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019.先制攻撃


 シャァァァァァ………………



 見慣れた浴室に雨粒のような水滴が降り注ぐ。

 その水滴はガスや電気によって温められたものではなく完全な冷水。夏の暑さのせいであまり苦痛と感じない冷水は昇りきった頭の血を冷やすのに丁度良いものだった。


 今日は濃い一日だった。

 エレナの自宅で誕生日パーティをして、江嶋さんの恐怖症の原因を知り、リオと会って――――


 未だにあの時の出来事が夢に思える。今まで何もない日を無為に過ごしてきた俺にとってはそれほど濃密な一日だった。

 それ故に帰ってくる時の事をよく覚えていない。たった今のことなのに。

 ただ解ることはふくらはぎが悲鳴を上げ続けていること。電車でただ座り続けることも我慢できなくなった俺が、快速1駅分を走って帰ったのが原因だというのはわかりきっているが。

 そのおかげで家にたどり着く頃にはまだ見えていた太陽が沈みきり、暗闇に呑まれてしまっていた。


「付き合わない? か――――」


 シャワーを止め、ぬるま湯になってしまったお湯に浸かり直し、今日の最後の最後……リオに言われた言葉を思い出す。

 


 ―――――――――――――――――

 ―――――――――――

 ―――――――



「…………慎也クン?」

「……はっ! なんだかありえない夢を見ていた気がする……」


 いつの間にか座ったまま気絶一歩手前の状態に陥っていたようだ。目の前にいるリオさんによってペチペチと頬を叩かれている事に気づいて我を取り戻す。


「それで、答えは?」

「えっと……何の話だっけ?」


 一応、さっきの言葉が聞き間違いではなかったか問いかけてみる。すると彼女は開いていた瞳をさっきまでの半開きに戻り、一つ嘆息したと思ったら眉間にシワを寄せてこちらをにらみつける。


「むっ! さては聞いていなかったと見られる。これは行動で示すしかないか……」


 あまりにもさっきの出来事が信じられず問い返すと、彼女は叩いていた両の手で俺の両頬を固定し、あろうことか自身の顔を近づけてきた。


「えっ……ちょっ!……わかった! 聞いてたからちょっとまって!!」


 その行動でようやくさっきの言動を信じるほかないと悟った俺は彼女の肩を掴んでその行動を制する。

 案外彼女も本気ではなかったのかすんなりと剥がすことができ、座っている俺の前へと立ちはだかる構図になってしまった。


「で、一世一代の初告白。答えを聞かせてもらおうじゃないか」

「答えって言っても、さっき会ったばかりだし、ねぇ……」


 人生経験は乏しく、今まで人と付き合ったことなんて一切無い俺にとっては『とりあえず付き合う』なんて行動を理解することが出来ない。

 中身も知って、付き合うのはお互い好きになってからなどと古臭いかもしれないが、そんな思いを未だに持ち続けている俺にはそう簡単に『はい』などと言えるわけもない。


「私と付き合えばあのマンションの一室を好きにしていいし、20歳超えれば晴れてその部屋はキミの持ち物だぜぃ? 今は社宅だけど」


 アレ社宅なんだ…………。

 ってそうじゃない。お金とか家とかそういう問題ではないんだ。


「そういうことじゃないよ。お互い全然知らないし、そう簡単に付き合うことなんてできない」

「ふむ……ガードが固いか……。 じゃあ、私のことをよく知ってからは?」


 それなら……まぁ……。


「それで二人とも好きだったなら……」

「む、了解。 …………それじゃあコレ」

「?」


 そう言って彼女が懐から取り出したのは以前ポケットに突っ込んだものと同じ柄の紙切れ。

 その折りたたまれた紙を受け取り広げて見ると、彼女の名前と連絡先らしき数字の羅列が記されていた。


「とりあえず芽があるってわかっただけ満足~。 後のことはゆっくりやるよぉ~」


 そう昼間と同じような調子で、俺に笑顔見せてくる。

 その表情は悲しいような辛いような、そんな見るものをも辛くさせるような笑顔で、その表情を生み出したのが俺と考えると胸の奥がチクリと刺さるような痛みに襲われた。


「えっと……」

「だいじょ~ぶ。 エレナやアイに盗られる前に付き合ってみせるし、本来なら会って話しただけで満足なんだからぁ」


 そう言いながら一歩、また一歩と。こちらに体を向けながら後ずさるように遠ざかっていく。

 そんな彼女に追いつこうと俺もベンチから立ち上がるものの告白を断った手前、彼女に追いつくには俺の脚は重すぎた。


「また、近いうちに会えるよ。 私とも、あの二人とも。 それと――――」

「それと…………」


 言いかけた言葉を復唱するうちに彼女はその場でクルリと一回転する。

 同時に一陣の風が吹き、スカートが舞い上がってその下にある白い布地が見えてもお構いなしに。


「――――私の事はリオ、でいいんだぜぃ?」


 一回転した彼女はさっきの笑顔とはまるで違う…………とびきりの笑顔を見せつけてきた。

 写真や動画で見るアイドル然としたものではなく、彼女自身の、本当に心からの笑顔を見せつけるように――――


「……それじゃっ! あぁ恥ずかしっ!」


 そんな誰しもが見とれてしまうような笑顔も一瞬のこと。

 さっきのスカートの件が効いたのか顔の下から上まで一気に朱く染まっていき、逃げるように公園の出口へと走り去っていく。


 彼女の笑顔の矢に撃ち抜かれた俺は直ぐ側にあったベンチへと崩れ落ち、去っていった出口をただ見つめることしか出来なかった。



 ―――――――――――――――――

 ―――――――――――

 ―――――――


 それからは至極単純な行動だった。

 まだ空高くあった太陽が夕焼けになり、ようやく意識を取り戻した俺は急いで帰路へとつくことに。


 電車に乗っても告白されたことへのフワフワが抜けず、じっとしていられなくなり、自身の中にわだかまっている何かを発散するように快速を一本手前で降りて自宅までの1時間と少しをただひたすらに走り続けた。



「はぁ…………」


 このため息は一体なに由来のものだろうか。

 唐突に告白された頭のパンクか、未だに震えている脚から明日筋肉痛地獄が確定したものか、すぐに返事が出来なかった不義理への怒りのものか。


 おそらく全てだろう。 

 一度頭をリセットするために息を止め、湯船の水を全身で味わうように頭を沈めて限界まで潜り続ける。


「…………カハッ! ……はっ……はっ……」


 …………失敗した。

 潜っている時に雑念が入ったためか鼻から一部水が入ったため、ものの30秒程度で慌てて水面から顔を上げ、呼吸を整えるために何度も咳き込んで体内に入った水を除去していく。



 どうやら生への渇望は全ての雑念を打ち消しそれのみに没頭する力があるらしい。

 何度も咳き込んでようやく鼻の不快感が無くなると、今までごちゃごちゃだった頭がスッキリし、澄み渡るようなクリアな脳内となっていた。


 棚ぼた的なリフレッシュ方法に多少腑に落ちないところがあるものの、これなら一つ一つの物事に集中して取り組むことができる。課題もやり忘れてたし。


 そう思って意気揚々と浴室から出ると、スマホの通知欄にいくつかのメッセージが残されていることに気がついた。



『今日は来てくれてありがとう。 プレゼントも大事に使うわ』


 これはエレナか…………ん?『姉』?

 エレナと思われる文面の差出人は何故か姉の一文字のみが表示されていた。


 俺に本当の姉はいないし、そう言い張る人物は一人しかいないからこのメッセージは彼女で確定だ。

 いつのまに…………。 そう言えばこの連絡先って勝手に登録されたっけ。つまり普段俺が連絡先を見ないのをいいことに最初からこの名前で登録されていたと。


 そんな彼女の相変わらずの行動に苦笑しつつも表示を『エレナ』へと変更して返事を返す。



 さて、次は……


『一緒にお祝いしてくれてありがとうございます。 それと私の事情も……絶対他の人に話しちゃダメですからね!』


 もちろん話しませんとも。

 これは江嶋さんだろう。タイムスタンプを見れば俺が出ていってすぐのようだった。律儀な人だ。

 そこから少し下にスクロールすれば何の応答の無いことを不安に思ったのか俺を案じてくれるメッセージも見受けられる。

 もしかしたら今も彼女は心配をしているかもしれない。このメッセージの返事はマストだった。 俺は少し慌てながら問題ない旨の文字を打っていく。



 最後は……リオか。

 あんな事があった手前、彼女のメッセージが一番気になっていた。

 ほんの少し見てもいいものかと逡巡したもののすぐに意を決し、そのメッセージを確認する。


『そう言えばお近づきの印にあげる木彫りの熊が無かった。 彫りに行こうと思うけど何か形のリクエストある?』


 …………なにこれ?

 いや、エレナに熊を渡してたしどういうものかはわかるのだが、さすがにこの内容は予想を遥かに超えていた。

 これが自由か。 いやはや恐れ入る。


 そんな内容にあっけに取られながら自然と笑みが溢れ、『木彫りの熊より手作りお菓子がいい』とのメッセージを打ち込むため、汗にまみれていた手をタオルで拭き取ってから再度スマホに向き合った。




 一日彼女と関わり、その自由さを理解した気になっていたが、まだまだ甘かったようだ。

 この後、彼女の奔放さの真髄をすぐ目にする事になろうとは今の俺には知る由もなかった――――



Q.メインヒロインって誰なの?

A.全員です(過激派)

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