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舞巫女の紅~神様でモノノケで遊女な私の物語~  作者: 九里原十三里
第一章
2/11

始まりの舞

 私が自我を持った時、周囲には大勢の人の輪ができていた。

 人々がやんやと声を上げ、手を叩いて囃すのを聞き、私は自分が舞を舞っているのだと気づいた。

 見れば太鼓や笛を持ち出し、勝手にお囃子に加わる者達も現れる。

 そこに三味線が加わる頃、場は最高の盛り上がりになっていた。


「いやぁ、見事な舞だった! お前さん、『歩き巫女』だろう? どこから来たんだい?」

 人懐こそうな男が蕎麦屋の店先から私を呼んだ。

 冷たい井戸の水を一杯飲ませてくれるつもりのようだ。

 舞の見物料のつもりなのだろう。


「さてね、忘れちまったよ」

 私はそう言って店主の言葉に甘えた。

「気が付いたらあそこで舞を舞っていた。きっとそういう性分なんだろうね」

「はっはっは! 面白ぇ巫女様だ! いやいや、朝から縁起のいいものが見られて本当に得をしたよ!」

 蕎麦屋の店主はそう言いながら水の入った湯呑を私に差し出す。

 さらに奥から、店主の妻が丼を持って現れた。


「すみませんねぇ、この人気が利かなくって! ささ、あがってください」

「え、待って私、お蕎麦を食べるお銭が……」

「お代は要りませんよ、巫女様! ホントなら、『鼓吹座こぶきざ』でかけそば1000倍分払わなきゃ見られないのが巫女舞だもの! お代わりしたっていいんですからね!」

 店主の妻はそう機嫌よく言って竹の長椅子の上に薬味だのお煮しめだのまで並べた。

 気持ちは嬉しいが、貰いすぎるのも何だかきまりが悪い。

 私はこれ以上何か出てくる前にここを立ち去ろうと決めた。


「鼓吹座でかけそば1000倍分か……おかみさん、最近はあの舞台に巫女舞で上がる子がいるの?」

 私はその名前をすぐに「思い出す」ことができた。

 今の自分になる前に散々聞いた名前だったからだ。

「ええ。それはそれはきれいな舞巫女様がいましてねぇ!」

 店主の妻は声を弾ませる。 

「だけど、めったに見られるもんじゃないですよ。演るとすれば年明けてすぐか、鼓吹座のごひいきさんの誰かの厄払いか何かと重なった年なんかだけですから」

 鼓吹座は普段、田楽や猿楽、狂言や落語などの芸能を興行する娯楽施設――いわゆる「芝居小屋」だが、巫女舞は娯楽ではなく、お清めの代わりである。

 歩き巫女、舞巫女などと呼ばれる芸事に心得のある巫女は各国を行脚し、舞を舞って日銭を稼ぐ。

 だが、その中でも特に祓い清める力の強い舞巫女は大名や大商人に請われ、専属になる事もあるという。

 蕎麦屋の店主の妻の話から察するに、恐らくは鼓吹座には専属の舞巫女がいるのだろう。


(かけそば1000倍分の舞巫女を呼べる「ごひいきさん」か……きっと、私の記憶にある誰かだろうな)

 鴨汁蕎麦をすするうちに、私の記憶は明るく晴れてきた。

 消えゆく定めを負った女神「末摘花命すえつむはなのみこと」、病に冒された瀕死の元遊女「呉藍くれあい」、そして名もなきモノノケが1つになり、私は生まれた。

 舞巫女の形になったのは「繋ぎ」を務めたモノノケの趣味だろうか。

 どうやら私は生まれながらの舞の名手としてこの世に生を受けた――そんな感じのようだ。


「それにしても鼓吹座の舞巫女か……観てみたいなあ。次って、いつ観られるのかなぁ?」

 大勢のごひいきのついた鼓吹座専属の舞巫女なら、さぞかし素晴らしい舞の名手に違いない。

 私は一度その舞をこの目で見てみたいと思った。

 蕎麦屋の店主の妻は「さぁどうでしょう」と笑っていた。

「演るんなら、2、3日前に住吉橋のたもとで号外を配りますから、みんなそれを見て鼓吹座に券を買いに走るんですけどね。ああでも巫女様、観るんならかけそば1000杯分ですよ?」

「ああ……それなんだよねぇ」

 私は蕎麦屋の夫婦に礼を言い、ひとまず鼓吹座の方へ行ってみることにした。


 舞巫女になったのだから、どこかで舞を舞ってお金を稼ぐしかない。

 だが、どこで舞を見せたらいいのだろうか。

 手っ取り早いのは恐らく、料亭や宴会を催す屋敷に直接出向いて売り込み、舞わせてもらう事だろう。

 あるいは花街に行って廓の座敷に上がらせてもらうという手もあるが、私はどうにも女郎屋に足を踏み入れる気が起きなかった。

 きっと、私の中の太夫・呉藍が嫌がっているのだろう。 


(もしかしたら、鼓吹座の田楽の前座くらいなら出させてもらえるかも……いや、そんなうまい話はないかなぁ)

 とりあえず蕎麦でお腹が満たされているうちにやれそうなことをやってしまおう。

 私はそう思い、鼓吹座へ向かった。

「今日は昼が落語、夜が漫才でね。巫女舞か……うーん、どうしたもんかなぁ」

 窓口の切符切りは帳面をめくりながらそう言った。

 無理もない。

 巫女舞は人気の演目だが、芝居小屋にも都合がある。

 いきなり舞わせてくれ、と言われても困るのが普通だろう。

 しかも知っている者ならまだしも、私は向こうにとってどこの誰とも知れぬ馬の骨である。


「田楽ならまだお客が喜んだかもしれないけど、落語と漫才じゃ毛色が違いすぎるからねぇ」

 切符切りは渋い顔をしていた。

 上手に断ろうとしてくれているのだな、と私は思った。

 すげなく追い返されなかっただけ相手の優しさに感謝すべきかもしれない。

 これは退散するしかないだろう。

 そう思っていると、奥で掃除をしていた女が私を見て「あっ」と声を上げた。


「ねぇあんた、菖蒲田の辻で舞ってた巫女さんじゃないの! 座長! ほらほら、さっき話した人ですよ!」

 女は若い役者見習いのようだった。

 座長、と呼ばれて現れたのは黒い着物を着た男であった。

 その男の姿を見て、「芝居小屋の座長」として古だぬきのような太った中年男が出てくるのを想像していた私は面食らってしまった。

 やや釣り目がちの黒く涼やかな眼差し。

 背は高く、よく見れば男のがっちりした体つきをしているものの、立ち振る舞いはどこか中性的な優雅さを持っている。

 長い黒髪をひとまとめに左肩に垂らしたその容姿はきらきらしく――一般的な感覚でいう「目の覚めるような美男子」を絵に描いたような人物だった。

 そして私が勝手に想像していた古だぬき座長よりも30は若そうだ。


「お厘の騒いでたのはあんただったか……名は?」

「え……と、べに、です」

 呉藍とだけは名乗ってくれるな――。

 頭の奥で元遊女がそう怒鳴る声が聞こえ、私はとっさにその名を口にした。

 神だった頃の「末摘花」も遊女だった頃の「呉藍」も同じく紅花の異名である。

 ならば紅花の「紅」がいいと思ったのだ。

 座長は速水黒梅はやみこくばいといい、鼓吹座の二代目座長との事だった。

 おりんとはさっきの役者見習いの子のようだ。


「仕事を探しているのだったな。なら、話は早い。実は明後日の昼に呉服の『江田船屋えだふなや』の跡取り娘の祝言があって、急にそのための巫女舞を頼まれてたんだが」

 黒梅はそう言ってため息をついた。

「うちの舞巫女が先日……狂言師の男と駆け落ちしてしまってな」

「か、駆け落ち、ですか」

「ああ。ウチの者が今、連れ戻しに行ってるが明後日には間に合うまい。紅、あんた代わりに舞ってくれないか?」

 

 渡りに船とはこの事だ。

 私は二つ返事でこの仕事を引き受けた。

 鼓吹座で巫女舞が行われる時には、必ず関係者以外にも「おすそ分け」するのが慣例だという。

 公演が決まればすぐに瓦版屋が号外を刷り、最寄りの住吉橋のたもとで号外を配る。

 それを見た市民は鼓吹座に走り、公演のための切符を買うのだ。


 榮都で一、二を争う豪商と名高い呉服商の江田船屋もその慣例に従い、多くのお客を入れることになった。

 巫女舞の号外は私が仕事を引き受けたその日に配られ、窓口はたちまち黒山の人だかりとなった。

 私は駆け落ちした舞巫女が残していったものだという衣装を身に着け、さっそく稽古に入った。


「祝言の舞なら……『八つ橋』か『寿』、あとは『吉祥』ですよねぇ。何を舞いましょう?」

 私の中には舞の名手だった呉藍がおり、さらに末摘花命の記憶にある豊作祈願の舞も加えて、あらゆる舞の技法が染みついている。

 その中でも、お祝いなのだからわかりやすくおめでたい舞がいいだろうと私は思った。

 だが黒梅が口にしたのは、思わぬ演目だった。


「先方が『衣擦れ(きぬずれ)』を演ってくれと言っている。もしくは『乱れみだれがみ』を」

「ええっ……それって、ずいぶんと艶めかしいやつですよ?」

 衣擦れ、は恋する姫が愛しい男が自分のところへ来るのを待てず、月夜にねやに忍んでいく語を舞にしたもので、普通は遊女や芸妓を侍らせた色っぽい宴席で舞うものだ。

 さらに乱れ髪はそれよりさらに「突っ込んだ」内容であり、妖しく男を誘い、閨で乱れる女の色気を魅せる舞だ。

 どちらも確かに「いろんな意味で」人気のある舞だ。

 だが、祝言の日の余興で演っていいものなのかというと……普通は真っ先に避ける演目である。


「いえ、あの、舞えというなら舞いますけど……座長、本当に良いのでしょうか?」

「俺も再三、確認はした。だが、向こうはどうしてもと言っている。何か問題が起きれば、江田船屋の主人が責任を取るだろう」

 黒梅がそう言うので、私もそれ以上は何も聞かない事にした。

 すると、浄瑠璃を歌う男が私にすすっと寄ってきて理由を教えてくれた。

 彼は承之助しょうのすけといい、この芝居小屋の古株のようだ。


「上方の習慣だから榮都じゃ知らない人も多いけど、『衣擦れ』と『乱れ髪』ってのはもう1つ『後朝きぬぎぬ』と合わせて3部作でね、子宝祈願に舞う演目なんだよ」

「子宝祈願?」

「そうそう。江田船屋が婿に迎えたのは、上方の商家の次男坊だ。きっと向こうが望んだんだろうよ」

 確かに、艶めかしい舞は子授けの神を喜ばせるという話は聞いたことがある。

 そのため、そういった神を祀る神社に奉納される舞や神楽は、傍目には分からないが内容を聞くと赤面しそうになるものも多いのだ。


「そっかそっか。じゃあ、張り切って舞わせてもらおうかな! なんたって、一生に一度の鼓吹座での舞だからね! 最高の舞台にさせてもらわなきゃ!」

 私がそう意気込むと、承之助は「よく言った!」と手を叩いた。

 笛太鼓、舞や浄瑠璃、といった巫女舞やその他舞台に関わる表現者たちにはいわゆる「むっつり助兵衛」やそういうのを隠しもしないようなあからさまな「助兵衛」が多いものだ。

 だが、あくまでべっとりとしたいやらしさではなく、彼らの「助兵衛」は舞台をよりよいものにしようという気持ちのいい「悪ノリ」である。

 舞の私がノリノリで稽古に励むと、一緒に舞台に上がる承之助や笛太鼓の連中がみんな面白がって食いついて来た。

 そして演目の日を迎える頃には、舞台は全員が「早くお客に見せたい!」と思う最高の仕上がりになっていた。


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