週末限定異世界転移
鉛のように瞼が重たい。
(閉じまい閉じまい)
顔面筋を総動員して負けじと瞼を無理矢理押し上げれば、目の前にうっすら世界が開ける。ただ、何回も繰り返した欠伸のせいで目の中は涙でいっぱいだ。見える景色は何がなんだか分からない。
「眠い」
漏れた言葉と一緒に瞳から零れそうになる涙を指で拭う。
ついでに人差し指と親指で瞼を上下に引っ張って無理矢理に目を開ける。
「あと、10分…もうすぐだ」
さっきに比べればクリアになった視界で時計を見れば、針は午後11:50を指し示していた。かれこれ一時間前から繰り拡げられている睡魔との激闘もいよいよ佳境を迎えていた。
【週末限定の異世界転移】
山なし谷なしやりがいもなし。その癖に何故が疲労ばかりが溜まる仕事を5日間こなし切った身体をベッドに放り投げずにいる理由はただそれだけ。
ん?やりがいもないなら疲れるはずがない?
馬鹿言っちゃいけない。人間なんて生きてるだけで辛いのに、やりたくもない仕事を気の合わない同僚に囲まれて黙々とこなす日々が疲れない訳がないだろう?はははははh…
「あかん。眠くて頭がバカになってる。」
濃い目に淹れたコーヒーを啜ってみるが、淹れてからずいぶんと時間が経ってしまいすっかり温度が失われたそれの効果はイマイチなようで睡魔に対する援護射撃とはなってくれない。
「ふぁ~」
とはいえ、あと10分。
こうなりゃ眠気と最期まで戦い続けることをここに誓おう。
カチリ コチリ
熾烈な戦いが行われている部屋に一秒、一分と時計の針が動く小さな音が鳴っていた。その音に耳に傾ければドクリドクリと針の動きに合わせて時計とは違った音が鳴るのに気がつく。その音源を探して視線を下げる。
「はは。この生活にも慣れたと思ってたんだけどな」
身体の真ん中で鳴る音は次第に大きくなっていく。
緊張感と期待感が織り交ざった懐かしい感覚。
俺が異世界に転移するのは週末、つまり毎週金曜の深夜0時と決まっていた。
だから帰宅したらその時間に合わせて家事やら晩飯やらを済ませ、なんなら軽く寝て備えるのが習慣となっていた。
異世界転移なんて摩訶不思議な状況もかれこれ数ヶ月前から毎週繰り返されてしまえば慣れるのだから人間は逞しいもんだ、と先週までの俺は我ながら感心していた。
それがどうして今週だけはかなり眠い癖に、いざ仮眠しようにも緊張で寝ることもままならない程に、それこそ異世界転移をし始めた最初の頃のようなふわふわした状態でいるかといえばそれはもちろん向こうの世界で待ってくれている存在の有無の違いだろう。
どうしても頭を過るのは「もし、万が一異世界転移できなければ彼女はどうなるのか。」
そんなもん、眠れる訳がなかった。
「誰かが帰りを待っていてくれているってのは嬉しくもあり不安でもある。」
どこで役に立つかも分からない悟りを心のメモに書き留めつつ、再び時計を見る。
(ようやく、か)
見れば秒針が「10」の文字盤に触れるところ。
9 8 7 6 …
これまで懸命に開けていた眼を瞑らずにはいられなかった。
もう間もなくして3本の針が時計の真上を指し示しす事だろう。
どうか。
どうかどうか。
◆◇◆◇◆
「はぁ〜〜〜、良かったぁ〜〜」
喉から、いや腹から、いやいや腸から安堵の声が出る。
さっきまで履いていなかった靴の裏から硬い床の感触がしっかり伝わってくる事にほっとしつつ、ゆっくり目を開けばここ数ヶ月ですっかり見慣れた真っ白な空間が目前に広がっていた。
【夢の工房】
俺自身がそう名付けたこの部屋は正にその名の通り夢の如く俺の創造を現実にしてくれる不思議な空間だ。
さっきまで履いてなかった靴を身に着けた状態で出現させることなど息を吸うくらいに容易く、続けて息を吐くノリで眠気を無くすことも造作もない。
さっきまで眠気で泥沼に肩まで浸かってるかという程の身体の重さはどこへやらである。何なら、このまま今すぐ目の前に世界各国古今東西どんな美女でも臨戦態勢で出現させることだって…
「あかんあかん。」
そんなことを想像したら、ぐんぐんと目の前の床が盛り上り人型を形成しようとするもんだから慌てて雑念を振り払う。危うく悩ましげな曲線を描いた床に襲いかかりたくなるところだった。
気を取り直して、部屋の中を見回すとずいぶんと作りがシンプルな木の扉が目に映る。特徴を挙げるなら壁に備え付けられておらず、地面から生えるように自立している点だろうか。ドアノブに力を込めてみても不思議と倒れる様子はない。
「まぁ、しようと思えばできるけど。」
この変な扉は俺が夢の工房の能力で出現させているものだから、普通に壁に設置することもできるし、触れた瞬間にパタリと倒すことも可能ではある。
とはいえ、倒す必要はないし、床から生えている方が不思議な感じがしてこの扉の目的に相応しいだろうという、ちょっとした悪戯心でこんなに感じになった。
(俺の店の一階裏口っと。)
まぁ正直、この扉の在り方などどうでもいいことだ。
肝心なのはこの扉をどこに繋げるかという一点のみ。
ふわりと光った扉が少し廃れた雰囲気に変わったことに一人、頷く。
「接続できたかな。じゃあ、早速異世界にレッツ………ゴー、と行きたい所だけど、ん~…何て言って出ていくのが正解だろう?」
身体が自然と硬直する。理由は些細な事だ。
この扉を開ければ、先週甘酸っぱい別れをした奴隷少女ナナイナが待っている。彼女に会うこの瞬間を一週間待ち望んでいた俺としてはもちろんさっさとこの扉を開け放ちたい気持ちでいっぱいだ。
(だからこそ最初の一言は大事なのではないかい?)
ドアノブを捻りたい気持ちを踏み留まらせたのは、そんなくだらない考え。
(いや、本当にくだらない考えだろうか。否。断じて否でしょっ。)
男女の別れ。そして、再会なんて好感度急上昇イベントをみすみす見逃す手はないだろう。このチャンスをものにできるかどうかは、今後の運命を左右すると言っても過言ではない。そうなるとやはり再会後の最初の一言が大事なこと明らかだ。
「今こそ迸れ俺のシナプス!」
つまり今こそ隠された俺のIQが爆発し、魅惑的な台詞を紡ぎ出す場面なのだ。
「ふははははは」
待っていろ、ナナイナ。
めちゃめちゃ感動する一言をお見舞いしてやる。
◆◇◆◇◆
「ただいま、だな」
なんて無理でした。
自分で築き上げた高すぎる壁を乗り越えられませんでした。
「会いたかった」「待たせたね」「会えない時間が二人の距離縮めたのさ」程度の軽い言葉くらいしか思いつかない自分の脳みそが憎い。こんな事なら一週間の間に恋愛映画漬けの毎日を過ごし武器を磨き上げれば良かったと自らを呪うしかない。だが、後の祭。今更であった。
結論はシンプルイズベスト。
いいじゃないか。『ただいま』と仕事から帰ってきた旦那様に可愛い奥様が『おかえり♡』それだけで。むしろそれ以外の言葉が野暮という話ですよ。
それにですよ。
そんな事を考えてる時間だけ早く、彼女に会った方がよっぽど建設的だ。
俺はそう思うね。
自分を納得させて、満を持して押した扉は何の抵抗もなく開いていく。
夢の工房に満ちる白い光が、扉の空いた隙間から漏れて向こう側の地面に白い線を描いていくのを見ながら、俺は首を傾げた。
「?」
扉の向こう側から聞こえてくるはずの『おかえり』が聞こえないのだ。
「ナナイナ?ただいま。今、戻ったぞ?」
夢の工房の明かりを受けて部屋の輪郭がぼんやりと浮かんでいる。
そこは倉庫と銘打ってはいるものの、未だ商品の仕入れをしていないせいで棚はスカスカだし、床にも大して荷物は置いていない。
何が言いたいかといえば、隠れる場所はなくこの部屋にナナイナがいないのは明らかということだ。
「いや、諦めるのはまだ早い」
それでも隠れようと身を縮めれば体の一部を晒しながらも隠れられないこともない訳で、……もう一度、視線を彷徨わせるがやはりナナイナは見当たらない。これは薄暗くてよく分からないのもある。
「って、電気つければいいのか。」
動揺しているのか。
そんな簡単な事に気づかないとは。
扉の横にあるスイッチを手探りで押せば、すぐにパチリという音が鳴り、倉庫内に明かりが灯った。
「いない、か。」
明かりの中、改めて倉庫内にいるはずの彼女の姿を探すが見当たらない。いるはずなのに。いないわけ…
「………ま、まぁ異世界も深夜だし、仕方ない。うん、仕方ない。仕方ないなぁ。仕方ないよ。」
何度か頷き、自分を言いくるめる。
現実世界と常識がややずれているこの世界は我らが日本国と違い、時間を細かに気にする文化がないらしい。だから、俺が帰ってくる時間にナナイナがここにいないのは本当に仕方がない。
更に言えば、現実世界とこの異世界の時間の感覚は同じだ。要は俺のいた世界で日が昇ればこっちも朝、日が沈めば夜。深夜0時を回った今現在はこの異世界も深夜真っ只中という訳だ。
夜の灯りといえば蝋燭のような消耗品を使わなければならないこの世界の住人は、勿体ないという理由からこんな時間に起きている人はほとんどないらしいのでナナイナがいないのも当然のこと。
「だから、別に寂しくなんかない。」
唇が痛むのも気のせいだ。
鏡を見ればしっかり噛み締めた歯形が残っているだろうけど。
「待ち合わせてた訳じゃないし、勝手に期待した俺が間抜けだったと。」
とほほ、と肩を落としつつ扉を閉める。
それでも実は?と、未だに部屋の隅々まで目で探してしまっているのがなんとも情けない。
「上で寝てる、か。」
倉庫から2階へと続く階段を見上げると、そこも倉庫同様に電気はついておらず暗い。そんな2階へと階段を昇ろうと思ったが、思い留まる。
(寝顔が見たい。ぜひ見たいが、それが原因で本格的に嫌われたら立ち直れる気がしない。)
深夜に帰りを待っていてくれなかったのはこの世界の時間への常識もあるが、一方でナナイナから俺への好感度がまだそこまで得られていない可能性もあるのではないだろうか。
とすればだ、ここで寝顔を見たくてぐへへ、なんて姿が露見するようなことになれば、更に溝は深まり、今後も異世界に来るたびにこの寂しい思いをし続けなければならないこと請け合いだ。耐えられない。
故にぐっと足に力を込めて、未練がましく階段の1段目に居座る右足を床に引き戻す。
「オレネガオミタクナイ…………よし、切り替えたな?ただ、そうなると困ったな。どうしようか。」
上階を見上げたまま、自分に言い聞かせたのは良かったものの、ナナイナと今後の話をする予定は翌朝まで完全に先延ばしになってしまった。もう良い子は寝る時間だが、現実世界で身体は寝ているかつ夢の工房の効果で眠気とは無縁の俺がこのまま寝て時間を潰すのも、朝までぼーっとしているのもあまりに非生産的だ。
とくれば、この空いた時間に何かをするべきだろう。
さて、どうしようか。
う~ん、と首を傾けつつ、何となく倉庫にある扉が目に入ドンッ
「ぇ」
大きく乱暴なドンッドンッ、音がドンッドドンッ鳴り響いた。




