043.憧れの……
途中で視点が変更します。
「ただいまぁ……あら、ちゃんと大人しくしてたのね」
ようやく顔の熱が引いてきた頃、扉を開けて現れたエレナはなんてことのない様子で部屋に戻ってきた。
今までずっと深呼吸して気が抜けたタイミングでいきなり扉を開けるものだから肩を大きく震わせてしまった。せめてノックを……そう思ったがここは彼女の部屋。戻ってくるのにそんな必要も無いことに気づいて出かかっていた言葉を飲み込む。
「――――あー、おかえり。もしかして楽になった?」
「えぇ、おかげさまでね。 移動と会話するくらいならなんてことないわ」
そう言って肩をすくめる彼女は少し頬に紅みが残っているものの、足取りはしっかりしている上に声色も快調そのものだった。 この調子なら明日には十分良くなっているだろう。
確かな歩調でベッド横に着いた彼女は一瞬だけ俺を見、それが降りろという合図だと判断してベッドから移動しようとすると首を振ってそれを止められる。
「ほら、じっとしてて。 私が入れないじゃない」
「いや、俺が出たほうが早いんじゃ……」
「いいのよ。キミもゆっくりしてなさい。 気持ちいいでしょ?このベッド、奮発したんだから」
四足歩行で俺を跨ぎ、再度同じ位置に座るエレナ。
彼女ですら奮発したと言うのならこれは一体幾らの代物なのだろうか……気になるけど恐ろしくて聞きたくない。
「ねぇ、アイは……なんて言ってた?」
「なんてって?」
「鍵を渡されたんだもの。会ってるんでしょう?」
「確かに会ったけど……他の人の可能性もあったんじゃない? 神鳥さんとか」
あの時アイさんと連絡取ったと言い当てられた時は肝が冷えたが、冷静に考えれば疑問だった。
他にも可能性としてはリオなり神鳥さんなり居たはずだ。確かに流れとしてはアイさんに会ったというのが自然だが、あえてぼかしたはずなのに。
「あぁ、そのこと。 今朝起こしに来た時、私を見て何度も『前坂さん呼ぶ?』って言われたもの。最後、私の意識が朦朧としてる時に『呼ぶから』って言い切った時は信じてなかったわ……。 でも、本当に来たのならアイの差し金しか考えられないもの」
きっとその時のアイさんはてんやわんやだったのだろう。
もしも逆の立場だったとして紗也に同じこと言われても全く信じないし。
「そっか……。 あの時はたしか……」
俺は駅で彼女と会った時のことを思い出す。
彼女たちは神鳥さんの運転する車に乗っていて、アイさんに加えてリオも同乗していた。その中でも特にアイさんの心配ようが先行しすぎてて会話内容が殆ど頭から抜けて落ちていた。
なんて言ってたっけ……たしか帰る時間が……
「たしか日が落ちるまで戻れないからできればそれまで支えてほしいって」
「ふぅん……それだけ?」
「うん。向こうも慌てててそれ以外は特に」
「……そっか。 日暮れまで、ね」
彼女は復唱しながら壁の時計に目をやり、チラリとカーテンを捲って外の様子に目を向ける。
どうやらまだ雨は降っているようだ。音が一切聞こえないというのに雨だけが見えるってなんだか変な感じ。
そうやって外の光景を俺も見ていると不意にコツンと彼女がこちらに寄りかかる感触がした。今度は肩が当たるというより、こちらに横向きで倒れ込むような感じで首も少し俺の肩に触れている。
「ねぇ……」
「どうしたの?」
「もし移しちゃったら……ごめんね」
そのしおらしくつぶやく様子は、先程刑が執行される前のようだった。
今は自分がしんどい時で人の事を気にする暇も無いだろうに……
「……大丈夫、俺は鍛えてるから」
「でも、掛からないとも限らないじゃない」
「もしそうなったら……エレナに看病をお願いしようかな?」
「私に……?」
励ますつもりで出た言葉が自分の中で妄想となって脳裏を駆け巡る。
朝起きたら金髪エプロン姿のエレナが居て、少し手間取りながらもなんとか頑張って家事をしてくれる姿…………イイ!
「そうだね……エレナお手製のお粥とか?」
「でも、私料理はあんまり……」
目を逸したのか少し首が動く感触がし、手が自らの脚の上に置かれた。
そんな自身無さ気な彼女を元気づけるために、俺はその手を取ってギュッと握りしめる。
「うん。 塩じゃなくて砂糖を、しかも大量に入れて甘くなったお粥を楽しみにしてる」
「――――。 バカね。そこまで間違えるわけないじゃない」
少し笑うように息を出しながらも、呼応するかのように手を握り返してくれるエレナ。
でも、実際風邪になったら紗也が全てをやってしまいそうだなぁ……母さんも今は居るし。
「ちょっと……寝ていいかしら……? なんだか安心したら……眠く……」
「うん。俺はちゃんと居るから。ゆっくり寝てて」
「ありがと……」
少し考え事にふけっていると今度は滑り落ちるようにベッドの奥へとスライドし、そのまま眠りに入ってしまうエレナ。
でも、いざ寝るとなったら俺が横に居てもいいのだろうか。彼女は何も言わなかったがこのままずっと横に居続けるのは精神衛生上の問題がある。
「それじゃ、俺は外に出るから……」
「んっ…………」
今度こそ出ようと足を出すと彼女は小さく声を上げて力強い感触が俺を襲う。
そういえば今まで意識の外にやっていたが、手をつないでいるんだった。
どうやらエレナは寝た後もその手を離すことなく、声を上げると同時にその手に力を込めていたようだ。
これが意識的か無意識的かは知らないが、出ていくのは叶いそうにない。
「仕方ない。少しだけね」
「すぅ……すぅ……」
その声に反応する者など居ない。
俺は再度足をベッドに入れて、彼女の頭に手を置くのであった――――
◇◇◇
暗くなった部屋の下――――
私は一人カーテンを開けて外の様子を伺う。
空には雲一つなく綺麗な星空が広がっている。
星のことなどよく知らないが三角が云々というのは聞いたことある。私はそれを探そうとして…………やめた。
特に星を見るために開けたのではないし、三角すらもわかりようもない。
けれど星空が広がる分、当然外は雨など降っているはずもない。
彼は既にこの家を去った。
お粥を食べてからそのまま眠りに着き、次に目が覚めた時には外は真っ暗だった。
隣を見ると寝息を立てている可愛い彼の顔。その顔を見て驚くと共に、どうしようもない安心感に襲われた。
少し目にかかっている髪を分け、その無防備な表情を目に収める。
きっと私が寝たと同時に彼も寝てしまったのだろう。そのせいかはわからないが、彼が無意識で握りしめている私の手は力強いものだった。
しかしそんな姿を眺めているのもほんの少しだけ。気づけは彼も小さな唸り声を上げ、ゆっくりとまぶたが開かれる。
起きた時はまだ私の顔が紅いと大層心配された。誰のせいでこんなに紅くなっていると…………いや、風邪のせいだ。うん、そういうことにしておこう。
適当に言い訳をしていると廊下の方で聞こえてくるのは扉の開閉音。
そして暫く後に彼女がやってくる――――私の親友であり、仲間であるアイ。
彼女が戻ってきたと言うことはもう彼の出番は終わりだ。その考えは彼も同じだったようで入れ替わるように帰っていく。
そんな後ろ姿を引き留めようとしたが……出来なかった。今日一日私のせいで潰したようなものだし、これ以上拘束するわけにはいかない。
「エレナー? 起きてるー?」
今までの事を思い出していると部屋に入って来るのはアイ。
アイは両手にお盆を持ち、その上にはうどんとスープが置かれていた。
「もちろん。それは今日のご飯?」
「うん。し――――前坂さんからお粥食べたって聞いてね。ならうどんはどうかなって」
アイが帰ってきた時2人で何か話していたと思ったらそんな事を話していたのか。
二人して私を気遣ってくれることが嬉しくなり、同時に私の知らないとこでやり取りしていたことが混ざり合い、なんともいえない感情に襲われる。
これはなに……?嬉しいはずなのに……なんだか嫌な気持ち……
「エレナ……?」
「えっ……あぁ、大丈夫よ。 食べれる。ありがと」
「よかった。 でも、ベッドじゃなくてちゃんと机で食べてね?」
アイは机にお盆を起き、私の目の前でしゃがんでその瞳を覗かせる。
綺麗な茶色の瞳……それも顔も整って誰しもが口を揃えて『綺麗』と言うであろう造形。
そして家事も万能であり心優しい……そんなだから私はアイに――――憧れている。
「うんっ! 平気そうだね。 じゃあ、私はお風呂洗ってくるから」
「お願いするわ……」
一つ見惚れるような微笑みを見せてから踵を返してお風呂場へと向かうアイ。
さて、私もうどんを食べに行かないと…………
「あら?」
ふと、ベッドから出ようとして何かが当たる感触がした。
何か固いもの……掛け布団を捲って見やるとそれは財布だった。
私のものではない、男物。 あぁ、彼のか。ポケットから落としてそのまま忘れてしまったといったところだろう。
「仕方ない子ね。今度渡しにいって上げなくちゃ」
笑みが漏れながらも立ち上がり、財布を一旦机に置こうとする。
しかしその隙間からぽろりと、何か一枚の薄いものが舞い落ちた。
「あら……しまったわ。 これは……プリクラ?」
ヒラヒラと落ちていくのはプリクラだった。
さすがに小さすぎて落ちてるさなか、中身を判断することは出来なかったものの、そのゴテゴテ感からプリクラということは察することができた。
裏、表と翻りながら落ちた結果、床に裏返しになり、中身がわからないまま着地する。
「まったく、財布に入れっぱなしなんて……紗也ちゃんとかしら?」
今度こそ財布を机に置き、その大きさから二分割したであろうプリクラに手をのばす。
もし変顔でもしていたら……からかうのもいいかもしれない。そんな思いを馳せながら私はプリクラを捲った――――




