週末のプロローグ『試』
暫く更新開いてすいません。
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では、本編どぞ
土の匂いがする湿った空気を口いっぱいに吸い、腹に溜め込んだそれを声と共に一気に吐き出す。
「かかってこいやぁ!!」
(俺ってこんなに大きな声出るんだな)
耳に届いた予想以上に大きな自分の声に驚く。
人生において叫ぶ機会なんてものは果たしてどれくらいあるものなのだろう。少なくとも俺が生きてきた25年の人生においては一度もなかった経験な訳で、初めて聞いた声色はまるで自分の声ではないかのようだった。
「けほっ」
(喉、痛ったい。)
ただ、そんな慣れない行動の代償はぴりぴりとした喉の痛みだ。
その不快感を吐き出すために、つい咳が漏れる。
これじゃあせっかく気合いを入れたのに締まらない。
しかもここまでして放った挑発に対して、肝心の相手がポカンと無反応と来れば喉だけではなく心までチクチクと痛むようだ。
(どうした?来ないんですか?)
視線の先、約10メートル。
そこに佇む犬の頭を備えた巨躯はまるで俺の挑発なんか聞こえなかったかのようにただ佇み、こちらを見つめている。その表情から…感情は伺えない。だって犬だし。何を考えているなんか分かる訳がない。
確実に分かる事は俺の精一杯の大声は何の成果も挙げられず、何に反響することもできず深い森にすんっと消えて行ったということだけだ。
(なにこれ寂しいんだけど。えっと、聞こえなかった…訳、ないよな?)
なんとも言えぬ寂寥感に包まれつつも現状を把握するために脳を動かす。
確かにここはトンネルのような狭い空間ではない木々が生い茂る森の中だ。だから、俺の大声が霧散してしまうのは仕方ない。だが、声が完全に消えてなくなる前に彼の魔物の耳には届いているはずだ。
顔の横に垂れた立派な耳が飾りじゃなければ聴力は人間よりもよっぽどいいはずだし。じゃなきゃ何のための犬の頭なのか。
(しかも、ずっと考え事をしている俺を襲ってこないとは魔物の風上にも置けぬ。本物の犬じゃあるまいし"待て"してる場合かよ。う~ん、でもマジでどうしよう。これじゃあ"実験"どころじゃないんだけど。)
何でも夢のように叶う【夢の部屋】から外に出た世界で無事に今後生きていけるかどうかはこれから始める(予定の)実験の結果に左右されると言っても過言ではない。
その実験には目の前の犬型の魔物【コボルト】の協力不可欠なのだ。
故に慣れない大声で頑張って挑発までしたのに、まさか始めることもままならないとは完全に予想外だった。
(もしかして言葉が通じないとか?う~ん、でももう既に一度襲われてるのに今更、言葉がどうこうとかじゃないだろ?というか、魔物なんだから俺を見つけ次第襲ってこいや。なんで獲物側の俺が襲ってくれない事を悩む羽目になるの?)
人生とは本当に上手く行かない
ついさっきまで心の片隅にあった”回れ右してご帰宅して欲しい”という気持ちは何処へやらである。
(こうなりゃ近づくしかないか……自分から行く方が怖いんだけど……あ、そういえば)
ふと、あることを思い出した。
それは目の前のコボルトに最初に出会った時。云わば、最初に襲われた時の事だ。あの時と同じ行動をすればもしかして。確か、別に声を荒げる訳でももちろん挑発をしたでもなかったはずだ。
「えっと、こうして手を挙げ、っ!?消え、たじゃねぇか!?」
奇しくもそれはファイテァングポーズのような姿勢を取った刹那。
視線の先で僅かな砂埃が上がり、毛むくじゃらの巨体が掻き消えた。
(急すぎるだろ!?)
変わる空気に呼吸が詰まる。
突然の出来事に一瞬止まった心臓は、思い出したように激しく拍動する。
『逃げ出せ』
他の臓器達も皆でその答えに同調し、今すぐ駆け出せと赤信号を瞬かせる。
(怖っ!?でも、逃げるな。逃げたって無駄だろうが。もう匙は投げたんだ。今更手遅れなんだから、覚悟を決めろ。)
姿が視認できない程のコボルトの高速移動を前にどうやって逃げるというのか。いらない。もう逃げるという選択肢は存在しないだろ。
挑発なんかしていた段階でこうなることは想定範囲内も想定内のはずだ。それを今更逃げようなんて往生際が悪すぎる。
無意識に後退りしようと下がる足を一殴りして、踏み留まらせる。
痛みで怖じ気を叩き直し、必死に目を凝らす。
逃げ出したいなんて考える無駄な労力を立ち向かう気力に向けろ。
(大丈夫、大丈夫なはずだ。ちゃんと見えていた。)
脳裏に焼き付いているのはコボルトが消える瞬間の光景だ。
(コボルトは一瞬で"掻き"消えた。つまり消える瞬間の残像は捉えられる。)
姿を見失った今は、どこに消えたのか、どうやって消えたのか、いつ消えたのか。もはや、そのどれもが正確には分からない。
だが、コボルトが消える瞬間に何も見えなかった最初とは違う。
確実にこの【強化した視力】なら奴が止まっている状態から動き出す瞬間。
つまり、動き始めの最も遅い動きなら捉えることができるということだ。ならば。
「っ!?こ、こぉ!!」
視界の端に突如、映り込ん黒い影。
それを頼りに半ば無意識に近く、ほぼ勘で腕を掲げる。
同時に風が吹き、濃い獣臭が周りに漂う。
『アッバァアアッ!』
「止まる瞬間なら捉えられるんはぁあんぐっふぅうっ!!??」
攻撃時に立ち止まる瞬間も捉えられるはずだ、という予想は的中しコボルトの巨体から放たれる一撃を右腕で受け止めることに成功した。
が、その喜びに浸る間もなく腕にとんでもない重圧がのし掛かってくる。どでかいハンマーで殴られたかのような衝撃に腕が吹き飛んでなくなりそうだ。
すぐさま攻撃を受けている右腕に左腕を添え、それでも足りずに額を当て、押し返す。押し返したい。
「ぐ、ぐぐぅ〜〜」
身体中の関節がギリギリと軋み、身体を支える膝は今にも割れそうだ。
耐えられず膝を地面に付くが、それで問題は解決しない。
(力、強すぎっ!?)
コボルトは腕一本で俺の胴回り程もある大木をなぎ倒す力を持っている。
だから、この多大な威力は予想していたが、遥かに予想以上だった。
「あ…ああ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あーーーっ」
なんかもう、どうしていいか分からずとりあえず叫んだ。
オリンピック選手が力を出したい時に大声を出す意味を知る。
結局、人間が力を出すために最後に頼ることになるのは叫ぶことなのだと。
だが所詮はそれで底上げされる力など微々たる物で、現状を打破する力などないことも痛感する。
(くそっ、ここまでか……)
所詮、付け焼き刃の対策など巨大な力を前に屈する定めだった。
悟り諦めれば、身体から力は抜け必死に構えていた腕は力なく地面に落ちる。
『バァア』
「ぇ?」
かに思われたが、腕が落ちる前に掛かっていた圧力が急に緩まり…無くなる。奇しくも支えがなくなり、結局腕は地面に落ちることになったが、何とか命を拾ったことに小さく息が漏れる。
(た、助かった。なんとか耐えられた。)
腕がジンジンと悲鳴を上げ、だらんと落ちた手を再び上げることは難しそうだ。ぜぇぜぇと呼吸をする度に、口内に鉄の味が広がる。どうやら必死に食いしばる最中に口の中を噛み切ってしまったらしい。
だが、耐えた。
耐えきったぞ。
満身創痍に近い状況だが、無事に"実験"が成功した事に安堵する。
衝撃の余波で揺れる視界で見ればコボルトが自らの腕を不思議そうに見つめ……再び腕を上げた。
それを何を意味しているのかなんて考えるまでもない。
腕は…やっぱり上がらない。
(まぁ、そうなりますよね)
その無慈悲な一撃を前にできる事は1つだ。
可能な限り力み、再び歯を食いしばり衝撃に備える。
――暇などない。
「【絶対防御】発どっうんがあっ!?」
横腹を襲う衝撃に身体が浮き上がり、その勢いのまま吹き飛ぶ。
視界はぐるぐる回転し、脳みそがシェイクされる不快感にさっき食べたばっかりのツナマヨおにぎりを戻しそうだ。殴られる直前に口を開いたもんだから舌でも噛んだのかさっきよりも派手に口の中に血の味が広がる。
「あだっ!?」
地面に不格好に落下した衝撃に蛙の潰れたような声が漏れ、勢いのままスライディングしてもなかなかスピードを殺せず、地面に自らの身体で轍を刻む羽目になる。
『ハハハハハハァッ!!!!』
耳に地面を削る音を聞きながら、遠くで不気味な笑い声がする。
それが誰の物かなんて視認する必要などない。
「痛ぅ〜〜〜っ」
ようやく勢いが止まった全身が痛い。やはり口の中を切ったのか吐き出す唾が赤く染まり、たった一撃を受けただけの腕はもはや痛いというよりは感覚がない。特に酷いのは最後に殴られた横腹で、もはや抉れているんじゃなかという痛みに顔が歪む。
恐る恐る、服を捲れば皮膚は赤黒く変色し、見るも無惨な状態で……
「ぉ?くくっ…痛てて。笑うと響く。」
あったなら、本気で意気消沈していたところだ。
こんなに痛い思いをして全く成果を得られないなんて堪らない。
指でなぞれば確かに痛いが、痣もなく綺麗な状態の皮膚につい笑みが零れる。
ちゃんと【硬化した皮膚】は機能してくれているらしい。
『バァ?』
俺のその様子にさっきまで嗤っていたはずのコボルトが間の抜けた声を出す。それも当然だろう。たった数撃でボロ雑巾のようになった獲物がヘラヘラ笑っているんだから。
「殴られた腕も血は出てないし、地面に擦ったところも傷はなし。実験その2も大成功。ただ、実験3は失敗か。それでも道具だけじゃなくて俺自身にも設定可能なのはひと安心だな。このくらいの強度でこのくらいの痛みなら…ふむふむ。なるほど。」
この森でコボルトを前に用意してあった実験内容は"3つ"
1つは水をいくらでも生み出すコップ。
この実験で夢の部屋で想像した道具が外に持ち出せることを確認した。
そして、もう1つはコボルトの動きを捉えるための【強化した視力】と攻撃に耐えるための【硬化させた皮膚】を備えた俺自身だ。
これも無事に発動し、夢の部屋では道具のみならず自らにも【設定】が出来ることが分かった。
ただ、視力も皮膚もどのくらい強化したらコボルトの攻撃に対応できるか分からなかったからほとんど目分量だった訳だが、どちらも何とかなって一安心である。
「ただ【強化した筋肉】が無いも同然だったのはショック過ぎる。どんだけ怪力なんだよコボルト。追加で強度を増す【絶対防御】が発動しないのは、夢の部屋外では設定できないっていうコップの条件に該当するから期待してなかった……こともなかったけど。まぁ、仕方ない。」
自分の身体なら夢の部屋外でも好きな効果を発動できるだとっ!?的なチートがあっても全然良かったんたけど、想定外が起こるよりはずっといい…はずだ。
『ガァッアッアッアァアアァア』
「っと。考え事してる場合じゃなかったな。」
実験結果を反芻するのに夢中で、空気を震わせる声を聞くまで自分を脅かす存在の事を若干忘れかけていた。
視線を上げれば、血走った眼を剥き出しに吠える異形が駆け出そうと構えたところだ。そして、またしても僅かな残像を残して消える。
(相変わらず何も見えない)
消える瞬間こそ見えたものの加速し始めたその巨体は肉眼で捉えられない事実は変わらない。ならば暫くもしないうちに目の前に現れるコボルトが俺を蹂躙する未来も変わらないだろう。
だが、そこにさっきまであった恐怖はない。
理由はコボルトの攻撃が俺に致命傷を与えることができないと分かったから。
そして、最後の実験を始めるからだ。
「攻撃が効くといいんだけど」
構えた拳銃の銃身が鈍く光る。
「実験その3、開始っと」




