069.本当の性別?
「恐怖症が…………酷くなった…………?」
思わずエレナから聞いた言葉を復唱し、アイさんへと視線を移す。
不意に見られたであろう彼女は丁度クッキーを食べようと口を開けており、俺と視線が合ったことで一瞬怯んだ後、すぐに口元を手で隠してほんのり頬を赤く染めながら再度クッキーを放り込んだ。
その様子にやはり酷くなったとは思えず首をかしげる。
実際、さっきインターホンを鳴らした時はそれが嘘かのように近寄られたし、あんなに嬉しそうにするはずがない。
…………あぁ、だからあの時エレナは驚いていたのか。
酷くなったはずなのに俺と会った時は片鱗すら見えなかったから。
「えぇ。 でもさっきのアイを見た感じそれもどうか怪しくなってきたけどね……」
俺の考えを裏付けるかのように補足してくる。
やはりそういうことなのだ。今日の行動が不可解だと。
「具体的にはどんな感じですか?アイさん」
「えっと……それは……エレナ」
「そうねぇ……簡単に言えば、アイは男の人が近くに寄ったら怯え出すんだけど、その距離が倍増したわ」
アイさんはバトンタッチするように目配せし、エレナが代わりに応える。
倍増……1メートルなら2メートル。5メートルなら10メートルだ。たしかにそれは悪化といって差し支えないだろう。
確かに初めて彼女と会ったときもアイさんは怯えてエレナの影に隠れていたか。あの時はたしか1メートルくらいだったはず。
なら余計に今の状況はおかしい。
「ってわけで。何か適当な男子の写真持ってないかしら?」
「男子の……じゃあこれとかは?」
ふとエレナに写真を要求され、俺はフォルダから友人である智也の写真を引っ張り出す。
俺と同じ茶髪でムカつくほどにモテる智也。中性的ではなくきちんと男に見える友人だから問題はないだろう。
「ありがと。 アイはどう?平気?」
「写真なら平気だけど……会うのはあんまり……」
ダメそうだ。
俺たちは謎の症状について頭を悩ませる。元々の原因は父親関係だったはずだ。もしかしたら何か想起させる出来事でも会ったのかもしれない。
……あ、そうだ。もし悪化したのなら仕事は?仕事に支障が出るのでは?
「ところで仕事はどうなの? 悪影響とか……?」
「それね。幸い元からマネージャーが気を利かせて、表立ったところは極力女の人だけでやってるのよ。だからあんまり影響はないわ」
それはよかった。でも、それでも外に出るのも難しくなるだろう。
エレナに頼り切りになるのも限界があるだろうし、どう解決するべきか……
「キミが平気な事が不思議なのよね。何か心当たりは?」
「さすがにあれば真っ先に言ってるよ」
「そうよねぇ。 でも、一個だけ心当たりがあるのよ……」
なんと!
まさかの突破口への足がかりが!?
俺は思考を中断して期待の目でエレナを注視する。
「それはね…………キミ。慎也が女の子だってことよ!」
「……………………はい?」
彼女の…………エレナの突飛な言動に俺の脳は理解を放棄する。
だれが、なんだって?
「だから、慎也が女の――――」
「ううん、聞こえた。 聞こえたから大丈夫」
何を言ってるんだ見た目小学生は。考え方まで身体に引っ張られたか。
呆れた目で首を振り、もう一度エレナへ目を向けるとその視線は俺の顔を見ておらず…………
「ね、アイ。アイもそう思うわよね?」
「え……えっと……それはぁ……」
二人の視線は俺の顔へ向けられることなくその下――――下腹部の方へ。
しまった。この机は足が低い。ソファーに座っているものだから膝までは向かい側から余裕で下が視界に入ってしまう。
俺は慌てて軽く開いていた膝を閉じ、手で視線の先を覆い隠す。
「ぶぅ、なによぅ。 もったいないわねぇ。ね、アイ」
「私はぁ……その、ごめんなさい!慎也さん!」
不満げに言葉を漏らすエレナと何故か謝ってくるアイさん。
二人とも顔を真っ赤にして何言ってるんだ。
「とにかく!俺は普通に生まれたときから男だから!」
「ホントぉ? なら今ここで脱いで証明でき――――冗談よ。なら心当たりは無いわね」
更に変なことを言おうとしたエレナに視線で訴えるとすんなり引き下がってくれた。
冗談ってどこからどこまでだろう。聞きたいが答えが怖い。
「まったく、エレナは……。 アイさん、いつからそうなってしまったか、わかりますか?」
「えっと……少なくとも夏祭りまでは比較的平気でした」
火照った顔を冷ますために手で仰いでいた彼女はなんとか答えてくれる。
夏祭り……あの辺りで何かあっただろうか。
「あれから仕事は幾つかあったけど特に問題なかったのよ。ね、アイ」
「うん。 ですが昨日悪化したことがわかったんです……」
本当に仕事で何も無いと仮定すると後は私生活か。俺の知る限り特別なことと言えばあの泊まりの日か……
「エレナ、俺の家に泊まった日だけど、何もなかった?」
「あの日?あの日は楽しかったわねぇ……紗也ちゃんといろいろ話して……キミのことも色々聞いたわよ?」
何かを思い出したのか口元に手をやり思い出し笑いをするエレナ。
紗也!何を話した!?
……って、今はそうじゃない。原因の究明だ。
「そうですね。慎也さんのこともですけど、マネージャーが結婚しない理由は私達も初めて知りました」
「そうよね! あれは驚いたわ。だから色々と紗也ちゃんにご家族のことを聞きまくったわよね」
「うん。 その、ごめんなさい。その過程で慎也さんのことも色々と聞いちゃいまして……」
本当に何を聞いたんだ……
確かに神鳥さんが俺の父さんに気を寄せていることは未だに信じられない。紗也も父さんと仲いいしそっちも色々と話して神鳥さんまで流れているかもしれない。
…………ん?父さん?
「アイさん、もしかして俺の父親についても聞きました?」
「はい。色々とお聞きしました。仲の良いご家族だと……」
「もしかしたら、それかもしれない」
「えっ?」
アイさんはピンと来ていないみたいだがエレナは意図を理解したのか「あぁ」と小さく言葉を漏らす。
「慎也はこう言いたいのよね。紗也ちゃんがお父様の話をしたからアイが無意識で自分の父親のことを思い出したのが原因だって」
「……うん」
あくまで裏付けもなにもない予測だが。
でも無理やり考えうる可能性はそれくらいしか思いつかない。
「それは……わかりません。もう思い出したくも無いことなので……」
トラウマを思い出したのか彼女は顔を暗くして地に向ける。
当然だ。恐怖症の根源なのだから思い出したくないのが自然だろう。
「……ごめん」
「慎也さんは気にしないでください! でも、そうかも知れませんね。心のどこかで思い出して比較しちゃったのかもしれません……」
慌てて慰めてくれるその姿は優しい笑みだった。
自分より人のことを優先するなんて……
「ま、考えても答えは出なさそうだしそういうことにしときましょ。でも、それならなおさらわからないのよね」
「何が?」
二人して顔を伏せた俺たちにフォローを入れてくれたのはエレナだった。
彼女はもうこの話は終わりだと言うように結論づけ、それが頃合いだと感じた俺たちも同意するように頷く。
けれどエレナはまだ疑問点があったようだ。その顎に人差し指を触れ、流し目でこちらを伺う。
「そりゃあ当然慎也が平気なことよ。やっぱり君って……女の子?」
「男だからね!」
からかうような彼女の言葉に俺たちは思わず笑みが溢れる。
俺たちは空気を変えてくれた彼女に感謝し、同時にクッキーを放り込んだ。




