041.スケールの違い
エレナの指示通りシャワーを浴び終えた俺は、今まで着用していた服へ再度袖を通す。
あれからアイさんと連絡を取ってお風呂場の場所とタオルの使用許可は得たものの、着替えに関してはどうしようもなかった。
リオによるとここは社宅だし、エレナの一人暮らしなのだから当然でしか無いのだが。だから、せめてもの誤魔化しになんとか雨を逃れた下着以外はドライヤーで乾かすことにした。
それにしてもさすがの格差社会というべきか、お風呂場一つとってもウチとはスケールが違った。
湯船にジャグジーが付いてるわ、洗面所に至っては壁一面鏡の上化粧台が二つもあるわで度肝を抜かれてしまった。
化粧台二つとか明らかに過剰だろうに……
「……よし、これくらいでいいかな?」
大分服も温まってきてドライヤーを止め乾き具合を確かめると、まだほんのりと湿っている気もしたが十分及第点だった。
流石は夏服。こういうときばかりは暑い気候に感謝だ。
今までの下着状態から着た時の服装に着替え、エレナの元へ戻ると彼女は仰向けになったまま息を荒くして目を瞑っていた。
「エレナ、平気?」
「…………」
返答どころか反応すら無いところを見るに、きっと眠っているだろう。
扉の側にはさっき投げたであろう枕が転がっているし、取りに立ち上がる余裕さえないようだ。
「枕がないと身体痛めるよ」
落ちていた枕を拾い、そのまま眠っている彼女の頭をゆっくり、ゆっくりと持ち上げて隙間に差し込むことに成功する。
その時触れてしまった彼女の髪は、多少メンテナンス不足で荒れているように見えたがするりと指の隙間に入り込み、そのまま引っかかりを感じることなく抜くことができた。
きっと日頃のメンテナンスがしっかりとしているのだろう。久しぶりに会った紗也はそれが不足していたのか、帰ってきた日の夜に触ると荒れているのがすぐわかったが、一方彼女は十二分に万全だった。
それにしても長く、美しい金色の髪――――それはまさしく金銀糸のようだった。
感触はシルクのそれに近く、お互いのいいとこ取りといった印象。
きっと起きている間に髪に触れているなんて知られたら怒られるだろう。俺は早々に手を引いて部屋から出ていこうとする。
「――――あれ?」
「…………」
クイッと、扉へと向かい歩き出そうとしたら服が引っ張られる感触に襲われる。
どこかに引っ掛けたのだろうかと確認すると、エレナの指の先が不自然に曲がり、俺のTシャツに引っ掛かっていた。
「んん…………ママ……どこ行ったの…………」
熱にうなされながらも必死に絞り出すような小さな声が部屋を震わせた。
きっと家族の夢を見ているのだろう。再度ベッドへと身体を向けた俺は引っ掛けていた手を取り、跪いて両手で包み込む。
「俺はママじゃないけど……大丈夫だから。 ご飯作ってくるからね」
「………………ん……」
そんな励ましのお陰なのか、今まで張っていた肩の力が抜けてほんのり表情が楽になったような気がした。
きっと今ならば少しだけ離れられるだろう。そう信じて買ってきたものをいくつか手にし、キッチンへと向かっていく。
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チーンと。
キッチンにて少し手の空いた隙にアイさんへ現状報告を送ると同時にそばにあった電子レンジが終了の合図を鳴らす。
どうやら調理が終わったようだ。扉を開け、中に入っていたものを取り出す。
「あちち……」
ラップを外して見えたのは水分が多分に含まれた米と卵……当然、卵粥だ。
自ら作ることなくレトルトになってしまったのには理由がある。勝手に冷蔵庫の中を使うわけにはいかないし、材料を買おうとも思ったが、料理の出来ないエレナが道具を揃えているとは思っていなかったからだ。
よくよく思い返せばここでパーティーをしたわけだし、アイさんが使うためなのか揃っていたわけだが。
けれど今更言っても仕方ない。お粥と新しいスポーツドリンクをお盆に乗せ、エレナの部屋へと舞い戻る。
「エレナー? 開けるよー?」
「……えぇ、いいわよ」
返事が返ってきたということは起きているのか。
片手で器用に扉を開けると、エレナはベッドの上で身体を起こし、ヘッドボードに身体を預けてこちらを向いていた。
「平気なの? 起きて」
「えぇ、寝たら多少楽になったわ。 それ、作ってくれたの?」
「レトルトだけどね。 食べれそう?」
「そんなの気にしないわ。 ありがと」
頑張って笑顔を見せてくれるもその頬は紅く、無理した表情というのはすぐにわかった。
しかしそんなことを指摘することもなく、ただ黙って棚にお盆を置いてから近くの椅子を引いて腰を降ろす
「……ねぇ、こういう時はフーフーして食べさせてくれるんじゃ無いのかしら?」
何も言わずに距離を取った俺が不思議だったのかお粥を指差して問いかけてきた。
冗談だよね?いくら風邪といえども起き上がれるくらいにはなったわけだし、それは一人でも……。
「ダメ……なの?」
「…………」
どうやら本気のようだ。
俺は黙ってベッドに近づき、念の為持ってきたティースプーンを使って希望通りの行動を行う。
「――――はい、エレナ」
「はむっ…………えぇ、美味しいわ。 ありがと」
いつもは気を張り、少し芯の強いところのあるエレナがこうも素直に、しおらしいのは初めてだった。
今の格好や状態を自覚しているのかは不明だが、ここまでギャップがあると調子が狂ってしまう。
「んっ……!」
「ん?」
少し恥ずかしくなって目を逸していると、彼女が何か要求していることに気がついた。
目を向けると顎を上げ、小さな口がほんの少しだけ開いている。
「んっ……もう一口……」
「…………了解」
そういうことかと、俺はもう一度スプーンでお粥を掬って冷まし、彼女の口へと運んでいく。
これで最後と、何度も何度も続けていくうちにいつしかお粥が空になるまで続いていった――――
つ、疲れた……
お粥を食べさせるのってこんなに疲れるものだっけ。
昔紗也にやった時はこんなものじゃなかったはず。きっとティースプーンなんて小さなものでやったのがダメだったんだ。
こっそりレンゲに変えようとしたら怒られるし、いざ一人で食べてと言わんとすると腕を掴まれて首を横に振るし……そりゃ疲れもするものだ。
「ど、どう? 体調は」
「えぇ……食べたお陰でかなり楽になったわ。 ありがとね」
さすがに食べた直後でそれは無いだろうとも思ったが、今まで燃えるように紅くなっていたその顔の火照りは少しだけ鳴りを潜め、表情も幾分かマシだった。
コップの側には空になった薬のシートが転がっていたし、その効果が今になって出来たのだと推測する。
「よかった。 でもまだしんどそうだし、もう少し眠ってなよ」
「えぇ~……沢山寝たからもう十分よ……」
わかる。
風邪の日は寝ろってよく言われてたけど、いつかは目が冴えてしまうものね。
けどそれが楽で手っ取り早いのは間違いないんだけどな。
「じゃあ、せめて横になってたら?」
「…………いや」
「嫌って……」
「だって……そうしたら帰っちゃうじゃない……」
そんな絞り出すようなか細い声に片付けようとしていた手を止めてしまう。
そっか……そうだよ。紗也が風邪になった時だって俺が離れようとすると泣いていたじゃないか。
彼女も同じとは限らないが、大なり小なり抱く思いは似通っているのだろう。
「大丈夫。 俺はそこの椅子に居るからさ」
「居て、くれるの?」
「まぁ、アイさんが戻るまでくらいなら……」
俺は空になった器をリビングに戻すことすら諦め、膝を折って彼女と視線を合わせる。
いくらうなされて寝ているときとはいえ、あんな寂しそうにされたら帰るに帰れない。
アイさんらは日が落ちるまでには帰るって言ってたし、それくらいなら看病もしていよう。
「そっか……それじゃ、こっち」
「……?」
「こっち」
彼女がそう言いながらゆっくりと手で叩くのは同じベッドのすぐとなりのスペース。
しかも少し端まで寄ってこちらに座りやすくしてくれているというおまけ付き。
「いや、そこは、ねぇ……」
さすがに姉らしき小学……先輩といえどもベッドを一緒にするのはハードルが高い。
やんわりと諌める為の言葉を探して視線を右往左往していると、キュッと小指の先をつままれた。
「ダメ……?」
「~~~~!」
その寂しそうな顔はダメだよ……
その天然なのかわからない策略にハマった俺は、一つ息を吐いてからベッドの脇へと足を掛けた。




