奴隷を買いに来た
『コンコンッ』
木の扉を叩く音が室内に響いた。
書類仕事のために忙しなく働かせていた手を止め、音がした方向に目をやる。
「支配人いらっしゃいますか?」
「えぇ。開いています。」
ノックの後に続いた声は聞き慣れたものだった。
『キィッ』と音を立て開いた扉の奥に立っていたのもやはり予想通りの人物。見知った顔だ。
「失礼します」
制服をきっちり着こなした私の専属秘書である彼女は格好に相応しい丁寧なお辞儀を一つしてから、私の執務室の中へと入って来た。
(ふむ)
普段と変わらない所作。
故に書類の傍らにペンを置きつつ、首を傾けざるを得なかった。
「どうしました?今日はもう予定は無かったと記憶していますが。」
「申し訳ありません。実は、その、下の階で少々問題が起きまして…」
やや声量の落ちた声で申し訳なさそうに彼女は視線をさ迷わせる。
(問題……揉め事、ですか)
彼女の報告にほんの少しだけ頭が痛む。
下の階ということは接客の問題だろう。
(やれやれ)
こんな仕事をしていればどうしても問題が起こる事は仕方がないと割り切っている。ただ、いくら割り切ろうと問題など無い方が良いと思わずにはいられない。
もちろん問題や課題から業務の改善を見込める事もあるから一概に全てを迷惑と決めつけるのは乱暴かもしれない。ただほとんどの場合が得る報酬が少ない、云わば言いがかりのようなものなのだ。
(先日だって……いや、止めましょう)
モヤモヤと考える事を不毛と判断する。
何故なら有益だろうと無益だろうとこういった問題に共通するのは延々と悩むよりさっさと相手の話を聞き、対応に取りかかり、迅速に解決するのが肝だという事。そして、それが支配人という自分の仕事なのだから。
目の前にいる秘書が"何か問題があれば報告に来る"という仕事を全うしているのと同じように。
(おや?)
ただ、そうするとおかしな点がある。
「この時間に御客様ですか?」
壁に掛けられた時計を見れば、時刻は夕刻を越えていた。
窓の外もうっすら暗くなり始めている。
要は本日の営業時間を過ぎているのだ。
もちろん、時として営業時間外に特別な御客様を対応することはあるが、今日はその予定もないはずだ。そんなことは私の予定を管理する秘書の彼女が知らない訳もない。
「はい…その、営業時間は終了したとお伝えしたのですが、入り口の外で騒ぐもので、仕方なく扉を開けたところ……これを支配人に渡してほしいと。さもなくばここで更に騒ぐと…申し訳ありません」
私の視線はおずおずと動く彼女の手に留まる。
そこにはどこでも買えるごく一般的で何の変哲もない封筒が握られている。
彼女から差し出されたそれを受け取り引っくり返してみるが、差出人の名前はない。
ふむ、と一呼吸置いてから、仕方なく中身を確認…
「………はぁ。なるほど。分かりました。ちょうど今仕事が片付いたところです。すぐにお伺いする旨、お客様に伝えなさい。」
「え!?あ、はい。ありがとうございます!」
入ってきた時と比べるとそれはもう素早くお辞儀を済ませ、秘書は部屋を出て行った。それも仕方ない。騒ぐぞと突入してきたお客様を長々と待たせることはさぞや不安だったろうから。だから扉を閉め忘れても仕方がないことだ。
『キィ パタン』
自分で扉を閉め再び椅子に腰掛け、やりかけの仕事を手早く仕分けていく。
これ、それ、あれ……は戻ってきた後で問題ない。
これだけは認印を押して、後で秘書に渡して……まぁ、最悪残りは明日でも大丈夫でしょう。
(今日も帰りが遅くなりそうだ。)
改めて立ち上がり、ついさっき閉じられた扉を再び開ける。
「これならいっそ苦情の方が良かったですかね」
仕事に不要な弱音を執務室に置き去りに。
代わりに襟を整え、背筋を伸ばして、自らの戦場へと赴くことにしよう。
◇◆◇◆◇
「いらっしゃいませ、お客様。大変お待たせしました。」
「奴隷を買いたい。見せてもらおう。」
応接室に入るや否や腰掛けた男性は開口一番にそう言った。
ただその程度で動揺する事はない。
「奴隷を買いたい、ですね。もちろんでございます。当店をお選び頂きありがとうございます。」
「御託はいい。」
男性は黒い双眸を私一点に見据えたまま小さく口を動かす。黒い眼に相応しくこれまた黒髪という風貌はこの辺では見かけない珍しい姿の御客様だ。
(ふむ、口調から察するにずいぶんと嫌われているですが、残念ながら見覚えはありません。さてさて、そんな嫌われ者の私にどんな厄介な注文をするのやら。)
「どうした?」
「いえ、何でもありません。こほん。では、早速ですが本題に移らせて頂きます。本日はどのような商品をお探しかお伺いしてもよろしいですか?」
「あぁ……女の奴隷だ。見た目が良いのが欲しい。」
(ほら、厄介な……おや?)
「申し訳ありませんが確認させてください。見た目が良い女の奴隷……つまり愛玩用でございますか?間違いないでしょうか?」
「あぁ」
「……なるほど。それでしたら当店には多数揃えております。何かご希望の特徴はありますか?」
「顔が良ければ、良い。えっと、他には……いや、顔が良ければそれなりに楽しめる。とりあえず顔だ。」
「分かりました。ただ、それですとやはり候補となる商品がかなりおります。何か些細なことでも構いませんのでご希望はありませんか?」
私の質問にお客様が瞳がほんの少し揺れる。
「そうか……じゃあ……恥ずかしい話だがあまり持ち合わせがない。可能な範囲で安い奴隷だと助かる。病気持ちでなければ身体の一部が欠損していても構わない。」
「かしこまりました」
その答えににこりと微笑むことに成功した私自身を褒めたい。
(これは、どうしたことでしょう)
おかしい。至って普通の注文内容だ。
いや、むしろ簡単ともいえる。
愛玩用の奴隷が欲しい。
だだし、持ち合わせがない。
だから、欠損品でも構わない。
そんな相手に性欲の解消を?等と思わなくもないが、職業柄そんなことを気にしてはいられないので、性癖はどうでもいいと切り捨てる。
その上で提出された条件を改めて頭の中で復唱する……やはり、ずいぶんと助かる話だ。要は廃棄品を買いたいと言っているに等しいのだから。安くて最高のモノを寄越せと言われるよりずっと素晴らしい。
「あ……、そうだ。条件といえば思い付いたんだが、他にさせたい事があるから何か特技か、何か特殊な力とかあるといい。あ、でも、もちろん顔が優先、だがなっ!」
「かしこまりました」
まるで私の安堵を察したかのように御客様が追加の注文を申し出た。
(さすがに簡単にはいきませんか。ですが、それを踏まえても大した条件じゃないですね。何故このような方があの便箋を……いや、止しましょう。)
疑問がいくら沸こうと我々がやるべき仕事は1つ。
それは変わらないのだから。
「こほん。改めて確認です。手頃な値段の奴隷なら部分欠損でも構わない、ですね。まずは顔の見た目優先で。よろしいですか?」
「あぁ。」
「では何人か見繕って参りましょう。少々お時間を頂きますが、また日を改められますか?」
「いや、すぐに欲しいんだ。待たせてもらう。」
「分かりました。ではお待ちください。」
「あぁ、頼んだ」
◆◇◆◇◆
「安い奴隷がいい、ですか。変わった風貌をしているだけでよく見れば着ている服もありきたりな物ですし、あまりお金は無い様子。恐らく少々貯まったお金で試しの贅沢っというところでしょうか。」
「そのようですね。あのような客の為にお手を煩わせてしまい本当に申し訳ありません。」
隣を歩く秘書が首が取れそうな勢いでペコペコと頭を下げている。
「落ち着きなさい。構いませんから。貴女は悪くありません。悪いのはあの便箋を送ってきた者です。それにそんな"御客様"あってこそ我々の商売は成り立って……っと、私も少し口が滑りました。忘れなさい。」
「はい」
秘書とそんな話をしながら廊下を歩いていると程なくして目的地であった、とある扉の前に辿り着く。
『カチャリ』
「愛玩用の【商品記録】を見せてもらえるかな?」
「あ?もう、営業時間はとっくに………え?支配人!?どうしてこんな時間に!?」
本棚を整理していた青年が化物でも見たかのように狼狽する。
慌てた拍子に手に持った荷物を床に落とす始末だ。
「落ち着きなさい!支配人が直々にここに来た事情を説明する時間が勿体ないです。早く商品記録を出しなさい。」
「は、はい!すぐに!」
一歩前に出た秘書が記録係の青年を叱咤する。
それに反応した記録係は落とした荷物もそのままに更に慌てて本棚を漁り始めた。
(そんなに驚かなくても。まぁ、確かに支配人自ら商品を探しに来るのも稀な上この時間ですし仕方ないですか)
背後から私に睨まれている考えているのか記録係はぐりん、と音がしそうな勢いで振り返った。首折れますよ?貴方を睨んでいるのは私の秘書ですから安心しなさい。
「支配人っ!どうぞ、商品記録です。」
「ありがとう。仕事が早くて助かります。」
「いえ!そんな!当然の事です!」
否定するようにブンブンと顔の前で手を振る彼を尻目に私は手元の商品記録へと視線を落とす。表紙に書かれた『商品記録』の文字を確認してから頁を開く。
(ほぅ)
店で扱っている奴隷を記録してある【商品記録】は価格帯別に綺麗に整理されていた。つい息を呑んでしまう程に。
だいたいの価格に目星を付ければすぐに目的の商品が載っている頁が見つかるようになっていた。
「良くできた仕事です。」
記録係の彼の仕事ぶりに舌を巻きつつ、パラパラと最後の方の頁へと指を進める。そして辿り着いた"低"価格帯の頁で指を止め、ゆっくりと上から下へと指をなぞる。
「顔が良く、病気なし。欠損程度なら問題なし。そして特技か特殊な力がある、ですか。」
改めて御客様の条件を口に出す。
するとその条件がほんの少しばかりではあるものの難しい注文だと感じる。
顔が良い商品なら中価格帯以上ならいくらでも用意できる。
今回の条件ももう少し予算が多ければ余裕で達成できるものだ。
「少し予算を上げるだけで不利な条件を考慮する必要はないと助言するべきでしたかね。一応、該当する商品も低価格にいるにはいます、が」
低価格帯の商品とはいえ愛玩用の商品として扱っている以上、顔が良い者は多い。だが、どうしても価格が安い理由を無視するわけにはいかない。
例えば顔が良くても廃棄寸前の病気持ち、虚弱体質。はたまた元々奴隷で使い古されたような者。もしくは性格に酷く難があり、すぐに返品されるような問題商品。それから正に身体の一部を欠損している、など。
「まぁ、いくらか見繕った中にお気に召す商品が無ければ予算の相談をしましょう。」
済んだ話を思い悩んでも仕方ないと思い直して、改めて商品記録を見つめる。
商品記録には奴隷達の識別番号の他に簡略的な情報が記載されている。【容姿】もその1つで【高】と表記されている、要は見た目が良い者達の探す。更にその上で大きく購入の妨げとならないだろう悪条件が付随している者を選抜していく。
「これと、これとこれ……それからこれ…ふむ。こんなものでしょう。この商品の詳細を教えなさい。」
「はい!少々お待ちください。」
後ろで控えていた記録係は指示を受けるとサッと部屋を飛び出て、瞬く間に姿を消した。
(あの様子ならすぐに戻ってくるでしょう。)
商品の細かな情報は日頃世話をしている者達の方が詳しいのは言わずもがな。彼は世話係りの者達から詳細を聞きに向かったはずだ。
「執務室に戻られますか?」
「いえ、ここで待ちます。どうせやることは変わりませんから。」
彼が帰って来るまでのしばらくの間に考えをまとめることにする。
どのくらいの価格から提案して交渉して行くか、妥協点はどこか、付属品は何を付けるか、譲れない点はどこか。
(とはいえ今回のお客様は"低"価格を希望した"低"位置のお客様。そこまで神経質になる必要はないのかもしれません。)
ふと、そんな考えが沸く。
もちろんお客様毎に差別するのは良くない。
分け隔てなく我が店の御客様だ。
ですが、そこに違いがあるのはどうしようもない真実で間違いないことなのです。差別とは違う。強いていえば区別でしょう。
何が言いたいかといえば、要は特別へりくだる必要はない。
そういうことです。
(低いとはいえ、今後、お得意様になる可能性もないことはないですしね。対応はいつもと変わらず、丁寧に。それにだ。その程度の御客様があの便箋…紹介状なんかを持って来たのもひっかかる。余計な"弱み"を見せるのは的確でないでしょう)
便箋の中に入っていた私の店への紹介状。
その差出人を聞けば、秘書が無下にできなかったのも頷ける。
『コンコン』
「支配人。戻りました。」
思考の狭間を見計らったかのようにノックの音が響いた。
「どうぞ」
「はい。失礼します。商品についての詳細を報告します。まずこちらの商品ですが……」
「ふむ」
(想定以上に戻ってくるのが早かったですね。結局、商談に関係ない事を考えてしまいました。)
必死の形相で駆け回っていたであろう記録係の姿を想像すると笑いが込み上げてくるが、ここで急に吹き出しては彼も気分が悪いだろう。笑いが漏れる前に口を開く。
「さて、御客様のご希望に沿う商品があると良いのですが。」
◇◆◇◆◇
「そこは段差ですので、足元にお気をつけください。」
「あぁ……痛てっ」
僅かな光が灯るぼんやり薄暗い通路はそれこそ案内がなければ、すぐに躓いて派手に転倒してしまうだろう。頭上のでっぱりも教えてくれれば最高だ。
「大丈夫ですか!?重ね重ね申し訳ありません。本来でしたら商品を御客様の元へとお持ちするべきでこのような場所に直接ご案内する事はないのですが……本当に申し訳ありません。」
「構わないさ。こちらが希望した条件なんだ。まぁ、できればもう少し明るいといいけどな」
「ありがとうございます。では、こちらです。」
「ほぅ」
支配人を名乗る男に案内され、粗末な通路を進み、辿り着いた部屋には頑丈に柵が取り付けられていた。もちろん唯一の扉には同じく頑丈そうな錠前が取り付けられ、しっかりと施錠されている。
「厳重だな。」
「優美さの欠片もなく、お恥ずかしい場所でございます。万が一に備えておりますので……そして、あれがご紹介する商品になります。」
薄暗い空間で"お恥ずかしい場所"と紹介されても全貌なんか見えやしない。
それでも何とか目を凝らし、支配人の手が示す商品とやらを探す。
だけど通路でさえこれだけ暗いのに檻の中なんて尚更見える訳がない。ぱっと見て分かる事なんて6畳もないだろう部屋であること。それからあまり物がないことくらいだ。
まったく。
こんなに暗くて、湿気が濃くて、臭くて、殺風景な癖に掃除は適当なのかしっかりと埃は落ちてて、食べ残しを漁るネズミが俺達に気がついて立ち去るような空間に本当に………
いた
店主のいう『商品』が。
いや、違う。確かにそこに『彼女』がいた。
ぼんやりとした虚ろな眼。
何かを見つめるでも探すでもなく、ただ、淡く光っているだけの瞳。
「あんな様子ですが病気はなく、他に飼われていた事もありません。ご希望の通り、顔も悪くないかと。」
「…………」
暗くて良く見えないが、ほんのり赤い髪をしている、か?肌は褐色っぽい。輪郭は……くるまった布が邪魔で良く分からない。
「あの、御客様?」
「え、あ、はい?なんでしょう?」
「もし良ければ檻から出しますが?」
首を長くして、なんとか彼女の顔を覗こうとする俺を見かねた支配人がそう提案してきた。
「あ、お、おう。じゃあ。そうしてくれ。」
「承りました。少々離れてお待ちください。」
支配人に指示された男性が錠前を開き、檻の中へと入っていく。
(俺の条件の上で見繕ってくれたなら変な顔ではないだろうけど。)
「御客様。こちらがご希望に沿うと思います商品【手足の欠損した半炭鉱婦】の娘でございます。」