レンコンの新地様
三沢養之助という武家のお侍が訪ねてきたのは、私が鼓吹座で過ごすようになって1か月半ほど経った頃の事だった。
養之助は昼の舞の舞台が終わった後で、黒梅に声をかけてきたらしい。
私が役者見習いのお厘に呼ばれて応接間に行くと、養之助と黒梅が待っていた。
「拙者は美川国千太刀藩の藩士、三沢養之助と申す。藩主である新地明憲様の命により、そなたの舞を見に参った」
いかにも武士、という態度で養之助はそう名乗った。
千太刀藩の藩主の新地様は、今ちょうど榮都屋敷に滞在しており、そこで江田船屋の一件を耳にしたらしい。
養之助はその噂の真偽を確かめるべく、鼓吹座へやって来たようだ。
「本日の舞、『力石』、『馬流』、『千熊川』とも噂に違わず素晴らしい舞であった。客席では何やらそなたに向かって一心に祈っている者も見受けられたが……あれはいつもの事なのか?」
「ええ、時々そういう方もいらっしゃいます。私の舞にお客様が期待するようなご利益があるものなのかは……自分では分からないのですが」
いつものおばあちゃんかな? と思いながら私はそう答えた。
よく前の方の席に座って数珠を持って祈っている人だ。
私をお寺の観音様か何かとごっちゃにしているらしい。
「まぁ、普段の舞で効能や何かがあるかどうかは別にどうでもよいのだ」
養之助はそう言って私に向き直った。
「明憲様はそなたの舞をこの目で見て、拙者が屋敷に招くに値する舞巫女だと思えば連れてこいとおっしゃった」
「新地様のお屋敷に?」
「左様。既に座長殿の了承は得ておる。明朝、2人で新地家の屋敷に来てほしい。訳は明憲様じきじきにお話になられるであろう」
そう言って養之助は急ぎ足で帰っていった。
翌朝、鼓吹座の外に籠が2つやってきた。
榮都の辻籠ではなく、新地家のものらしい。
武家のお屋敷からこうしてお招きを得られるのは光栄なことなのだろう。
私はそう思いながら黒梅と共にそれぞれの籠に乗り込んだ。
新地家は4万石ほどの小さな藩らしい。
だが、治水事業や米以外の養蚕、織物などの特産品開発が成功し、その手腕は将軍・金実満足公にも認められ、藩主の明憲様は幕府の重要な役職に取り立てられているという。
さらに3年前に美川国南西部の用水路完成の褒美として榮都の一等地に土地を与えられ、屋敷を構えることを許されていた。
籠が止まったのはあまり大きくはないが、しっかりとお金のかけられた立派なお屋敷だった。
「そなたが紅なる舞巫女か。噂に違わず美しいおなごじゃ。榮都勤めの間に招くことができたのは、まこと僥倖というべきであろうな」
明憲様はそう言って大きな声で笑っておられた。
年齢は30代後半から40くらいだろうか。
肌は健康そうに日焼けし、立派な着物を着ているが、裃が何だか窮屈そうに見えた。
こう言っては失礼だが、野良着の方が似合いそうなお方だ。
「いやいや、上様にあれをしろこれをしろと仰せつかって、春先から今までは息つく間もなくてのう。どれ、紅や。一緒に庭を歩こうではないか」
明憲様はそう言って庭に降りると、私と黒梅に一緒についてくるように言った。
庭には大きな美しい池があり、大きな蓮の花が見ごろを迎えていた。
蓮の花は晴れた日には朝には萎んでしまうという。
この見事な花を見られたのは、今年は明憲様も初めてらしい。
「実は、今日は風邪を拗らせたと言ってお休みを頂いておるのだ。そうでもせねば、逃げられなくてのう。いやぁ、どうじゃこの素晴らしい大きさ! こんなに大きな蓮の花は榮都城の庭にもないぞ!」
明憲様はそう言って元気に庭を歩いておられた。
思い切り仮病を使ってのおサボりである。
見つかったらお手打ちとかじゃないのかな――私はそう思ったが、明憲様は「人生は要領よ」と笑っておられた。
「休みがなくてはよい仕事はできぬ。ほれ、この蓮もな、花が綺麗なだけではないのじゃ。この泥の下には太ーい根が埋まっておる。千太刀ではこれを、飢饉に備えて植えさせておってな」
「ああ、レンコンでございますね」
「その通りじゃ! そなたはレンコンは好きか? 冬になれば、千太刀のレンコンが榮都にも届くであろう。レンコンはよいぞ! 腹も膨れるし、何より身体が温まるでな」
思った通り、明憲様はお城で閉じこもって仕事をしているより野良で日に当たっている方が好きなお方のようだ。
私は田畑の神「紅様」だった頃の事を思い出して嬉しくなった。
小規模な田舎の藩では藩主のような偉い人も野辺へ出て、お百姓達と一緒に水路の様子を見たり、村祭りに加わったりする。
きっと千太刀藩もそういう領民と藩主の距離が近いのだろう。
「このレンコンは宮の平村の権左という優秀な者が見つけた特別な蓮でな。広い田を用意してやると、根がぐんぐん広がってそれはそれは太くて甘いレンコンが……!」
「明憲様、あの、そろそろ例の話を」
レンコンの話が止まらなくなってきたのを見た養之助がそーっと割って入った。
すると明憲様は「おお、そうであった」と照れ笑いしてようやく話を変えた。
「知っての通り、我ら藩主には1年ごとに榮都でのお勤めがある。そこで千太刀の城には正室のお門と長男の松徳が留守をし、この榮都屋敷にも側室のお糸を迎えたのじゃが」
明憲様はちょっと呼んで参れ、と傍にいたお小姓に声をかけた。
しばらくして、奥からまだ10代くらいのきれいで大人しそうな女の人が侍女を連れて現れた。
この人が榮都屋敷に住むご側室のお糸様のようだ。
「お糸や、今日は具合はどうじゃ?」
「はい、御前様。今日はこの通り起きていられます」
明憲様に対しお糸様はそう答えておられたが、その顔は真っ青だった。
私はすぐにその様子を見て、「衣擦れ」を舞った時のお細を思い出した。
お糸様には間違いなく、何らかのモノノケが憑いていた。