047.エレナの独白
――――時は遡って6月のとある日。
連日仕事漬けだった私達ストロベリーリキッドの貴重なオフの昼下がりのこと。
アイが作ってくれた蒸しパンを一つ口にした私は思い立ったように立ち上がった。すると同じく蒸しパンを口にしていた面々の顔が一斉にこちらに向けられる。
「ちょっと私、出てくるわね」
「えっ……? 出てくるってどこへ?」
私の思いつきを耳にしたアイは困惑した表情で問いかけてくる。その隣に座るリオは一瞥したものの、興味無さげに再度手にしていたパンをモキュモキュと食べ始めた。
「昨日のメール見たでしょ? 夏に決まったライブのこと。その会場を下見してくるわ」
「でもエレナ……わざわざ今日じゃなくたって……」
「何言ってるのよ。 次いつ休みが入るかわからないじゃない。行けるうちに行っておかないと」
そう、今日を逃したら次いつ休みになるかわからない。
マネージャーが仕事をふってくるのはいつも突然。前日なら良い方、たいてい当日知らせを持ってくるから振り回されるこちらにとってはたまったものじゃない。連日仕事を貰えていることに感謝すべきとの側面もあるが、せめて事前連絡は入れてほしい。
「でも、明日は移動日だし何より今夜は――――」
「大丈夫よ。ちゃんと変装してタクシーで行くし、日が落ちるまでには帰ってくるから」
「そうじゃなくって……もうっ!リオからも何か言ってあげてよ!」
私達は一人で大半の蒸しパンを平らげようとしているリオに顔を向ける。
しかし彼女は背もたれによりかかり、バツの悪そうな表情を見せた。
「まぁ……帰ってくるならいいんじゃない? 私も人のこと言えないし」
「リオぉ…………」
多数決で負けたアイはその場にうなだれる。
リオは気づけばどこかにフラフラと移動していて、私達でも驚くほどの自由人だ。故にこういったことには強く言えないのだと思う。
「それじゃ、そういうことで。 アイ、悪いけど片付けお願いね!」
「エレナが片付けしたことってこの家では一度もないじゃない……あっ、傘忘れないでね!」
何かアイお母さんが耳の痛い事を言っていた気もするが何も聞こえない。
私は急いでタクシーを呼び、夏にもかかわらずお気に入りのコートとサングラス、麦わら帽子を身に着けて家を飛び出した。
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「――――失敗したわ」
轟々と降りしきる雨の下、私は公園のベンチの下で一人つぶやく。
今日、お茶会からこれまでの事を思い出すと悪手ばかり打ってきた気がする。
まず、いつものタクシーで下見を終えたはいいがちょっとした冒険心が湧いて散歩を始めたのがまずかった。曇り空でちょっとは振られることを覚悟したものの、まさかここまで豪雨だとは。
その上、逃げるように出掛けたからかカードを忘れてしまった。幸いにもコートのポケットに財布が見つかったのはいいものの、それも2千円しか無い。スマホで調べたら電車も運休していたし、この三重苦でどうやって帰ればいいのか。
行くときにもお願いしたあの人のタクシーなら帰れるとも思ったが、呼ぶ前にマネージャーから電話がかかってきてすっごく怒られた。
『帰れないとはどういうことか』『台風が来ることなんて知っていただろう』『罰としていつものタクシーはやらない。一人で戻ってこい』
売り言葉に買い言葉で喧嘩になったけど、冷静に考えると向こうの主張も一理あった。
きっとアイはこの事を言いかけたのだろう。台風なんて……連日仕事で忙しくて調べられる余裕なんてあるわけないじゃない。
電話で知ったのだが、台風で移動ができなくなった代わりとして夕方行われることになったオンラインでの仕事に出席できなくなったのは痛い。
これだから突然仕事を入れてくるマネージャーは…………そんな恨み節を考えていたらクゥ~。と、お腹が小さく主張をし始めた。
あぁ、こんなことならばもっとアイの作ってくれた蒸しパンを食べていればよかった。
失敗ばかりの今日を嘆いていると、ふと隣に居た人物の視線がこちらに向いていることに気がつく。
「…………なによ?」
つい不機嫌になりながら初対面の相手にも関わらず相手を威嚇してしまう。
こんな対応……もし私が変装していなければネットで炎上待ったなしね。
「これ、食べます?」
隣に座る茶髪の少年はびしょ濡れになったバッグをゴソゴソと弄った後、一つの袋をこちらに差し出してくる。それは一欠片も濡れていないラスクが入った袋。
見た目はどこにでもあるラスクそのものだが、今の私にはとても魅力的に、美味しそうに見えた。
「……いいの?」
「ええ」
と、軽くキツネ目の入った目がクシャリと下がり、こちらに笑みを見せてくる。
今までこの格好をしていて話しかけて来る人なんて皆無だったのに、あろうことか食べ物を差し出してくるとは。
もしかしたら私と一緒でこの格好がカッコいいと思える同士なのかもしれない。
パパが田舎を出る時にくれた大事なコート。
有名になり始めで外に出た時は何人にも声を掛けられて辟易していたが、パパの言う通りこれを着てサングラスをかければそんな面倒な人がパタリと居なくなった。アイには不評だったけど個人的にはすごくカッコいいと思う。だってダボダボのコートってロマンだし。
――――それからはトントン拍子に話は進んでいった。
風で私の正体がバレた時はどうしようかと思ったけど憎らしくも私の事は知らないようで、流れで彼からお金を借りる事になった私達は自宅までの道のりを走っていく。
「アイ…………」
つい、ここには居ない友人兼仲間の事を呼んでしまう。強い雨のお陰で相手には聞かれてはいなかったようで、チラリと横目でびしょ濡れになったその顔を覗き見る。
アイ――――。私の憧れでもあり、かけがえのない『元弟』。
少し話してみてわかったが、この人はアイにそっくりな人だった。見た目とか男女差は全く違うけど、その雰囲気が。
見た目に囚われず話し、甲斐甲斐しく誰かの面倒を見るのが好きなお人好しの雰囲気がなんとなくアイを彷彿とさせた。
そんな彼と雨の中を走るのはすごく楽しかった。
正反対の道を行きもし、全身がびしょ濡れになるのを厭わずにただただ駆けていくだけのことが。
アイやリオと一緒にいるのも楽しいけれど、こんな満ち足りた気持ちになったのは初めてのことだった。
リオにはリーダーの座を譲ってはいるが性格上、実質的に二人を引っ張っているのは私だ。
目を離せばどこかへ行ってしまうリオと引っ込み思案なアイ。その二人を導き、一緒に何かをするのは楽しく、満足していた。
だから今まで気が付かなかったのだと思う。こうも横に並び、たまに引っ張ってくれる存在は家族以外に居なかったから。
しばらく彼と関わっていると、彼のほんの些細なことで浮き沈みしている自分が居ることに気がついた。
湧き上がってくる気持ちがよく解らず、幾度も悩み、夜ふかしだってした。けれどこの気持ちの正体を突き止めることなどできようもなかった。
今思えば昔のアイの枠に当てはめて弟と認定したのは間違いだったかもしれない。
この気持ちがそんな弟に対するものなのか、はたまた別のものなのかで悩むことになるとは思いもしなかったから。
そんな想いが積み重なって悩んで考えて膨らんだ結果――――私は盛大に風邪を引いてしまった。
夏だというのに風邪を引くのは情けない。
アイもリオもすごく心配してくれてたのに仕事に出掛けてしまった。
二人が仕事に出て一人になったことで台風の日のように新たな仕事すらできなくなるかもと思ったが、それはないと頭を振る。
あの一件からマネージャーは無茶な仕事を入れてこなくなった。きっとマネージャーにも思うところがあったのだろう。私としても彼をからかう時間が増えたことは喜ばしい。
「アイ……。リオ……」
熱にうなされながらこの場に居ない仲間の名を呼ぶ。
誕生日会を境に、二人はどこかが変わった気がする。彼の名前を出せば目の色を変えるし、会えば二人ともその姿を目で追っていっている。
そんな姿を見て私はどうしようもない不安な気持ちに襲われた。なにか、大事なものが手からこぼれ落ちるようなそんな気持ち。
最初は二人が彼に取られるんじゃないかと不安に思ったけどそれもどうやら違うみたい。だってその不安な気持ちと一緒に湧き上がる嫌な気持ちがどうしても彼じゃなくて二人に向いてしまうのだから。
仲間の二人を大事にする気持ちと恨めしいような嫌な気持ち――――
湧き上がる相反する気持ちに悩んでいるといつの間にか眠ってしまい、起きた時には彼がお見舞いに来てくれて心底驚いた。それと同時に、どうしようもない安心感に襲われた。
アイがそばにいてくれるのとも違う、なにか別の感覚。
そんな浮き沈みのある謎の感覚に最も強く襲われたのは彼が帰ってからだった。
アイが戻ってきて、ひらりと舞い落ちた写真を見てからは気持ちが嫌な気持ちが増幅……倍増していくのが胸の中で感じられたのだ。
あの時の事はあまり記憶にない。必死に感情が爆発するのを抑え、布団に包まった時には朝になっていたから。
朝になり、彼がまた現れた瞬間、抑えていた心が別の物に置き換わったような気がした。二人に向けてしまう嫌な気持ちを後悔するような、そんな気持ち。
それもこれも全部彼のせいだ。私が変な気持ちに襲われて悩むのも。アイやリオが変わったのも。
心のなかで恨みつらみを吐き出しながら暗闇で背中合わせになる彼を見ると一つの考えにたどり着いた。
もしかしたら……原因である彼を独り占めして思い切り遊んだら何か解るかもしれない。
そんな考えに至って私はその場で立ち上がり、呆気にとられているその顔に告げる――――
「これからとデートしなさい!!」
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家に帰った私は着ている服にシワが付くことを厭わずボスンとベットに倒れ込んだ。
誰も居らず、何の機械も作動していない部屋にただただ静寂が場を支配する。
しかし私の耳には別のものが聞こえていた。ドクン、ドクンと普段ならば気にすることの無いその音がやけに煩く、やけに高鳴っているのを感じ取る。
最初はただチケットを渡すだけだった。しかしそれがいつの間にかデートを提案し、あまつさえ幾度もその相手の顔を盗み見していたのだ。
楽しかった。浸りたかった。そんな想いが心の中を占めながら先程までの状況を何度も思い出す。
こんな感情は知らない…………が、知っている。
頭の中では認めようとしないものの本心が、本能がそれが何かを告げているのだ。
私は彼の姉として振る舞ってきたつもりなのに、もしもこの気持ちが表面化したらどんな反応をされるだろう。
そんな想像上の彼の反応が怖くなり、同時に先で待っているであろう未来を考えて打ち震えた。
しかしそれも一時のこと。すぐさま今までの感情を振り払ってこれからの事を考え始める。
「――――まず、アイに謝らなきゃね」
きっと突然私が暴走して混乱しているだろう。心配しているだろう。
自身の感情のことはこれからゆっくりと考えればいい、まずは大切な妹分の事だ。私は何度か頬をはたいて隣人の合鍵をその手に取り、自らの部屋を飛び出した――――。




