097.枕上の叫び
「あーーー! あーーーー!!」
自分以外誰も居ない家の中。自室にそんなくぐもった声が聞こえてくる。
「あ゛ーーーーー!あ゛ーーーーーー!!!」
言葉に段々と濁りが混じってきて、力いっぱい叫ぶにも関わらずその声は自室の外には届かない。
俺は今、ベッドの上で枕に顔を押し付けながら感情のままに叫び続けている。
バタ足のように足を動かしているものだからきっと顔を上げたら埃がとんでもないことになっているだろう。
そんな事を顧みずに俺はひたすら感情に身を任せている。
だってそうだろう。
あのストロベリーリキッドのアイさんと、事故とはいえキスをしてしまったのだ。
しかも嫌われるかと思ったけど許してくれたし、まさか前と変わらず…………もしかしたら前より距離が近くなったのかもしれない。
彼女が歌っている間中ずっと手を握っていてくれたし、ポテトでケチャップがついているからとハンカチで口元を拭ってくれたし、まさかあーんをしてくれるとは思いもしなかった。
あちらにとっては優しさの延長線上なのかもしれないが、その部分だけを切り取れば付き合っていると言っても過言ではないんじゃないか……と思う。
そういった、思い返せば頬が緩みに緩むエピソードの数々だが、けれど一方でまだ懸念する事項がある。
その懸案事項もあってか、ただただ無邪気にはしゃぎ続けることもできない。俺はそんな思いを引き起こす少女の名をそっと呟く。
「リオ…………」
そう、リオ。
一つ年下で茶髪の少女。
飄々とマイペースで自分を貫き通しながらも締める所は締め、人気も実力も群を抜いている彼女。
そんな彼女が俺に好意を抱いてくれている。それは初対面だと思ったあの日から……先週にも重ねて伝えてくれた。
別に彼氏彼女とかそういった関係にはなっていないのだが、それでも一途な思いを伝えられた以上、事故とはいえキスをしてしまったことに罪悪感を感じていた。
このまま彼女に連絡し、今日あったことを丸々話したらどうなるだろうか。きっと許してくれるとは思うが内心は穏やかじゃあないだろう。
頭の片隅に避けていた悩みがどんどんと膨れ上がっていき、スッと手がスマホに伸びて仰向けになりながら頭上に持ち上げると、突然手にしていた物が振動を始めて不意をつかれた俺は思わず手の力を緩めてしまう。
「――――ぶっ!!」
重力に従ったスマホは無事俺の鼻へ。
なんとも情けない声を上げながらぶつけた場所をさすり、再度転がったスマホを拾い上げると未だにバイブレーションが鳴り続けていた。
もしや、リオ?
俺の悩みを第六感で感じ取って電話してくれたのだろうか。
そんな微かな期待を込めて表を向けると、『エレナ』という三文字が画面に表示されていた。
『…………もしもし』
『ハァイ。元気?…………って、なんか元気なさそうねぇ』
『ちょっと電話に驚いて鼻ぶつけちゃって』
『あら大丈夫? 気をつけてよね。怪我したらお見舞いに行くわよ?』
たかがスマホ落下の怪我でお見舞いされたらこっちが恥ずかしい。
問題ないことを告げると彼女も安心してくれたようだ。
『こんな時間に電話なんて……珍しいけど何かあったの?』
俺は彼女に問いかけつつ、エレナのやることはいつも突拍子もないからなぁ、と内心一人で納得する。
『全然。ただの雑談よ。 ちょっと仕事の愚痴でも聞いてもらおうかなぁって。てわけで今平気?』
それは珍しい。行動力の化身がただの雑談を提案するとは。
別にまだ夜といっても早い時間だし、夕飯も食べたから特にすることはない。
『うん。何かあったの?』
『えぇ……今日私とリオとで仕事してたんだけど、ちょうど仕事終わりに出待ちされてねぇ』
椅子に座ったのか少し間延びした声が聞こえてくる。
やっぱりそういうこともあるんだ。出待ちとか……一体どこからスケジュールが漏れているのだろう。
『その子は私と同じくらいの女の子でね。出会った瞬間私に手紙を渡してきて――――』
『同い年って…………どっち?』
ついつい気になって話を遮ってしまった。
彼女の同い年とは見た目だろうか。それとも実年齢だろうか。もし小学生が出待ちして手紙渡してくれるとかだったら微笑ましい話だ。
『…………慎也、後日くすぐりの刑ね。 高校生くらいの女の子よ。目元は髪で見えなかったけど、金髪に染めてたわ』
『すみませんでした……』
くすぐりの刑は嫌だなぁ。なんていうかこう……恥ずかしい。
『ま、いいわ。 それで中身は私へのラブレターでね。その場で返事をって言われたから丁重にお断りしたんだけど、今度はそれに逆上したのかカッターナイフを向けてきてね』
『え!? 大丈夫だったの!?』
凶器が出てきたことに思わず声を荒げてしまう。
以前にもエレナにはそういうこともあったみたいだし、アイドルとはそういうリスクも抱えるのだろうか。
『もちろんよ。じゃなきゃこうしてないじゃない。 「向いてくれないのなら私の手で」とか何とか言ってたけど、横から飛び出してきたリオに取り押さえられたわ。 知ってる?リオって力強い上に護身術も一番上手いのよ?』
『よかった……』
リオの力強さはなんとなく知っていた。
先週泊まった日も重そうな荷物を軽々と持ってたし。けれど護身術もできるとは……
『そんなこんなで今日は大変だったのよぉ。キミも気をつけなさい?どこでヤンデレが見てるかわからないわよ?』
『それはないよ。アイドルじゃないし、俺そうそうモテないし』
告白された経験なんてリオくらいだ。
返事か……この思いがアイドルに対する思いなのか彼女個人に対する思いなのか、早く考えないとな……
『……どうかしら? ま、愚痴はこのくらいにしましょ。 そうそう、あの時のレコーディングがようやく終わったのだけれどディスクいる?』
『え、くれるの?』
『ホントはダメだけどマネージャーがきっとどうにかしてくれるわ。私が主役の曲だもの。ちゃんと味わって聴いてよね?』
それは夏祭りに聴いた曲のことだ。彼女が作り、センターに立って歌った曲。
アップテンポでテンションが上がり、紗也たちと一緒に凄く興奮したのを覚えている。
『もちろん。聴けるのを楽しみにしてるよ』
『ならいいわ。 それじゃあ明日も早いし私はここらで寝るわ』
『え、早くない? まだ9時前だよ?』
『明日は会社の大掃除で朝早いのよ。それに……大掃除にかこつけて来週はウチを掃除しなさいってアイに怒られちゃってね…………』
通話口の向こうから項垂れるような声が聞こえてくる。
それは大変だ。しかしそれだけ部屋を汚してずっと放置していたということだろう。エレナは掃除スキルもアレだし平気なのかが心配だ。
来週か……日曜日はなにもないし、土曜日も……うん、フリーだ。
『ねぇエレナ、俺も手伝おうか?』
『えっ?嬉しいけど……いいの? 力仕事だし、細かいところまで掃除するから大変よ?』
『別にそのくらい平気だよ。 来週だよね?土曜?』
アイさんに怒られたのなら手を貸してくれない可能性がある。エレナ一人に任せたら逆に悪化しそうで怖いから。
『……そうね。ならお願いしようかしら。 言ったからにはいっぱい働いてもらうわよ!』
『お……お手柔らかに……』
それから時間などの細かい打ち合わせをエレナとこなす。
力仕事か……きっと汚れるだろうしジャージとかも新調しておこうかな。
『それじゃ、来週はよろしくね慎也。 お礼にキスでもしてあげようかしら?』
『っ――――! う、うぅん。俺がしたいだけだから気にしないで!!』
突然彼女から発せられた『キス』の言葉に思わず動揺してしまう。
アイさんとのあの1件の後だ。どうにも敏感になっている。
『ふふっ、冗談よ。掃除、お願いね』
『うん。おやすみ』
短く言葉を重ねて彼女との通話が途切れる。
キス、か――――
どうにも今日のことは忘れられそうにない。しばらく敏感になりそうだが何とか悟られないようにしなきゃ。
俺はベッドから降りて、ジャージを購入するためのサイトを開くのであった。




