを返した。

 その攻防を最後に、2人の動きは止み。


 静かに、瞼を閉じた。


「明日からうちで働いてもらうけど、そんな大変なことはさせないわ。家事でもやるような気分で、ね?」


「……はい」


 アリスのそれが冗談なのか本気で言っているのか、マチ子には判断がつかなかった。


「じゃ、おやすみなさい」


「はい、おやすみなさい」

ある意味では、歳を取らないのもいいわ。おばあさんにならなくて済むもの。

でも、このままの歳だということは、これからもずーっと家事をしなくちゃいけないのかしら!それはいやよ!絶対いや!


──【住人】不思議の国のアリス 心の声

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