知らない天井
目が覚めたら、そこには知らない天井が広がっていた。
(いや、天井の区別なんか付かないが、ここは多分自宅だろうから、俺はこの天井を知らないはずだ。)
ふと、自宅、という言葉に、少し言いようの無い違和感を覚える。
定義的には自宅で間違っていない。勿論、初めて訪れた家を、自宅と称することにもちょっと引っかかりがある。
だが、今日からここが君の新しいお家だよ、という様なよく聞くフレーズからわかるように、初めてだとしても、自宅と言うことはきっと出来るだろう。
自宅という言葉は、そこが自分の帰る場所なのかどうか、という事なんだと思う。
そこまで考えて、違和感の正体に気が付いた。
(そうか、俺はまだ、ここを自分の帰る場所だと思ってないのか。)
無論、ここが俺が初めて訪れる場所だから、という訳ではない。
(俺はまだ、自分が、この家族の一員だと思えてない。いや、自覚が無いのか。)
家族というものは、何によって成されるのだろうか。
血縁、わかりやすく、家族を成すもののつと言えるだろう。この点では俺は間違いなく家族である。
法的な定義、これもまた、家族を成すものの1つだろう。この点でも俺は家族と言えるだろう。
心、俺はこれこそが大事だと思う。俺は、心から自分をこの家族の一員と思えているだろうか。
愛情を受けていない訳ではない。寧ろ、この短い期間でも、父さんと母さんが心から俺の事を愛してくれていると断言が出来るほど、愛を感じている。
でも、だからって、上書き保存される訳ではないのだろう。
俺の中では、俺の帰る場所は、未だにあの家なのだ。
心が濁る。
俺には、割り切ることなんて出来ない。出来る筈がない。
例えもう二度と、帰り着くことが出来ないと知っていたとしても、心はその家路を辿ろうとする。
しかし、それは当たり前の事だと思う。俺は、割り切れるような薄情な人間じゃないし、そんな人間にはなりたくない。
(でも、帰れないと、辿り着けないと知りながら、思い出に囚われようとするのは、それこそ……。)
思考がグルグルと回る。答えは全く出そうにない。いや、もともと答えなんて存在しない問なのだろう。
ただ、まだ昔の家を帰る場所だと思っている、という事実が在るだけだ。
ぐずってた俺に気が付いたのか、母さんがどこからか俺のそばにやってきた。
抱き上げて、あやしてくれる。お腹が減っていると思ったのか、母乳をくれようとした。
実際、お腹は減っていたのだ。思考に耽って忘れていただけで、車のような物の中で眠った時から、お腹は減っていた。
少し、心の濁りが増えたような気もしたが、もう、気にしているわけにはいかない。
こうして、満腹になり、思考に疲れた俺は、そのまま眠りに落ちた。
すみません。ちょっと再放送気味な内容になってしまいましたが、許してください。どうしても(描写甘々の下手くそでも)、ここら辺の事はやっておきたいのです。