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舞巫女の紅~神様でモノノケで遊女な私の物語~  作者: 九里原十三里
第一章
3/11

笑わぬ花嫁と哂う花婿

 客席に江田船の若夫婦が現れると、まるで人気役者が現れたかのような喝さいが起こった。

 2人は鼓吹座の座長の黒梅と仲人らに案内され、客席中央の一番いい席に座った。

 私は幕の間から、江田船の跡取り娘のおさいと、その婿の新右衛門の顔を見た。

 婿の新右衛門は終始ご機嫌で、周りの客らに頭を下げたり手を振ったりして愛想を振りまいている。

 だがお細のほうはというと、顔色が悪い様子で終始俯いたままであった。


「あのお嫁さん、具合が悪そうだね? 大丈夫かな?」

 私がそうお厘に言うと、花嫁衣装が重いのだろうと笑っていた。

「着物が豪華すぎるんだよ。あーあ、これだからお金持ちは」

 江田船屋は榮都中に名の知れた大商家である。

 その跡取り娘の婚礼ともなれば、色打掛にもありとあらゆる贅を尽くした逸品が選ばれる。

 金糸銀糸で立体的に縫い上げた鶴亀の刺繍や、本物のサンゴを縫い込んだ飾り、ふっくりと豪華に魅せるための入れ綿に、豪華絢爛な帯、櫛に簪……。

 あれもこれもと欲張った結果、花嫁衣裳は戦場で侍が着る大鎧のように重くなってしまうのだ。


「まぁでも、一生に一度だもんね。それにあんな豪華なおべべが着られるんだもん。我慢しなきゃ」

 お厘はそう言って羨ましそうな顔をしていた。

 花嫁のお細の事は少々気の毒に思ったが、今日だけはあんな状態でも仕方ないのかもしれない。

 私はそう思い舞台に上がろうとした。

 だが――どうにも「何か」モヤっとしたものが心の奥に渦巻いて、自分に何かを気づかせようとしている感覚があった。


(あの夫婦は、何かおかしい)

 心の奥でそう言ったのは、私の中にいるモノノケの声だった。

 人ならざるものならではの感覚で、2人の間に流れる違和感を嗅ぎ取ったようだ。

 しかしそれが何か確かめようにも、もう開幕の刻限は迫っているし、客席は大入り満員だ。

 私が2人に一番近づけるのはもう、舞台の上しかなかった。


「袖に隠れてそろそろそろり 風春めくに 気はそぞろなれど来ぬ人を 恋い焦がれるままに 迷い出でて アレ 月明かり」


 浄瑠璃の歌声が響き、私は月夜に男のもとを訪ねる女の舞――「衣擦れ」を舞う。

 袖で顔を隠しこそこそと家を出た女は、月明かりが多いの他明るいのに驚き、一度は出かけるのを躊躇する。

 だが、結局は男に会いたい一心で月夜の道を駆け抜け、衣服の衣擦れの音をさせて相手のねやへと忍んでいくのである。

 女は最初、恥ずかし気に顔を隠しているが、最後は衣服を大胆に振り乱し、情熱的で色っぽい様を魅せる。

 舞手によっては着物を乱し、胸元も露わに舞う者もいるというが、私はさすがにそれはやめておいた。

 そんな事をしなくても舞の表現で十分に伝わるし、「子宝祈願」の舞にはそこまでする必要はない。

 最後まで舞い終えると、客席が沸き返り指笛の音が聞こえた。


(ほとんどの人が……喜んでくれたみたいだけど)

 私は舞台袖に下がる前にチラリと花嫁の顔を見た。

 花嫁のお細は目をカッと見開き、睨むように私を見ていた。

 怒っているのか、なんなのか――表情から感情を読むのが難しい顔だった。

 だが、明らかに舞を楽しんだ様子ではない。


(あー……うん、ソウダネ……早く帰って着物を脱がせてあげたほうがいいかもしれないなー……)

 私はお細に作り笑顔を向け、そのまま舞台を降りた。

 だが衣装を脱ごうとしていると、客席に出ていた黒梅が「待て待て」と言って駆け込んできた。

「江田船の娘が続く『乱れ髪』、『後朝』まで舞って欲しいと言っている。すぐに舞台に戻れ」

「ええっ?! だって、あんなに機嫌悪そうに見てたのに!」


 どういうつもりなのかと私は驚いたが、周囲の客も舞に続きがあるのなら観たいと言っているらしい。 

 演目が2つ増える分、江田船屋が鼓吹座に払う金額も3倍になるようだ。

 鼓吹座の他の者たちも皆、やろうやろうと盛り上がっている。

 この雰囲気ではもう演るしかなさそうだ。

 だが1つ、問題があった。


「座長、『乱れ髪』ならすぐに舞えます。でも、『後朝』は昨日と一昨日さらっと遊びで『侍女』のほうを稽古しただけで……しかも、あれは女の舞手2人で舞うものです」

 男女が一夜を明かした明くる朝の様子を舞う「後朝」には「女」と、先に家に戻った男からの手紙を届ける「侍女」の2人の登場人物が必要だ。

 昨夜の熱が冷めない女が男からの手紙を読んだり、のろけ話をしたりし、若く初心な侍女が恥ずかしがってしまう、という内容である。

 私は侍女役しか舞うことができず、誰かに「女」の方の役を演じてもらわねばならない。

 すると黒梅は思わぬことを言った。


「……『女』の方は俺が演る」

「ええええっ! 座長さんが!?」

「男が女役を演るのは芝居小屋では珍しい事じゃない。それに、お前さんの稽古不足を胡麻化すにもその方が都合もいいだろう」

 黒梅はさっさと周りに指示を出し、私に早く「乱れ髪」の準備をするように促した。

 もうこうなれば「さはれ(ええいままよ)」である。

 私は衣装と髪飾りを変え、「乱れ髪」を舞うために舞台に上がった。


「夏の夜なれば 峰の男山青葉茂りて 女山はまだ遠く 漕ぎ出でたるは迷い船 浦の追い風激しきに 黒髪の乱れて」

 女は髪を乱し、髪に刺した大きな簪を手に大胆に舞う。

 相手の男は舞台にはいないが、明らかに男女がまぐわっている場面を表現するため、客席からは笑いや小さな悲鳴も起こった。

 私は舞いながらお細の方を見た。

 お細は目を見開き、瞬きもせずに私を見ていた。


 ああ、憑かれている者の目だ。

 今度こそそれがはっきり分かった。

 だがお細が何に憑かれていて、お細がどういう状態なのかは分からない。

 私の中のモノノケもまだ検討がつかないらしく、黙ったままだった。


(呉藍、あんたはどう思う)

 女の心理に詳しいであろう元遊女の呉藍ならば。

 そう思い、私は舞いながら彼女に問いかけた。

 呉藍の声が、分からない、と返事した。

(わっちはモノノケでも神様でもないから、そういう類のモノの事はわかりんせん。だけど気を付けたほうがいいのは多分、婿殿の方でありんしょう)


 婿の新右衛門は終始機嫌がよさそうに私の舞を見ていた。

 このあからさまに色事めいた演目を前に、助平心をくすぐられているのだろう。

 私はそうにしか思わなかった。

 だが、呉藍の感覚――その波長に集中すると、新右衛門の姿が全く違うものに見え始めた。


(この男……何か企んでる?)

 新右衛門の薄笑いを見た途端、凄まじく冷たい感覚が私の背中を走った。

 それは恐らく、「女の勘」というべき感覚だった。

 明らかに、誰かを「殺す」という秘めた意思が新右衛門には感じ取れた。

 では誰を――その問いに、私の中にいる3人の意見が一致した。


(狙われているのは、お細だ)

 三味線が止み、客席が拍手に包まれる。

 私は舞台袖へ下がりながら、どうすべきかを考えた。

 新右衛門がもし本当にお細を殺すなら、止めなければならない。

 だが、私がそう感じ取っただけでまだ証拠もない。

 それにまだこの後にもう1つの大事な演目、「後朝」が控えていた。


「紅、俺の支度はできている。急いで衣装を変えろ」

 黒梅は既に化粧を済ませ、衣装を整えていた。

 その姿は思わず女の私すらも見惚れるほどの美しさで、いっそ神々しいくらいであった。

 私はその姿を一目見て、あることを察した。


「座長……もしかして、この鼓吹座から駆け落ちでいなくなったっていう『舞巫女』は」

「その話なら後でしてやる。急いで支度しろ」

 ああ、図星か。

 私はそう思いながら「侍女」の衣装に着替えた。

 まずは「後朝」を舞わなければならない。

 新右衛門の事はその後だ。


 2つの舞を終え、客席は沸きに沸いていた。

 浄瑠璃の歌い手である承之助も笛太鼓の奏者も、すっかり場の盛り上がりに興奮している様子で、楽器を落とさぬように手汗を何度も手ぬぐいで拭っている。

「すげぇ、すげぇよ……こんな舞の舞台は初めてだ!」

「俺も最高に調子がいいんだ! こんなに思うとおりに吹けたことはなかったかもしれねぇ!」

「ああ、手の震えが止まらねえや! これで『後朝』までやったらどうなっちまうんだ!? 何だか怖くなってきやがったよ!」

 子供のように心底この舞台を楽しんでいる彼らの顔を見て、私はとある光景を思い出した。

 それは、神だった「紅様」に舞を捧げた、祭りの日の村人たちの姿だった。


(そうだ……普段中の悪い者同志も、祭りの日だけはケンカをしなかった。辛い年貢の事も、治らない病の事も、普段の憂さも忘れて……踊る者も、ただ食うばかりの者も、みんな子供みたいに楽しんだんだ)

 これは、祭りだ。

 だが今の私は、舞を捧げられる存在ではない。

 ここに集う皆が舞巫女である私の舞を望み、その「ご利益」を期待している。

 なら応えてやろう――そう気合を入れると、体に力が満ちていく気がした。


「座長、稽古の時に承之助さんが教えてくれたんです。『後朝』は、花嫁を守るための舞だって」

 私がそう言うと、黒梅は「らしいな」と頷いた。

「後朝の場に、昨夜通ってきた男は既にいない。だが、侍女が届けた男の手紙には、愛する女への一生分の誓いが込められている」

「楽しみにしてますよ、私も」

 にわかに胸が沸き立つのを感じながら、私は黒梅と連れ立って舞台へ出た。

「なにしろ『鼓吹座の舞巫女』の舞が一番間近で見られるなんて、共演者の特権ですからね」


 黒梅が舞台に現れると、客席は今日一番の盛り上がりになった。

 浄瑠璃の歌い手はあらん限りに喉を絞り、歌声を響かせる。

 男が帰った「後朝」の朝――女は昨夜の余韻に浸りながら、1人心細く思っている。


 あの人は愛していると言ってくれた。

 一緒になろうと言ってくれた。

 だが、一晩経って心変わりしてしまっていたらどうしよう。

 今はもう違う女の事を考えているかもしれない。

 庭先のまだ花の咲いていない藤の枝を見ながら、女はそんな不安に苛まれていた。


「女さびしく藤ふふめるを見しに 侍女 男の文藤花に結びたるを持ちて急ぎ来たるあり」

 心細く1人でいる女のところへ、侍女は男の書いた「後朝の文」を持ってやってくる。

 この手紙は早く出せば出すほど男の愛情の強いことを示すため、届ける方も気を使ったのである。

 手紙を見た女は顔を輝かせ、嬉しいやら恥ずかしいやらと言って笑う。

 そして侍女が「何が書いてあるのか」と問いかけると、喜びの舞を舞いながら男の文を読み上げるのだ。


(ああ……やっぱりこの人はすごい)

 私は黒梅が文を受け取った幸福な女になりきっていくのを見た。

 命続く限り、貴女を愛します。

 貴女と、貴女の父母と兄弟、姉妹を大切にします。

 例え鬼が現れようとも貴女を守ります。

 神仏に誓って、貴女を悲しませることはしません――そんな惜しみのない愛の言葉を聞き、次第に当事者ではない侍女の方が恥ずかしくなってしまう。

 それがこの「後朝」の一番の見せ場だ。


(お細さん、これはあんたのための舞だ。これから嫁になるあんたを守るための舞だよ)

 私は「侍女」を演じながら、黒梅の姿をお細の心に焼き付けるよう、舞った。

(あんたは男の命続く限り愛されなきゃならない。

 あんたの父母も、兄弟も、姉妹も大切にされなきゃならない。

 もしこの場に鬼が現れたら、男は身体を張ってあんたを守らなきゃならない)


 あんたの隣にいる「男」は――それができる男なのかい?


 客席のお細と目が合った。

 お細は強く目を閉じ、顔を天井に向けた。

(……? あれは?)

 舞台の上では黒梅が大きく袖を振り、幸福に満ち溢れた女の舞を終えた。

 笛太鼓、三味線の音が止んで一瞬場が鎮まり、そして拍手と喝さいに包まれた。


 その時だった。

 お細が苦し気に胸を押さえ、その口から真っ黒に濁ったどろりとしたものを吐いたのだ。

 まさか血か――私は反射的に舞台を飛び降り、お細のもとへ走っていた。

「お細さん!!」

「お細! お細どうした!?」  

 近くの席にいたお細の両親や家の者らしき人々と一緒にお細を抱え起すと、お細の身体はがたがたと震えていた。

 隣の新右衛門は表情を引きつらせ、身動きできずにいる。


「お細さんしっかり!」

 私は急いで帯を緩め、ぎゅうぎゅうにその体を締め付けていた花嫁衣裳を解いた。

 するとお細はまた苦しそうに嘔吐き、何かを床に吐いた。

 黒く濁ったそれは血ではないようだった。

 だがお細が吐き出したもののその中に、信じがたいものが見えた。

 それは一匹の魚だった。


「新右衛門!」


 魚はカッと目を見開き、人の声で怒鳴った。

 これはモノノケだ。

 そう気づいた周囲の客達が悲鳴を上げた。


「お前は、江田船屋の財産欲しさにこのお細に毒を盛ったな! 人に分からぬよう、食事や茶に混ぜて僅かずつ! お細はそれに気づいていたぞ!!」

 魚は周囲のどろどろしたものを吸い込み、むくむくと巨大化した。

そして大きな頭に長いヒレを持つ金魚の姿になると、宙を泳ぎながら劇場いっぱいに響くような大声でさらに怒鳴り続けた。

「だが! お細はお前が毒を盛っている事を見て見ぬふりをしようとした! 何かの間違いであって欲しいと願った! この、短絡的な人でなしの新右衛門め!! お細はお前を信じようとしたんだ!!」

 お細は荒く息をしながら、涙を流し、魚の姿を見ていた。

 新右衛門の顔は次第に色を失っていった。


 愛しい男を、お細は信じたかった。

 モノノケはそんなお細の心に住み着いた。

 愛しい男を信じたいと思う一方で、お細の心の奥の奥には自分を殺そうと思う男を憎む気持ちが押し込められていた。

 死にたくないという本能からの思いが爆発しそうになっていた。

 その心を食ってモノノケは育った。


「舞巫女よ、感謝する!」

 最後に、魚は私の方へ近づき、そう声を上げた。

「この場に満ちたお前の『神気』と『妖気』を借りて俺はこうして姿を得られた! お細の言いたいことも全部言ってやった! 俺の仕事はこれで仕舞いだ!」

 モノノケは憑りついた者の欲を食って力を得、そしてその欲が尽きた時に命を終える。

 仕舞いだ、と怒鳴ったその瞬間、魚の姿は煙のようになって消えてしまった。

 お細は消えていく魚を見つめ、何か呟いたようだった。

 新右衛門はその傍らに崩れ落ち、文字にできない声で叫び声を上げて蹲った。

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