053.慣れない履物
カラン……コロン……
隣から下駄の音が聞こえてくる。
それと同時に上機嫌だと一目でわかるほどの鼻歌も。
歩く腕に合わせるように巾着も半円を描くように揺れ動いている。
俺は隣でペースを合わせるようにゆっくりと歩きながら、そのいつもと違う少女の姿を見て小さく微笑んだ。
「~~~。~~~。 あれ?どうしたのお兄ちゃん、そんな笑って。機嫌良さそうだね」
隣で歩く妹――――紗也は歩きながら俺の顔を覗き込むようにかがんでくる。
本日の彼女は下駄はもちろん、服も浴衣でおめかしだ。
白をベースとした浴衣にアジサイの花々があしらわれており、薄紫色の帯も相まって可愛さが倍増している。
……まったく、機嫌がいいのはそっちだろうに。
「一人で暮らしてから家族のありがたみがよく分かってね。 紗也が居なくて寂しかったよ」
「もうっ、お兄ちゃんったら妹離れできないんだから~」
プイッと、跳ね除けるように正面を向き数歩先をいってしまう紗也だが、身体も左右に揺れ始めて更に機嫌がよくなったようだ。
俺も追いつくように駆けようとするも、それより早く背中に小さな衝撃が走り反射的に逆側を向いてしまう。
「もちろん、お母さんも居なくて寂しかったわよね?」
「…………」
何事かと思えば母さんがトートバッグを叩きつけていたようだ。
俺が無言の抗議を行うも何処吹く風の如く飄々としている。
「……まぁ、たしかに。 家事一人でやらなくちゃ行けなかったから、母さんが居なくて寂しかったよ」
「あら、そんな返事するなら明日以降の家事は慎也も手伝ってもらおうかしら?」
「ごめんなさいすっごく寂しかったです!」
「よろしい」
結局、夏休みに入って家事の殆どを母さんにやってもらっているから頭が上がらない。
皮肉が効かなかったことに内心歯を軋ませていると、今度は紗也に追いつけと顎で指示される。まったく、誰のせいで立ち止まったと思ってるんだ。
「……紗也、一人で行くと迷子になるよ」
「ごめんお兄ちゃん。でも、ほんのちょっとだったし……」
少しだけ駆けて前を歩いていた紗也に追いつくと、距離を確認するように後ろを振り向く。
確かにここは歩行者専用の堤防で危険も少ないが、そろそろ人も多くなってくる頃だろう。俺は紗也の小さな頭にそっと手を乗せて優しく撫でる。
「もう人も増えるし会場だとすぐ迷子になるから、俺達から離れないように」
「ふぁい……」
大人しく頭を撫でられた紗也は目を細めて気持ちよさそうに身を委ねてくれた。
その反動か歩いていた足は次第に遅くなっていき、最終的に静止してしまった為俺もリクエストに応えるように立ち止まってその頭をなで続ける。
「ぇへへへ……やっぱりこっちだとお兄ちゃんのナデナデあるから……好き~」
「うん、俺も紗也が居てくれて助かるよ」
主に精神的な意味で。
やっぱり家族はいい。そうしみじみと感じていると、またもや背中に衝撃が。……もう犯人は言うまでもない。
「先行ったと思ったら今度は立ち止まるとは……我が子ながらマイペースねぇ……」
「母さんの教育の賜物だね」
「はいはい、わかったからステージが始まる前に着いちゃうわよ」
まだまだステージまでは時間があるものの、せっかちな母さんは残り百メートル切った道を顎でやる。
それと同時に取り出したのは3枚のチケット。
そう、今日は以前エレナに貰った夏祭りの日だ。祭りの締めくくりには花火の打ち上げもあり、ここらの地域では最も大きいお祭りとなっている。
ステージとはそこで行われるストロベリーリキッドのライブで、母さんは先日貰ったチケットをピラピラと揺らしている。
「花火のチケットも持ってるよね?」
「当然じゃない。どこぞの誰かさんとは違ってそう簡単に失くさないわ」
そう簡単に――――きっと財布を忘れたときのことを指しているのだろう。
あの時は部屋をひっくり返す勢いで探していたものだからもちろん母さんも知っている。電話の後のことはボカしたが……
「…………預かっててくれて助かるよ。入り口が込み合う前に早く行こうか」
「ま――――まって……お兄ちゃん……」
「?」
今度こそ残り僅かな距離となった道のりを歩こうとしたが、それを止めたのは紗也の声。
何事かと振り返るとそこには、膝に手を当てつらそうに眉間にシワを寄せる紗也の姿があった。
「な……何かあった!?」
「大したこと無いよお兄ちゃん。 ちょっと足が痛いだけ……」
その言葉に紗也の綺麗な足に目を向けるも大事になっているところはなにもない。
けれど、もしかしたらと思ってその片足の下駄を脱がせると、親指の付け根付近の皮が剥がれたようで、血は出ていないものの真っ赤になっていた。
「ぁ……やっちゃった。なれない事はするものじゃないね」
これ以上下駄を履いて歩くのも辛いだろうに困りながら笑顔を見せつつ更に歩こうとする紗也。
しかし一歩踏み出すたび顔をしかめるのを見て、俺は紗也の前を塞ぐようにしゃがんで背中を向ける。
「お兄ちゃん……?」
「ほら、背中に乗って。 これなら紗也も大丈夫でしょ」
「ぅん……ありがとう……」
おんぶくらいならこれ迄にも幾度もやった。紗也は慣れたように背中に身体を預け、下駄を片手にゆっくりと立ち上がる。
……軽い。まだまだ小さく、年相応以下のその体躯は軽かった。さすがにどこぞの金髪姉よりかは大きいがその感覚にちゃんと食べてきたのか不安になってしまう。
「母さん」
「ん~?」
「悪いけど下駄、預かっててくれる?」
紗也の荷物は巾着、俺のも下駄が入るほどの大きさではない。つまり預かってくれそうなのは母さんしか居なかった。
母さんは仕方ない、といった様子で差し出した下駄を受け取ってくれる。
「ほいほい。 ちなみにこれ……なんだか分かる?」
「「……? あっ!」」
母さんが下駄を片付け、代わりに取り出したものに俺たちは思わず声を上げてしまう。
それはサンダル……。それも紗也のものだった。
「紗也は下駄耐えられないだろうから持ってきてたのよ。人混みに入る前じゃなくてよかったわね」
「よかった……それじゃあ、早速使わせて――――あれ?」
俺は取り出されたサンダルを受け取ろうと手をのばすも――――空を切った。
何事かと一瞬頭が真っ白になったが、母さんは俺が受け取ろうとした瞬間上に上げて取られないようにしたみたいだ。なんだか前にも同じことがあったような。
「別にお母さんはすぐに渡してもいいけど……せっかくだし傷の痛みが楽になるまで背負って行きなさい」
「このまま!? どこまで!?」」
「さぁ……入り口くらいでいいんじゃない? 紗也もそれでいいわよね?」
「うんっ!!」
俺の後ろから聞こえる声は元気いっぱいで、首に回る力が強くなる。
……まぁ、もうほんの少しだし……
「お願いね? お兄ちゃん」
「……りょーかい。 このほうが迷子になる心配せずにすんで、俺としても都合いいからね」
「む~、私だって迷子にならないよ~。 …………あれ?」
ふと、抗議をし始めた紗也が何かを見つけたようで少し前方へと視線を動かす。
何か見つけたのかな……?でも、俺からは見えないし……
「何か見つけた?」
「うん……もしかしてだけど……もうちょっとスピード上げてくれる?」
何を見つけたのだろうか。俺と母さんは紗也の指示に従うよう少しだけ速度を上げる。
そして更に50メートルほど歩いただろうか。もう入り口まで目と鼻の先になったところで紗也が声を上げる。
「あっ!やっぱりだ! お~いっ!」
「………………? 知り合い……かな?」
俺も手を振っている方向を確認するも誰も知り合いと思しき人は見当たらない。もうそこは入り口付近で人も多くなってるからどうにも見つけ辛い。
「お~いっ! 璃穏ちゃん! 私だよ!紗也だよ!」
「なんだリオか…………リオ!?」
紗也から知るはずの無い言葉が出てきて、俺も思わず人混みの方向を二度見する。
――――どうして見つけられなかったのだろう。
彼女……リオは俺たちに気がついたようで、ほんの数歩先の所で小さく手を振るようにして立っていた。




