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週末のプロローグ『森』


"異世界に行ってみたい"


そんな事を考えた瞬間に目の前に扉が現れた。


飾り気のない質素な造りの扉は壁に備え付けられている訳ではなく、真っ直ぐに床に自立して立っていた。


扉の向こう側に部屋はなく、扉としての役割をさらさら果たす気がない様子は本来ならあり得ない不思議な佇まいのはずなのに、どこか既視感のある光景だった。


(俺の想像力よ…いや、これは想像じゃなくて歴としたパクりか。)


どこからどう見てもこりゃあ某どこにでもいけそうな扉だ。たぶん、行きたい所へ行けるというイメージを反映したのだろう。


だってここは俺の夢の世界なのだから。


ピンク色じゃなくて、茶色なのがせめてもの抵抗なのかもしれない。その小さなプライドが逆に悲しい。



『カチャ』



ドアノブを捻れば小さな音が鳴った。

一瞬、ふわっとした浮遊感があった気もするが、他には特に何もないらしい。


(触れても特に悪影響はない、か。静電気くらいはあってもいいのよ。痛みで目が覚める可能性が…はないか。)


痛みで目が覚める、なんて寝ている人を起こす定番が効かないのはもう実施済みだ。少なくとも、自分の頬をつねったくらいじゃ目が覚めない程に俺は爆睡してるらしい。それなりに痛かったんだけどね。


(早く目覚めて欲しいもんだ。けど、せっかくならこの扉の向こうが気になります、自分。)


端から見れば扉の向こうに何も無いのは明らかなのに、この扉を開けた先がどこかに通じているという確信があった。その根拠はここが自分の夢だからであって、某アニメの影響ではないと思うことで自分の尊厳を保ちたい。


兎にも角にも扉は押せば何の抵抗もなくゆっくりと開いていく。

鍵なんかはかかっていないらしい。そもそも鍵穴がないのだから当然か。


「さてさて。鬼が出るか蛇が出るか。ん…何も見えない」


完全に開かれた扉。


気になる向こう側はといえば真っ暗だった。

明かりは見当たらない。上下左右を見渡すが暗闇しか見つけられる物はない。


「こんな世界に行きたいなんて言ってないよ?俺が行きたいのは異世界ファンタジー…?」


落胆しつつ、ぼーっと真っ暗な世界を見つめていると、徐々に朧気ながらに暗闇の中に境界が生まれ始める。


(あぁ、なるほど)


次第にはっきりしてくる世界はどうやら完全な暗闇の世界ではなく、ただただ薄暗い場所らしい事が分かる。


つまり今、目の前が黒一色なのは真っ暗で何も見えないのではなく、真っ白な明るい部屋から急に世界が暗くなったが故に目が暗闇に慣れていないだけらしい。


理屈が分かれば焦る必要はない。

落ち着いて、目が慣れるのを待つことにする。


「ん~~~、これは木かな?」  


ぼんやり見える黒色の視界に混ざるのは地面らしい濃い茶色とそこから長く伸びる毛色の違う茶色。見上げれば、濃い緑が空に広がっている。


「……が、たくさん。森、か。」


木らしいシルエットはてっきり1本かと思っていたが、鮮明になった景色は数多の木々で覆われていた。


数えるのが億劫な数の木、木、木。そんな木達が天を突かんと高く高く上に伸びている。幹の太さもなかなかでパッと見でも俺の胴回りは優に越えているのが分かる。


そんな立派な木に覆われているせいで、日差しが十分に届かないのだろう。地面は湿気が多くジメッとしていて所々に苔が生えている。


森閑とした、とはこんな雰囲気をいうのだろうか。

まるで沖縄の屋久島のような場所だ。


「とはいえ、日本じゃないよな…ぎもち悪っ!?」


冷たい感覚が足を襲う。

慌てて見れば素足の裏が泥に汚れ、じっとりと濡れていた。


「あっちゃあ。そういえば俺って裸足だった。てか、寒っ!?」


釣られるように無意識に目の前の森に一歩踏み出したところで自分が靴を履いてないことに気がついた。


というか、楽しく遊んでいたせいで全裸だった。

そりゃ寒いわけだ。


湿気を含んだ風が体温を奪い、ゾクッと身体を震わせるもんだから、元いた位置に戻る。腕で身体を抱けばまだ小刻みに震えていた。


「うぅ~、これは辛いぞ。さすがに裸で森歩きは死ねる。しかも、素足とか馬鹿かな?滑って転んで全身グショグショになる未来しか見えない。えっと服はっと、あったあった。」


森を映す扉を振り返り、脱ぎ散らかした服を探せばすぐに見つかったがそこで、とある問題に気がつく。


「靴が、ない……そりゃあそうだけど困った。服もこれじゃあなぁ……う~ん」


この夢の世界に着てきた服とは、つまり俺がうたた寝した時の格好そのままだ。上着は帰ってすぐに脱いでいたし、靴下も履いていなかった。


要はトランクスパンツにズボン。そして薄手のTシャツという初期装備でゴリゴリの森林を探索するのは厳しいという話だ。

極めつけに純日本式の我が家は土足厳禁な訳で靴もない。

アメリカ人が家の中で靴を履いているのはこんなときの為なのかもしれない。新説である。


「あ!でも、拳銃が許される国だし、何かあったときに逃げられるように、とかもあるんかね?暴漢とか災害とか、ってそんな風習は今はどうでもいいか。う~ん、さすがにこの格好は森の中を歩くのは寒いだろうし、靴が無いのも論外。あんなぬかるんだ地面をまともに動ける訳ないし、それこそ何かあっても走れやしない。じゃあ、諦めて、またお姉さん達と……ん?……あ、お!もしかして」


そこで1つの案を閃く。

きっかけはお姉さん!ありがとう!


絶対に上手くいく自信に予めお礼を述べる。


「お姉さんがいけるなら余裕でしょ!【服】と【靴】出でよっ!」


叫ぶと期待通りの成果が発現する。

目の前の床の上に見るからに暖かそうな上着と、ピカピカのスニーカーが現れた。


「よっしゃ、予想通り。夢って超便利。」


好きな女性を好きなだけ具現化できる夢の中。

このくらいはできるかと想像してみれば御茶の子さいさいってね。


袖を通した上着は保温性ばっちりでぽかぽか。スニーカーは普段使ってる物だから予想通りのフィット感。いやいや、普段履き慣れた靴よりも更に履きやすいくらいだ。


数度、床を踏み鳴らして感触を確認した後、いざ、森の中へと一歩踏み出す。


白い部屋の硬い床とは全然違った地面の柔らかさがスニーカーを通して足に伝わってくる。


「森歩きなんて久しぶりだ」


田舎で暮らしていた頃はこんな足場の場所を歩くこともあった。ただ、それも雑木林のような感じでこんなに立派な森は初めての経験ではある。しかもそれはかなり昔の事だから、もはや無いも同然の経験だ。


(それでも、懐かしい記憶くらいは思い出してもいいはず。そういえばあの雑木林はどうなったけ?駐車場にでもなったような。)


そんな呑気なことを考えながら歩く。

景色は変わらない。ずっと森だ。


「ここって異世界なのか?森の中じゃあイマイチ実感が湧かない」


念の為、時々振り返りつつ足跡が消えていないことを確認して、来た道を失わないようにはしているものの、特に何が起こるでもない。静かな森に俺の足音が響くだけだ。


(それこそ日本でもこんな場所はあるだろうし、北欧なんかも静かな森が広がっているイメージだ。)


ここが異世界ではなく地球のどこかを再現している可能性も捨てきれない。行ったことはなくても、テレビで見た景色を夢の中に投影しているのかもしれない。


「森、異世界……といったらやっぱりエルフだよなぁ。」


男性も女性も顔が整っていていつまでも歳を取らない長く尖った耳が特徴的なファンタジーの定番。


映画なんかでもよく描写されるエルフなんか出てきてくれればここが異世界だと実感できるのに。



(って、そもそも夢なんだから想像すりゃあいいのか。そういえばエルフさんにはお相手してもらってなかった。)


ごくり、と生唾を飲み込む。


この服や靴を始め、考えた物が出現する夢の部屋では、女神様に始まり、人気アイドルや女優、かつて憧れた学園のマドンナなんかそりゃあもう楽しませてもらったがエルフさんは思い至らなかった。


え?俺がエルフ嫌いだからかって?

バカ野郎。そんな訳ないだろう。


エルフちゃん、大好きです。

ってさっきはもう飽きただの言ってたくせに俺ってば元気かよ。


「まぁ、夢の中だし性欲も思いがままの底知れずってことですよ。じゃあ、行ってみよー。出でよ、エルフのお姉さん♪」


外で、しかも静かな森の中でエルフのお姉さんとあんなことやそんなことをする。悪くないんじゃないかな!


なんて、下品な想像をした訳だが。


「………あれ?エルフのお姉さ~ん?」


おかしい。

何も起こらない。


辺りを見回すが望みの巨乳エルフさんは見当たらない。


(あれ?今までは想像した瞬間に臨戦態勢バリバリの綺麗なお姉さん達が出てきてくれたのに。ん~想像力が足りなかった?)


もうちょっと具体的に想像してみるか。


耳は尖っていて、目はちょっとタレ目気味。

鼻はすーっと高いのに見た目は幼い感じ。

胸は大きめのムッチムチ。


服は…考えるのめんどくさいから無しで。



それから、えーっと



 『カサッ』



不意に布が擦れるような小さな音が背後から聞こえた



「ようやくお出まし……ん?後ろ?なんで?」


待望のエルフお姉さんの登場に期待が高まる一方で、これまでと趣の変わった登場に小さな疑問が生まれる。


(サプライズも嫌いじゃないから別にいいけど。だが、俺を驚かせた罪は重い!ひぃひぃ言わせて……)




『ハッ、ハッ、ハッ』




"それ"はエルフのお姉さんにしては毛むくじゃらで顔が長かった。変な形の耳はエルフの尖った耳とも、ましてや人間の耳とも違い、顔の横からダランと垂れている。ダラダラと涎を垂らす口はまるで裂けたように大きく、荒い息を吐く度に鋭い牙が見え隠れしていた。


(えっと、どちら様?………犬?)


距離にして10メートルくらいだろうか。

犬に似た謎の生物が茂みから顔だけを覗かせ、血走った眼で俺を見つめていた。



『ハッ、ハッ、ハッ』



静かな森に荒い息が響く。

どうやらさっきの小さな音は布が擦れる音ではなく、あいつが草を掻き分ける音だったようだ。

 


沸いた疑問を確かめる為に目を凝らして、その犬を見つめる。



(野性味はかなり強いけど、ラブラドールあたりに顔は似てる気がする。いや、ゴールデンレトリバーもあんな顔だったような……まぁ、どちらにせよ、あの顔は犬だよな。うん。犬に間違いない。間違いないんだけど……)



「本当に犬、か?」



どんなに観察しても疑問が拭えない。

どっからどう見ても犬なんだが、俺から見えている2つの情報がその判断を悩ませる。


1つはその犬の顔が茂みの"上から"俺を覗いてる事。

そして、もう1つはその茂みが"俺の背丈"を優に越えているという事だ。


(でかすぎんか?)


仮にあの犬がチンチンの芸、もしくは茂みに捕まって立ち上がっているとしても、あの高さの茂みから顔を出せる犬となればかなりの大きさだ。


世界最大の犬は立ち上がると2メートルを越えると聞いたことがあるから、無くはないかもしれない。けど。



(犬なら犬らしく正々堂々、下から来いよ。)

 


ただ、今、目の前にいる存在がそんな大型犬だとしても、俺の事を立ち上がった姿勢で覗いている意味が分からない。犬にとって楽な姿勢でもあるまいし。


犬なら四足歩行で地面を歩きながら登場するのが筋だろう。

犬の筋を通さないあれは本当に犬なのだろうか。



『ハッ、ハッ』



なかなか答えの出ない疑問は前足で茂みを掻き分けながら歩み出た謎の犬自身によってあっさりと解決する。



「ぅぉ………やっぱり魔物、か」


"やっぱり"、そして自然と。


口から出た単語はありふれた、でも決してありふれてはいない存在の名だった。


顔と同じ硬い毛で覆われた身体はやや前傾の姿勢ながら、2メートルを越える程に大きく、ひょろりと細身の身体に似つかわしくない鋭い爪を指先に持っている。


それはどう見ても犬じゃない。


少なくとも俺が持ち合わせる知識の中にあんな禍々しい犬種はない。もちろん、狼でもなければ、ライオンのような大型の猫でもないのは明らかだ。


他にも色々と可能性は浮かぶが、あれを説明するにはどれも力不足だと、完全に失われた俺の野生の本能が告げている。


自然と滲む手汗が。無意識に震える膝が。

ゾクゾクと悪寒が走る背筋が、恐怖に激しく脈打つ心臓が叫んでいる。


あれは地球上に存在してはいけない邪悪な雰囲気を纏っている、と。



【魔物】



その存在を言い表すのにこれ以上の表現はない。

言葉にしてみればストンと腑に落ち、納得する自分がいる。


(なんだ、そりゃ?なんでこんな形で魔物と会わなきゃいけないんだよ。)


感じたことのない謎の不安感を煽る存在。

その存在の登場に俺は、


「ふざっけんなよ!異世界最初の魔物は美少女とセットって決まってるでしょうが!俺じゃなくて美少女を襲え!そして、颯爽と登場する俺に退治されてろ!俺の夢のくせに分かってねぇなぁっ!」


盛大に大きく叫んだ。


だって、そうだろう?

ファンタジーに出てくる初登場の魔物なんて主人公(俺)に倒される為だけに存在しているようなものだ。主人公のチートを分かりやすく読者に伝える為のリトマス紙だ。


だから、魔物が登場したのはいい。

許せないのは手土産がない事だ。


どうせ殺られるだけの魔物(おまえ)の仕事が殺られる事だけな訳がないだろうが。本来の役割は第一異世界人との友好の架け橋でしょうが。


美少女を襲うんだ。お礼を貰えるから行商人でもいい。

お忍びの王女様を匿う騎士団でもいいし、最悪村娘なんかでもいいんだ。


それを颯爽と助けて、感謝したいと訴える美少女を旅のお供にするもよし、実は貴族なその娘が行く行くは旅先で手助けしてくれたり、王女様と成し遂げる身分の差を越えた恋のきっかけにだってなるんだよ。


そしてなんやかんやで皆でハーレムエンドなんだよ。

分かるだろ!


なのに野郎と魔物ソロとか誰が得すんだよ。

自分の夢なのにこの仕打ち。あんまりだ。


「はぁ~、俺の夢の癖に情けない。無駄に魔物のクオリティだけ上げやがって。まったくどうなってるんだか。魔物(おまえ)魔物(おまえ)で焦らして出てくる演出いらないから」 



『ハッ、ハッ、ハッ』



俺の声が届いた魔物が………今度はうろうろと左右に動きながら俺の方へゆっくりと近づいてくる。それはまるで俺の様子を伺っているかのようで、イライラせずにはいられない。


(警戒してるフリもこなすとか、本当に無駄な所ばっかりクオリティ高い。早く来いって言って、るだろ、う……って、え?でっかぁ)


徐々に距離が近づくにつれ、犬の魔物の身体が思っていたよりも大きいことに、つい息を飲む。


自分の夢の産物にも関わらず、かなりの迫力だ。

現実にいたら金が取れるクオリティだろう。


綺麗な二足歩行ができる巨大犬なんてテレビで大人気は間違いない。CMにも引っ張り蛸で、見ない日はないはず。


(そういえば犬型の魔物の名前ってなんて言ったけ?確か……コボルトだっけ?じゃあ、差し詰めこのゆるキャラは【コボルトくん】か。そう思うとなんか可愛く見えて来た。)


テディベアのようなぬいぐるみと思えば大きな身体は安心感があるし、血走った赤い目だってウサギのように見えてきた。


(魔物って言っても所詮夢の中だしな。怖がるのが阿保らしい。)


夢の中には恐ろしい体験をする怖い夢もあるが、これが夢だと認識してしまった俺に取っては魔物なんか怖いうちに入らない。


美人なお姉さん達と同様にいつだって好きに消し去ることができるのだから。なんなら戦ってもいい。この世界の決定権を持つ俺に敵うわけがない。本当に夢はサイコーだ。



(というわけで、そろそろおっかないし消えてもらおう。)



気がつけばコボルトくんとの距離はあと5メートルほど。 

その体躯ならあっという間に詰められる、そして荒い息遣いが直に感じる距離になっていた。



俺は腕を正面に伸ばし、手の平をコボルトくんにかざした。

意味はない。なんとなくポーズを取ってみただけだ。


雰囲気が出るだろう、と。

ただそれだけのことだ。



『消えろ』



強い意志を言葉に込めて呟くと、


『ッ……………』


コボルトくんは小さな息のみを残して、その場から跡形もなく消えてなくなった。やはりどんなに邪悪に見えても所詮は俺の夢の住人に過ぎない。


「ふっ、雑魚め」










『………ハッ、ハッ、ハッ』



え?


なんで息の音がこんなに近くで


『ハッ、ハッ、ハッ……ハ、ハ、ハハハハハハハハァ』

「っ!?」




俺は早く気がつくべきだったんだ。



森の中にエルフのお姉さんではなく魔物が現れたことに。柄にもなく、急に大声で叫んだのは俺の中に僅かに残っていた本能が鳴らす必死の警鐘だったことに。



コボルトが振り下ろす腕を視界の尻目に捉えたのを最後に、俺の視界は暗転した。



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