086.手作りマフィン
ザワザワと―――――。
今までピンと張り詰めたような静かな教室が一転。号令によってざわめき出す。
口々に飛び交う言葉は決して不穏な、負の感情を持つものは…………殆どない。
むしろこれからを喜ぶ声。これからの予定や開放され解き放たれたことによる正の感情がほとんどだ。
現在は夏休みも終わり、2学期に入って初めての金曜放課後だ。
古い言葉でいうと花金。これから待つであろう二日間の休みに解き放たれた笑顔がチラホラと目に入る。
ちなみに負の感情を持つものは辛い部活が待っている者、あとは始業式直後にあったテストで悪い点を取った者だ。
テストは成績に反映されないものの、あまりにも悪いと補習があるらしい。部活もあって点数が悪かった人は可哀想に。
当然俺は一人暮らしを続けるための成績優秀を保っている為そんなことから無縁というわけだ。
さて、帰ってどうしようかな……折角の休日だしちょっと手間な料理の下ごしらえとかいいかもしれない。はたまた久しぶりに走るものいいかも。何にせよ自由バンザイ。
「あっ、前坂く~んっ!」
「――――はい?」
続々とクラスメイトが教室から出ていく中俺も流れに乗るように出ていこうとすると、背後から呼ばれる声に気がついた。
小北さんだ。彼女はこちらに手を振っているようで、人の波から逃れてから机の前まで移動する。
「どうしたの?小北さん」
「ううん、大したこと無いんだけど…………はいこれ!ど~ぞっ!」
ガサゴソとバッグを漁り、その声と取り出したのは小さな袋だった。
ハートやらリボンやらでデコレーションされた拳より一回り小さい可愛らしい袋。その中身は何か柔らかそうなものが……あと甘くていい香りがしてくる。
「さっきお昼休みに作ってきたの!マフィンだよ! ほら……始業式の時のお礼!!」
「あぁ、なるほど。 でも、俺は何もしてないのに……」
「ううん!前坂君が話しを通してくれなかったら取っ掛かりすら得られなかったもん!だからそのお礼!たくさん作っちゃったからどんどん持ってって!」
そう言いながらバッグを逆さまにひっくり返すと机の上いっぱいに一つ一つ小分けされたマフィンの数々が。
黄色、茶色、淡いピンクとその色も様々。小北さん……バッグにはそれ以外何も入ってないんだね。
「プレーンにチョコに……このピンクは?」
「イチゴだよっ! ビーツで色変えてジャムを加えたんだ~」
ふむ。そんなことができるのか。
休日にはお菓子を作ってみるのもいいかもしれない。ちょうどあの翌日、エレナにお菓子作るって言ったしね。
「ありがとう。全部はムリだけど幾つか貰ってくよ」
「うん!たくさん食べてくれると嬉しいなっ! それで……それでなんだけどね」
「?」
机に広げられたマフィンをいくつか自身のバッグに入れていくと、ふと彼女から言葉が漏れる。
それは段々と語気が弱くなっていき、伏し目がちになってしまう。
「前坂君…………今日これから時間あるなら――――」
「――――あっ、いたいた。お~いっ!美代ちゃ~んっ!」
「!!」
顔を伏せってしまったのも一瞬のこと。彼女は勢いよく顔を上げ、眉のつり上がって何か決心したような表情をこちらに見せる。
一つ一つ言葉を連ねていき、本題に入ろうとしたところで遠くから彼女を呼ぶ声が聞こえてきてしまい、その連ねた言葉も中断されてしまった。
「あっ……え~っと……なにかな?」
「ほら!今度一緒にカラオケ行こうって言ったじゃん! 丁度今日部活休みだからどうかな!?」
彼女にそんな誘いを掛けたのは隣のクラスの女子だった。
誘われたであろう小北さんは俺と女子を交互に視線を移していく。
「何を言いたかったかはわからないけど俺の事はいいからさ。カラオケ行っちゃいなよ」
「でも…………そうだ!前坂君も一緒にカラオケどう!?」
彼女は名案を閃いたように勢いよく立ち上がり手を差し伸べる。
けれど俺がその手を取ることはない。
カラオケ自体は嫌いじゃないんだけどね……いかんせんメンバーがね……
「さすがにあの子のこと知らないし、二人のカラオケに水を差すのもアレだから遠慮しとく」
「そっかぁ…………うん、仕方ないよね。ごめんね前坂君!また時間あるときに! それじゃあまたねっ!」
そう言って彼女はカラのバッグを肩にかけて廊下で待っているであろう友人の元まで走り去っていく。
元気で明るくて行動が早くて……まるで嵐のような人だな。けど不快感もまったくないしみんなを笑顔にさせる不思議な力がある。だから人気があるんだろうなぁ。
ん?カラのバッグってことはまさか…………
「…………やっぱりかぁ」
嫌な予感がして走り去った廊下からすぐ下にある机に視線を移動させると、机の上に取り残されたのは行き場を失ったであろうマフィンの数々。
……仕方ない。幾つか荷物は教室に置いて全部引き取ろう。クラスメイトにあげようにも俺がモタモタしていたせいか誰も居ない。だからってわざわざ渡しに行くのも癪だし俺がいただいてしまおう。保存料を使ってないだろうから週明けまで持たないし。
「…………なに、それ?」
「ん? マフィンだよ。さっき小北さんに貰った」
「小北さん?」
「小北 美代さん。このクラスの。知ってるでしょ?」
俺は自らの机に戻って残す荷物を選別しながら問いに答えていく。
課題は……月曜提出の以外は置いていってしまおう。だからそれに使う教科書も要らないし、ペン入れも要らないか。あとは……カラのペットボトルも帰りがけに捨てるから外だな。
「女の子……可愛い?好き?」
「好きだなんてとんでもない。向こうが眼中にないよ。 あと可愛いかは知らないけど人気はある方なんじゃないかな?」
…………よしっ!これだけ片したのなら全部入るはず!
後は出したものを机に突っ込んでマフィンをかばんに入れていって――――
「ふぅん…………じゃあ、私とどっちが好き?」
「どっちってそんなの…………ってあれ?」
よくわからない問いに答えようとして手が止まる
俺は一体誰と話していたんだ。教室はさっき誰も居なかったのは確認済み。
誰も居ないはずの教室、そしてよく聞く声。これはまさか――――
「当然、私のほうが好きだよね?」
「――――リオ…………」
教壇の上にはここに居るはずない人物、リオが立っていた。
その姿は我が校のセーラー服に身を包み、またも入り込んできたのだと理解させる。
そんな彼女はいつの間にか取ったであろうマフィンの袋を一つ取り出しながら流し目でこちらの瞳を射抜いている。
「ハムッ……ムグムグ…………うん、美味しい。小北さんって人はこれを慎也クンに?」
「結果的にそうなったね…………。 あと、小北さんとリオだったらリオのほうがす…………ス…………キ…………だよ…………」
たった2文字の言葉を紡ぐのにだいぶ時間がかかってしまった。
言葉が離れすぎていて聞き返されるかと思ったがそんなことはなく、彼女は一つ満足したように最後の一切れを口に運び、自らの右手人差し指を舐め取る。
「んっ……よかった……」
「そ…………それで今日は何しに来たの!? また近くで撮影?」
恥ずかしさをごまかす為に少しぶっきら棒になってしまった。
リオはそんなこと一つも気にすること無く、教壇から降りて俺の前までトテトテと歩いてくる。
「ん~ん。撮影もないし今日は仕事終わった。明日もおやすみ」
「じゃあ何しに? まさかエレナかアイさんに何かあってマンションまで――――」
「ん~ん」
ピトリと。
俺の言葉を遮るようにその右の人差し指を俺の唇に当てて辺りが静寂に包まれる。
その指はなんだか少し湿気っていて、俺は身動き一つ取れなくなってしまう。
「慎也クンのことが好きな女の子がわざわざ放課後の学校まできてすることは一つ」
無表情のまま一歩こちらに歩みを進め、その顔の距離は10センチ程度となる。
彼女は右手はそのままに、左手を俺の頬に触れさせてニッコリと微笑んだ――――
「放課後デート。しよう? おに~ちゃんっ」




