鼓吹座の紅
「最初は、舞台と舞台の間に空いた時間ができないように、穴埋めで舞巫女の真似事を演り始めたんだ。それがどういうわけか人気が出ちまって……ごひいきも何人もできて」
黒梅はそう、きまり悪そうに言った。
容姿端麗な黒梅の事を、本当は男だと気づくお客はいなかった。
だが黒梅も次第に大人の男の身体になり、「舞巫女」を演じる事に限界を感じ始めた。
「だから……巫女が役者と駆け落ちしたことにして、鼓吹座の巫女舞はこれでお仕舞にしようとしたんだ。そうすりゃ、みんな納得するだろうと思ってな」
「まぁ、確かに綺麗な終わり方な気もしますね。さすがは座長」
私がそう言うと、黒梅は少し嫌そうな顔をした。
だがすぐにニタっと笑うとこう言った。
「だけどもう、『後継ぎ』の新しい舞巫女が見つかったからな。古い方はもうどうでもいいだろう」
「えっ」
「紅、次は大山屋の旦那の還暦祝いだ。『松竹梅』を舞って欲しいと言ってる」
私がうんと言わないうちに、どうやら私はこの鼓吹座の所属にされてしまったらしい。
だが嫌だという気はなかったし、そうしなければいけない別の理由もできていた。
江田船屋のお細が、私の「ごひいき」として衣装代やら化粧代やらを出すと言い出したのである。
事の次第はこうだ。
元気になったお細の見舞いに行くと、お細はまずあの後の事を話してくれた。
「新右衛門は結局、お上の裁きを受ける事になってしまいました。先方は示談にしたいって言ってきたんですけど、あれだけの騒ぎになってしまいましたし……そういうわけにはいきませんでしたから」
一度は心底惚れた相手である。
まだやはり、この件に関しては気持ちの整理ができていないようだ。
「でも私は跡取り娘ですし、気持ちの整理がついたら新しい婿を迎えます。そしたら、紅さんにまた舞を舞って欲しいんです。あ、そうそう! それで、見せたいものがあるんですよ!」
お細は気持ちを切り替えるようにそう言うと、奥から新しい反物をいくつも出してきた。
「この柄、新作なんです。普段に着るには大胆すぎる柄ですけど、舞台映えすると思いませんか?」
「うわぁ! すっごくきれいな立葵!!」
「でしょでしょ? 今度これ、舞台衣装に仕立ててみませんか?」
「いいかも……! あー、でも鼓吹座で買ってもらえるかな……座長にこんな豪華なの買うお金ないって言われそう」
衣装は鼓吹座で用意してくれるが、儲かっている芝居小屋とはいえそこまで裕福なわけではない。
お細が出してきた生地は江田船屋が扱う中でも最高級の部類に入りそうな逸品だった。
流石にこれは黒梅のお許しが出ないのではないか――私がそう言うと、お細は「いいんです、お金なんて!」と声を上げた。
「いいですか紅さん、これはウチの店の宣伝のためでもあるんですよ」
お細はそう言ってニヤリと笑った。
あの後、鼓吹座にモノノケが出て、新右衛門の悪事を暴いた話は榮都じゅうの噂になっていた。
それと同時に、現場に居合わせた客らから私の舞の評判が一緒に広まったらしい。
お細は榮都では今、若い娘が私に注目しており、この機を商売に繋げたいというのだ。
「紅さんのあの色気ったら……女の私でも思わず見惚れずにはいられませんでしたよ。あんな風になれたらなぁ、って」
「そう……でしたか」
あんなすごい怖い顔してたのに。
私はそう思ったが、あれはあくまでモノノケのせいだったらしい。
お細は私の舞を手放しで褒めてくれた。
「ええええ、若い女がみんな紅さんみたいになりたいって思うような綺麗さでしたよ! 紅さんに綺麗な着物を着て舞ってもらったら、庶民も武家のお姫様も、榮都の若い娘たちがみんな同じのを着物を着たがるはずです!」
「いや、同じのって、そんなことあります?」
「そういうもんなんですよぉ! 私は商いの才能はお父様よりあるだろうって評判なんです! ささ、次の舞台の衣装はこの反物で仕立てましょう!」
高くてもいいものなら買う「お金持ち層」の女性顧客は必ずこれに食いつくだろう。
そして、私の着物一着分くらいの元はすぐにとれてしまいだろう――お細はそう自信満々に言った。
「紅さん、貴女の舞は『本物』です。江田船屋の跡取り娘として、貴女の舞には『投資』する価値があるとみました。あとで座長さんにもきちんとお話します。江田船屋に、舞巫女の紅をお世話させてもらえませんか?」
私の衣装や化粧、髪結いの飾りなどの資金を江田船屋が出す。
その代わりに鼓吹座は私が舞台に上がる際には「江田船屋に後援を受けている」という宣伝を行う。
お細はそんな「契約」を私にもちかけた。
「質の高い綺麗な着物が着られれば紅さんの舞がもっと舞台に映えるでしょうし、お客も綺麗なものが見られれば喜ぶし、評判も上がるでしょう。そうすれば鼓吹座のお客も増えるし、『あの着物は江田船屋のだ』ってわかればウチの着物も売れます。みんなが幸せになれるんですよ!」
そううまくいくんだろうか。
正直夢を見すぎではないかと思ったが、私はお細のその「夢」にお金儲けだけを目的としない彼女の熱意を感じた。
お細はきっと呉服屋の仕事がとても好きなのだろう。
そして、人にいい着物を着せるのが好きなのだろう。
この間とは別人になってしまったかの様子で、お細は奉公人にてきぱきと指示を飛ばしながら実に活き活きと店の中を走り回っていた。
ふとお細の着物の帯を見ると、そこには大きな金魚の刺繍が縫い込まれていた。
私が綺麗ですね、と褒めると、お細はこれはこの間のモノノケなのだと言った。
「あの事件の後、大事に飼っていた金魚がいなくなってたんです。だから、私を助けてくれたのはあの金魚だったんだろうと思って……守り神代わりに一緒にいてもらうことにしたんですよ」
モノノケは自分の役目を果たし、消えてしまった。
だがお細がそうやって忘れずにいたいと思う限り、あのモノノケはお細を守り続けるだろう。
私は何となくそう思った。
「末永くお願いしますね、紅さん。きっと私達、長い付き合いになります。これから私に子供ができたらその初節句だって、お父様の還暦祝いだって、紅さんに舞ってもらいたいんですから!」
お細はそう、気の早いことを言って声を弾ませている。
長い付き合いに――私は衣装代や化粧代を出してもらえること以上に、お細にそう言ってもらえたことが嬉しかった。
私はお細に必要とされ、舞う事を許されたのだ。
そして鼓吹座がこれで正式に私の「居場所」になったのだ。
「ありがとうございます、お細さん。これからは鼓吹座の紅として、お細さんと榮都の皆さんのために精一杯努めさせていただきます!」
私がその時口にしたこの言葉が、私の人生の誓いであり、そして生きる証になった。
そしてこれがその後の人生でめぐり逢う不可思議でおかしな出会いの始まりであった。