033.ミーハー
「――――へぇ~。 聞いてた食事はエレナちゃんとだったのねぇ」
さっきまで紗也が座っていた位置に母さんが座り、机を挟んで俺たちは向かい合う。
あれから食事の件も含め、色々とエレナに世話になっていることを説明した。
話を黙って聞き終わった母さんは、買ってきたアイスコーヒーを口にすると同時にエレナが立ち上がり頭を下げてくる。
「すみませんお母様。私の身勝手な行動で心配させてしまって」
「いいのいいの!ストロベリーリキッドは私も大好きだもの! どんどんこの愚息を連れ回して頂戴!」
と、懐の深い母の姿を見せてくるも、胸に抱かれた色紙が全てを台無しにしている。
無事白紙の色紙を見つけることができた母さんはエレナにサインを貰っていた。ここまで母さんがミーハーだったとは……
「……ありがとうございます」
エレナも姉ムーブ、というよりかなり畏まった態度だ。
いつもと違いすぎる姿についツッコミを入れたくなったが、俺もお茶を口に入れて誤魔化すよう務める。
「帰ったらあのテレビで見ていたエレナちゃんが居るんだもの、驚いたわぁ。 碌なものしか出せなくてごめんなさいね?」
「いえっ! 長旅でお疲れでしょうしこちらこそ手土産も無しに……」
その殊勝な態度を見て、実は中に江嶋さんが入っているんじゃないかと疑ってしまう。
いや、さすがにそれはないか。 背丈はもちろんある部分も――――
「ぃてっ!」
「あら慎也、どうしたの?」
「いや、なんでもない……」
思考を読まれたのか、隣に腰を降ろしたエレナに太ももをつねられた。
恨めしく彼女を見るも母さんの方向に顔を向けてこちらを見向きもしない。
「母さん、これであの件は問題ない……ってことでいいのかな?」
「そうね。 実際に話してみるとエレナちゃんはやっぱりいい子だし、そういうことになるわね」
「じゃあ!」
明日には戻るのだろうか。
俺としては是非とも気楽な一人暮らしを継続していきたいのだが。
「――――でも、慎也の夏休みが終わるまで居るつもりよ」
「えっ!?」
ついつい驚きで勢いよく立ち上がってしまった。
目的は達したはずなのに。
てっきり数日で戻ると思われたが1ヶ月と少しもこちらに居るというのは予想外だ。
「何よ、そんなに驚くこと? 友達にも会いたいし、慎也がどれだけ家事をできるようになったのか気になるしね」
「そんなぁ……」
もはや確定したらしい事実に俺は崩れ去るように椅子に座り込む。
家事の判定は怖い。それで悪い結果に終われば猛特訓が待っているじゃないか。
それに母さんは寝坊にうるさいから休日の安眠時間が削られる……
「ふふっ」
「……エレナ?」
これから来るであろうスパルタの日々抱えていると、エレナから笑い声が聞こえてきた。
『何故笑うのか――――』そう疑念を込めて隣を見ると彼女もに気づいたのか、慌てて手を振ってそうではないと意思表示してきた。
「ううん、横から見るとすっごくニヤついていたもの。 そんなに嬉しかったのね」
「へ? …………なぁっ!?」
そんな顔してた!?
確かに大半の家事はやってくれるし紗也とも一緒に居られるしで悪いことばかりじゃないけど、そんな顔に出るほどだった!?
「あら、慎也ったらそう思ってたのね……」
「いやっ、これは……」
否定も肯定もできずにいると何も言えなくなってしまった。
追い詰められて丸まっているとポンッと、俺の頭に何かが乗せられる。
「いいのよ。悪いことじゃないもの。 それに仲睦まじくて羨ましいわ」
「エレナ……」
それは彼女の手だった。
彼女は幼子をあやすかのように俺の頭に手を乗せてゆっくりと動かしてなだめていく。
そんな母性の満ち溢れる言動に安心してしまう自分がいると同時に恥ずかしくなり、それでも振り払うことさえできずにただただ小さくなってされるがままでいた。
「あらぁ。 もしかして2人、付き合ってたり?」
「母さん……」
母親の前で頭を撫でられた上、そう勘違いされてしまっては恥ずかしさも一周回って冷静になってしまうものだ。
その声を受けてピクッと手を止めたエレナは頭から手を離し、いつもと変わらない笑顔を母さんに向けてくる。
「いえ、残念ながら。 まず弟分として攻めているのですが案外硬くって」
攻める!?
もしかして今までそういう意図を持って俺と…………
いや、違う。アレは完全に冗談で言っている。
チラってこちらを見た目がニヤついてたし。
「そうだったのね……この子、父親に似て馬鹿だから苦労するでしょう」
「いえ、いつも助けられてます。 これもお母様の教育のお陰ですね」
「嬉しいこと言ってくれるじゃない。 私の力が必要ならいつでも言ってね! 協力しちゃう!」
「ありがとうございます。その時は是非」
…………もうどこからどこまでが冗談かわからなくなってきた。
ふたりとも笑い合っちゃって母さんが信じてるかどうかすらわからない。
「――――おはよぉ……お母さん帰ってき…………愛玲菜さん……」
俺が2人の会話に戦々恐々としていると、扉が開いてさっきまで寝ていた紗也が入ってきた。
目をこすりながらボーッとした表情で歩いてきたものの、紗也の視線がエレナと交差すると瞬きする間にしっかりとした表情に変わっていた。
「おはよう、紗也ちゃん。 ……それじゃ、私はこれにて失礼するわ」
「えっ!もう!? もっとゆっくりしていけばいいのに……」
紗也と視線が合った途端エレナが立ち上がる。 彼女は母さんが止めるのを流し、淡々と荷物を纏めだして帰る準備を始めていく。
「いえ、お二人は帰ってきたばかりですもの。疲れてる所お邪魔できませんし、何より家族の時間は大切ですので」
「でも…………」
「また改めてご挨拶に伺いますので。 お茶、ありがとうございました」
そう、足早に去っていくエレナ。
さっきまで談笑していたのにどうしたのだろう。その豹変具合がどうしても気になった俺は、自らも立ち上がって足を動かした。
「エレナ!」
「…………あら、どうしたの?」
後を追うように駆け出した俺は、電気も付けず暗い玄関にて靴を履いている彼女を引き止める。
しかしエレナは俺の顔を見ることなく、淡々と靴紐を結びながら聞き返す。
「それはこっちの台詞だよ。 どうしたの?ゆっくりしてけばいいのに」
「理由はさっき言った通りよ。 また時間がある時にでも連絡するわ」
それでも、来た途端帰るって言ったから紗也も驚いてたよ。
確かにちょっと警戒してたけど、そこまで気に触っただろうか。
「もしかして、何か気を悪くした?」
「それも違うわ。 紗也ちゃんもいい子だし気にしないで頂戴」
靴紐も結び終わり、立ち上がって扉に手をかけるエレナ。
……これ以上引き止めるのは難しそうだ。
「……そっか。 今日はありがとう」
「えぇ、こちらこそありがと。 ……またね」
そうして扉を開いた瞬間、外から照らされる光によって彼女の横顔が露わになる。
――――俺の目から見えた彼女の顔は、どこを切り取ってもこれ以上無いほど赤色に染まっていた。
キャパオーバー




