進展
慣れは人の強みだが、慣れは退屈を生む。慣れというのは、人の強力な武器にして、自らの心を蝕む毒でもあるのだ。
目が覚めた。
俺は、退屈と、そして後悔から逃げるように、再び考え始めた。
(お腹が減った。考えるにしたって、お腹が空いていては上手く考えられない。)
胸に溢れそうになる黒い感情に蓋をしながら、俺はかあさんに訴えかけた。
無事食事を貰いながら、思考を進める。
今の俺は、まともに情報を得ることもできず、あまり長く起きていられるわけでもない。それでも、生まれてからのこの4、5日間、何もせずただ呆けていたわけではない。
まず日数だ。生まれたタイミングがよくわからないから1日分ほどのズレはあるだろうが、生まれてから4日か5日だということはわかっている。
俺は、ちょくちょく起きたり寝たりを繰り返しているが、起きた時に明らかに周りが暗い事がある。恐らくあの時が夜なのだろう。つまり、次に起きた時、もし明るくなっていれば夜が明けたという事になるはずだ。
一応夜だと思われる時間に起きた時、昼間ほどではないが、周りがすぐさま明るくなったことから、恐らく、すぐに点けられる灯りはあるのだろう。
光源は俺の上にあったような気がするから、もしかしたら電球のようなものがあるのかもしれない。もしも、そうならば、所謂中世ヨーロッパよりは明らかに文明水準が上だ。
心配していた新生児生存率の問題も、少し安心できるかもしれない。
後、とうさんとかあさん以外にも、少なくとも2人か3人ほど、俺の居るこの場所に人が来ている。人の判別がとうさんとかあさん以外、あまりうまくできないので、もしかしたら、もっと多くの人が来ているのかもしれない。
家が使用人とかを雇ってるような、お金持ちでないならば、多分ここは病院だと思う。お金持ちならば家に医者を呼んでおく、というのもできそうだが。
(もしも病院ならば、何時までここに居るんだろう。)
俺は一人っ子だったから、そういう知識は全くない。最も、知識があったとしても、それが此処で通用する保障は全く無いのだが。
そんなことを考えていると誰かが来た。
その人とかあさんが暫く話しているのを眺めていると、急にかあさんが俺の口を開けた状態で固定した。
一体何をされているのか、と考えていると、口に何かを突っ込まれた。
(なんだこれ。この感触、赤ちゃんの口に突っ込むようなものだから、哺乳瓶の類か?)
少しの間様子を見ていると、突っ込まれた状態のまま変わらなかったので、試しに少し吸ってみた。
(何か出てきた。この世界に哺乳瓶って存在したんだな。しかし、味がよくわからない。これでは、何を飲まされているのかわからないな。)
赤ちゃんに飲ませてはいけないものを飲ませる筈はないが、何を飲んでいるのかわからないとなると、少し不安になってくる。
暫く吸っていると、中身が空になったのか、液体が出なくなり、哺乳瓶っぽいものを口から出してもらえた。
そして、俺の理解を置いてけぼりにしたまま、その誰かは帰っていった。
タイミングが悪い事に、丁度食事をしたばっかりだったのでお腹がタプタプだ。謎の液体はそこそこの量があった。普通に苦しい。
(少し酷い目にあったな。しかし、哺乳瓶か。前の世界ではいつ頃から存在したのだろうか。)
よく考えてみると、さっきの哺乳瓶や、おむつ、そして今この寝てるベット等、文明水準の高さを感じるられるものがいくつかある。
おむつはゴワゴワせず快適だし、ベットも固くない。寧ろ良い寝心地のような気がする。つまりこれぐらいの物を作れるだけの技術がある世界だということだ。
もしかしたら近代、ともすれば近現代ぐらいの文明まで発展しているのかもしれない。
そう考えると少し、異世界感とも呼ぶべきものが薄れてしまう気もする。しかし、俺は生粋の現代っ子であって、小説の中にあるようなファンタジー中世ならともかく、ガチガチの中世に叩き込まれれば、カルチャーギャップだけで死んでしまうに違いない。
笑えない仮定だが、もしも俺が死んで転生するとして、女神様に会って、転生するなら中世でファンタジーな世界と現代の先進国どっちがいいですか、聞かれるとする。そうすれば、恐らく、30秒ほどファンタジーな世界に心惹かれながら、間違いなく現代の先進国を選ぶだろう。
非日常は日常があってこそ輝くのだ。少なくとも俺は、今回の失敗でそう学んだ筈である。
つまり、この今の状況から推定される文明水準の高さは、諸手を上げて喜ぶべきものだ。
そんなことを考えつつ、お腹の満腹感に身を任せ、俺は眠りについた。
Wikipedia先生によると、現在の形での哺乳瓶(の原型)が出来たのは19世紀辺りだそうです。哺乳瓶の発達とともに(勿論それ以外の要因も多く関わったと思われる)人口爆発が起こったようです。ちなみにとある研究によると、数千年前の遺物から哺乳瓶の様な用途で使われたとされる物が発見されているようです。普段全く気にしていませんでしたが、こうして目を向けてみると、身近な物にも歴史があって面白いものです。