067.玄関先の彼女
タクシーから出た瞬間、熱気が一気に押し寄せる。
今まで気づかなかったが、タクシー内は俺に配慮したものだったのか随分と冷房が効いていて快適な空間だった。しかしそれが裏目となって外に出て襲われる熱に俺は顔をしかめる。
学校ではプール上がりということもあってあまり分からなかったが、本日も夏休み後半とはいえ猛暑日。太陽の下に出れば汗が吹き出すのは当然。一歩を進むのが億劫になってしまう。
「なにしてるの? いくわよ?」
俺に続いて降りてきたエレナはそんな暑さを気にする素振りを見せることなく堂々と隣に立つ。一体どんな訓練をしたらそんな平然と居られるのだろうか。日常でも使えそうだからぜひ俺にもその極意を教えてほしい。
「奏代香、今回もありがとね」
「いえいえ。次は前坂さんのお帰りの時でしたよね。 また一報ください」
「えぇ。お願いするわ」
え?帰りも?
俺がそう言おうとしたが、運転手さんはさっさと扉を閉めて車を進めていってしまった。
電車もあるのにそこまでしてもらうこと無いのに……そう思いながら遠ざかっていく姿を眺めていると、ふとツンツンと脇を突かれていることに気がついた。エレナだ。彼女は肘打ちの要領でこちらをつついている。
「ふ~ん……」
「な、なに……?」
あれから機嫌は戻ってくれたものの今現在はまた少し下降ぎみだ。
何かいいたげな瞳に問いかけると目を逸らされる。
「べっつに~。 やっぱりキミはあの運転手のような、大人の人が好みなのかなぁって」
口を尖らせながら出た言葉に俺は耳を疑ってしまう。
エレナは肘打ちを少しずつ強めながら最終的に拳に変わってしまった。どちらにせよ加減してくれているお陰で全く痛くない。むしろこそばゆい。
「そんなこと無いよ。ただ送ってくれたお礼を言い忘れただけで……」
「ほんとぉ? 初めてあった日もなんだか二人きりで話してたみたいだし」
初めて彼女たちの家に来た時だったか。
あの時はエレナをよろしくされただけで特にやましいことなど無い。
「それも大したことじゃないよ」
「ふぅん……じゃあ、キミの好きな人は?」
「紗也」
「そ、即答ね……」
何を言う。我が愛しの妹は最高に決まっているじゃないか。
最近は寝て朝起きたら布団に潜り込んでくるんだぞ。これ以上の妹が居てたまるか。あれ?なんだか前に似たような事があったような……あの時はリオが……いや、今は考えないでおこう。
「ま、いいわ。当人が待ってることだし早く行きましょうか」
「あぁうん。わかったけど……ここなんだね」
俺は降ろされた場所の目の前にある高い建物を見上げる。
それは屋上まで見るのは首が痛く、下手すれば頂上が見えないほどに高い代物。そして何度かお邪魔したことのあるマンション――――彼女たちの家だった。
正面に顔を戻すと彼女は既に先に進んでいて、俺も慌ててその横についていく。
「アイは普段どおり自室でゆっくりしてるわ。キミが来ることも伝えてないしね」
「何かあったの?風邪とか?」
「まさか」と、肩をすくめるエレナ。
ちょっと前に風邪でダウンしてたの忘れてないからね。あの時だいぶ大変だったんだから。その分デートは楽しかったけど。
「至って快調よ。むしろ絶好調といってもいいくらいだわ」
「じゃあ何があったの?」
「それは…………」
エレベーターで上がりながら問いかけるも少し言い淀んでしまう。
体調面の問題じゃないことはよかった。なら精神的なものだろうか。それはそれで絶好調とは言わないものだと思うが。
「こればっかりは見てもらったほうが早いわね。アイの部屋はわかる?」
「うん。確か真ん中だったよね」
エレベーターから降りた先に見えるのは三つの扉。
右からリオ、アイさん、エレナとなっていたはずだ。つまりアイさんの部屋は真ん中……正面となっている。
鍵でも持ち出すのかと思って彼女に視線を移すと顎で扉の方を示された。俺が動けね、了解。
ピンポーンと――――
扉横にあるインターホンを押すとよく聞く音が聞こえてきた。
防音性能が高いのかここから中の物音までは聞こえないから大人しく待つことにする。インターホンにカメラも付いているし俺だって事はすぐにわかるだろう。
ほら、ちょっと待てば現にその扉が開いて彼女の姿が…………
「慎也さんっ!!」
「うわっと!」
ゆっくりと扉が開いたはいいものの、すぐさま人影が飛び出して来て俺は思わず後ずさりをしてしまう。
しかし彼女はそんな動きも目で捉えていたのか、もう一歩前に詰めて俺の両手を自らの手で包み込む。
「どうしたんですかこんなところまで! もしかして私に会いにきてくれたとか!? あ、それともまたまたサインですか!?慎也さんになら喜んで何枚でもお書きしますよ!!」
「おぉぉぉ?」
その詰め寄るさまに俺も圧倒されて何も言えなくなってしまう。
アイさんってこんな感じだったっけ?男性恐怖症だったし、男に対してはもっとオドオドしていたハズだったけど……
「あっ、そうだ! 丁度さっきまでクッキー焼いていたところだったんですよ!よければ慎也さんも一緒にどうですか?」
「うそでしょう…………」
早口で言葉を連ねる彼女に反応したのはエレナだった。
俺たちは互いにそちらに目を向けると少し驚いた様子で、ほんの少しだけ引いたような雰囲気を醸し出しながら後ずさりしていた。
「あ、エレナ。なんでここに居るの?」
「なんでって、私が連れてきたのよ」
「? どうして?」
「そりゃあ……アイの様子がおかしかったから……って、すぐ気付きなさいよね。ここまで上がってきてるんだから」
「あ、そっか」と、同意を入れるアイさん。
このマンションはオートロックだ。インターホンが鳴るにしてもまず下から訪問を告げないと入れないからそのことを指しているのだろう。
ウチもそういう類のマンションだから何となく分かる。ここまでセキュリティ高くないけど。
「クッキー……だっけ?私も一緒してもいいかしら?」
「いいけど……慎也さんはどうします?」
ずっと手を握っている彼女は少し見上げる形になりながら聞いてきた。
その顔はほんの目と鼻の先にあって綺麗な彼女が目の前に居ることにドギマギしながら表面上平静を保つことを第一に考える。顔に出てないよね?
「は、はい。それじゃあ、一緒してもいいですか?」
「やった! では、中にどうぞ! …………お部屋お掃除しててよかったぁ……」
彼女の歓迎を受けながら勝手知ったる我が家のように入っていくエレナに続いて俺もお邪魔する。
そこは廊下からしてエレナの部屋と一線を画していた。
見るからに豪華絢爛といったものはないものの、小さな造花や柵の小物、英語が書かれた黒板などの雑貨をふんだんに散りばめたオシャレな空間が出来上がっていた。
一方のエレナは玄関こそ必要最低限に留まっていて床には服など散りばめられていた記憶がある。
彼女はそんな事が一切なく、チリ一つ無い完璧に掃除されている玄関だった。
「そんなに見られると……ちょっとだけ恥ずかしいですね」
「あ、すみません!」
気づけばいろいろな小物に目を奪われていたようだ。
彼女は頬を掻きながら恥ずかしがっていて俺は慌てて靴を脱ぐ。
「それじゃあ……お邪魔します」
「はい。靴は揃えますのでそのままエレナについて行ってください」
「ありがとうございます」
無理に遠慮するもの失礼だと思った俺は言われたままに靴を脱ぎ、先に廊下の角を曲がったエレナについていく。
そんな様子を彼女は笑顔で見送ってくれていた――――。




