人を殺せるもの
此処での生活にも慣れてきた気がする。
食事に関しても回数を経る内にだいぶ慣れてきた。慣れる、というのは人の強みの一つだろう。最も、未だに人前で食事をすることには抵抗があるが。
赤ちゃんでの生活は、ある意味では楽な生活だと言える。自分で、特別何かしなければいけない事、というのは存在しない。
しなければいけない事が無いというよりは、出来ることはないといった方が正しいかもしれないが。
(せめて目が良く見えれば、もう少し情報を得ることもできるのに。)
いくら高校生並みの思考力があっても、情報が無ければ余り意味を成さない。某見た目は子供、頭脳は大人の名探偵でも、見た目が赤ん坊にまでなっていては事件解決もできないだろう。
ただ、情報があったとしても、それを生かすのは難しいかもしれない。少し考え事をしていると、すぐに眠くなってしまのだ。あまり長く集中して考えるという事が出来ない。
この前、記憶や思考が脳に依存していないのではと考えたが、考え事すると脳が疲れた様に感じるという事実は、先の仮定と矛盾する。この問題への答えは全く出そうにない。
長くだらだらと、心境を綴っていたが結局のところ、言い方が悪くなるが、暇なのだ。
退屈と無関心が人を殺す、という言葉があるが、その言葉の秀逸さをしみじみと実感させられる。
学校に行ってた時は、休みの日とか、急な休校とかが楽しみでしょうがなかった。インフルエンザが流行っていると聞けば、学級閉鎖とか学校閉鎖にならないかな、なんて不謹慎な事を考えるクソガキだった。
勉強なんかせずに、だらだらと家で寝て過ごしたかった。
今のこの状況は、勉強せずにだらだらと寝てられるという、夢のような状況に見えるが、勿論全く違う。
ゲームや漫画、テレビもネットも無い、なんてことは当たり前にしても、一番酷いのは話し相手が居ないという事だ。
喋れもしないし、やはり耳もまだよく聞こえないから誰かと会話することもできない。いや言語がわからないから、会話はできないか。
しかし、なんというか、非言語的なコミュニケーションですら取ることすら出来ないのは、なかなか辛いものがある。
(あいつらに会いたいなぁ、っ……。)
まただ、またやってしまった。
暇なことで辛いのは退屈だけではない。何かをしていないと、考えていないと、あの日の後悔がフラッシュバックするのだ。
勿論、あの後悔を忘れたいわけではない。今も後悔の念を抱いている。しかし、もう、あの失敗を取り戻すことは出来ない。覆水は盆に返らない。
ならば、何時までも、失敗と後悔に囚われているわけにはいかないだろう。あの失敗を乗り越えて前に進まなければならない。
嘘だ。俺は嘘をついている。表面上ではあんなことを考えていても心の奥底ではちがう。自分への言い訳に過ぎない。
あの失敗を忘れてしまいたい。辛いんだ。もう後悔を思い出したくない。
俺が本当にしたいのは、逃げの忘却だ。乗り越えて前に進むのではなく、逃げて迂回して前に進むようなやり方だ。
理性と本心がかみ合わない。今回の件は自業自得でしかない。誰が悪いかといえば百で俺が悪いだろう。いや悪いのだ。
俺が一方的にいろんな人に迷惑をかけた。それなのに、俺は辛い、苦しくて忘れてしまいたいだなんて、自分勝手が過ぎる。
不毛な言い訳と自責を繰り返し、やがて、逃げるように俺は眠りに落ちた。
まだだ、まだエタらんよ!
(投稿サボってごめんなさい。)