マッチ売りの少女②「温かい」
「ふぅ……」
立ち上る湯気を見届けながら、金髪の少女は湯船に浸かっていた。
お風呂に入ったのはいつぶりだろうと思いを巡らせる。この世界に具現化してからは数日だが、元の世界では何年という時間を過ごし……まで考えたが、そこで彼女の思考は止まった。
自らに残る最古の記憶をいくら思い出そうとしても、厳しい父親からマッチを売るよう言われたところまでしか思い出せない。
(……本当に、私は絵本の中の登場人物なんだなぁ……)
心に穴が開いたような気がした。あれが決して、幸せな人生だったとは言い切れない。かといって、後悔の残る人生だったわけでもない。
あれが自身に定められた結末で、たまたまそのように生きただけで、すべては初めから決まっていたこと。
(きっと、記憶がないから、持ち主が誰かも分からないから、こういうことを考えるしかなくなっているんだ……)
顔を水面に沈め、息を吐き出す。淀んだ気分を、水泡と一緒に吐き出そうと思った。
ぶくぶくという声とも音とも分からないものが、狭い室内に反響してよく耳に響く。
息が苦しくなってきたところで、最後に半ば自棄になるように、大きく息を吐いた。
「ぷはっ」
水面から顔を出し、背中を湯船に預ける。息を整えるための溜息が、気持ちを切り替えてくれた。
白い湯気で埋まる視界は、どこか懐かしさを覚えた。
何の夢を見せてくれるわけでもない。しかし自分の元から消えて悲しい気持ちにさせるわけでもない。
ただ、身体を温めてくれるだけの湯気が、今は切ないほどに嬉しかった。
(店主さん……ちょっと怖いけど、良い人、なのかな……)
今度は口元だけを沈めて、またぶくぶくと水泡を吐き出す。体は芯まで温まっていた。
「そろそろ、上がろ……」
火照った体を手うちわで仰ぎながら、扉を開けて脱衣所に出る。少し肌寒く感じたが、身体に残った体温と混ざり、それも気持ち良い。
目線の少し上に置いてあるカゴに目を向ける。が、そこに自分の服が置かれている様子はない。
「……あれ」
ふと横を見ると、音を立てて動く洗濯機。
「……もしかして、着替えが無い!?」
急激に体温が下がった気がした。左を見る、右を見る。また左を見る。しかし、どこを見ても着替えになりそうなのものはどこにも見当たらなかった。
(そもそもよく考えたら、大人の男の人のお家に、私のサイズに合う服なんてあるわけが……それも計算の上で、洗濯を……?)
顔が青ざめ、身体が震え始めたその時、正面に立っていた鏡が目に入った。
風呂から上がり、全裸のまま右往左往し体を震わせるその姿は、おそらく絵本での最期よりも悲しいものだと、彼女は自負出来た。
(どうしよう……大声を出して店主さんを呼んだ方が……? そんなの、恥ずかしい……)
悩みに悩んで頭を抱えていたその時。
鏡面が、揺れる。
「……?」
少女は見間違いかと目を擦った。
しかし、鏡面は雫を落とした水面のように、波紋を広げる。
「えっ……」
寒さで震えていた体が、更に恐怖で震え始める。もはや視線は、鏡から外せなくなっていた。
鏡面の波紋が大きくなっていき、波打つように動いた後に。
鏡から、腕が生えた。
「ひっ……!?」
腕は何かを探すように右へ左へ揺れ、やがて鏡の縁を掴んだ。
その後、もう一本の腕が現れ、同じように鏡の縁を掴む。
「あ……あ……」
やがて鏡の中心から、頭に黒いリボンを携えた金髪の少女が現れた。
「あら? お客さん?」
「お……お……」
「お?」
「お化けえええええ!!」