018.猛暑の中
「――――それじゃあ、俺はそろそろ帰るよ」
あれからリオさんは自宅に戻ったようで3人でノンビリと江嶋さんの淹れてくれた紅茶を口にして談笑していたさなか。
ふと目に入った時計の短針が5を指し示しかけていることに気づいて俺は一人席を立つ。
「えっ……もう帰っちゃうんですか……お夕飯は……?」
「そうよ。せっかく可愛らしい女の子を2人も侍らせてお茶してるんだもの。どうせならここに泊まっていく?」
「ちょっとエレナ!?」
そんなエレナの軽口に江嶋さんは顔を真っ赤にして彼女の名を叫ぶ。
自分で可愛いと言うのがエレナらしい。 まぁ否定はしないけど……
「今日は台風どころか快晴だし、一雨降られないように退散しようと思ってね」
リビングの奥に張られている壁一面のガラスに目をやると、少し日は傾いてはいるが夏至も過ぎてそれほど経っていない為、太陽は高い所に位置していた。
まだまだ外は暑そうでガンガンに効いたエアコンのおかげでこの部屋は涼しくとも、外では一旦日差しの下に移動すれば汗が吹き出してくる程の猛暑だ。
「そう……残念ね。 下まで見送りは?」
「そっ、そうですよ! まだ明るいですし駅くらいまでなら……」
「ううん。そのためにわざわざ変装してもらうのも申し訳ないから」
「でも――――」
なおもありがたい事に提案をしてくれる彼女たちに対してやんわりと遠慮した。
それでもなお言葉を発しようとした江嶋さんを、エレナが手で制して席を立つ。
「そう。なら玄関までね」
今回ばかりはその主導能力の高さに感謝するほかない。
俺は心のなかで江嶋さんに謝罪しつつ今日のお礼を言って彼女の家を後にした。
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それからしばらく歩みを進めていた俺だったが、彼女たちのマンションを出て5分ほど歩いた位置で立ち止まる。
辺りには誰も居ない。ただし車は行き交っている為、みんなこの猛暑の中歩きたくないということだろう。
見る車はどれも高そうでここらに住む人々の懐具合が伺える。まったく羨ましいことで。
「さて、どこって言ってたっけ……」
そう独り言を漏らしながら取り出したのは一枚のメモ用紙。
洗い物を終えてから3人で談笑していると、ふとポケットに手を突っ込んだ時にこのメモが入っていることに気がついた。
『本日17時 海の見える公園にて』
たったそれだけの、宛名すら書いていない簡素なもの。
けれど差出人が誰か想像をするのは容易だった。
そもそもマンションに来る前までは無かったのだから候補は3名。そしてポケットに物を入れる感触が感じられないほど自然に近づいてきた人物は一人しかいない。
差出人である彼女からの呼び出しに応じるべく、ビルが乱立する道のど真ん中でマップを起動する。
一応、事前に地図を確認していたからある程度は把握していたものの、公園の位置までは覚えていない。ビルが乱立する中本当に公園なんて存在するのかと疑問に思ったが、その疑問は案外早くに解消された。
「…………あっちか」
マンションを出てから適当に歩いていたけれど案外勘は当たるもので、件の公園までは残り1分ほどと表示されていた。
どうやら道路を挟んだ反対側にあるようでここからはまだ見えないが、時代の最先端機器であるスマホを信じてそちらへ足を伸ばしていく。
――――そこは公園と呼ぶにはあまりに何も無い場所だった。
俺が想像していた公園は遊具や砂場があり、広ければ球技などができるような場所。
けれどこの場所は海に面したランニングコースと、それを眺める草木とベンチしかなく肩透かしを喰らった気分だ。
「リ――――おっと……」
到着して早々彼女の名をを大声で呼ぼうとしたものの寸前で引き止める。
そう言えば彼女も著名な人物だった。それなのに外で俺を呼んだのだから注目を浴びるのはきっと本意では無い。
公園は多少横に長いものの、幸いにも人は誰一人見当たらなかった。きっとこの暑さのおかげだろう。
そのおかげでこちらは汗まみれなのだが、ここで帰るわけにもいくまい。
ランニングコースと言っても端が目視できる時点でそんなに大した距離ではない。適当に端から端まで歩くと彼女に出会うことができるはず。そんな楽観的な事を考えながら公園のランニングコースへと足を踏み入れた。
「――――お~い………やク~ン」
俺の見積もりでは数往復くらいは覚悟していたものの、その呼び声は案外早くに訪れた。
今日の勘の良さに安堵しつつその声の主を探すため、辺りを見渡してみる。
「…………リオさん?」
不思議と思って名を呼んでみるも彼女の姿は見えない。
けれど確かに呼び声は聞こえた。少し不自然に思いつつもう少し歩みを進めると目を疑うような光景がそこ待っていた。
「ク~ン…………慎也ク~ン」
「リオさ――――!?」
丁度折り返し地点に到着したと同時にその姿を捉える事ができた。
けれど問題は彼女が居た場所。
彼女はすぐ側にベンチがあるにも関わらずその後方…………草木の中へと潜伏していたのだ。
立ち上がった事で胸元から上が露わになるもその姿は草まみれで、彼女の綺麗な髪でさえも草や枝が絡まって見るも無残な状況に…………
「なんてとこにいるの!?」
「ほら、一応私達も有名になっちゃったからさ…………えぇと、隠れ身の術?」
忍者か。
そんな軽口を言いながら大股で草木のから出ようとするも足元の何かに躓いたらしく、脱出直前でよろめいた身体をなんとかキャッチする。
「うぉっとと………いやぁ、いつもすまないねぇ……」
「それは言わない約束……って、いつもじゃないでしょ!」
俺のツッコミを気にすることなくベンチの端っこに腰を下ろし、身体中の葉などを落としていくリオさん。
これは自由だ…………凄い。
「それにしても、紙に気がついてくれてよかったよ。 それも時間が来る前に」
「たまたま、だけどね」
髪に絡まっていた枝を取り除くのを手伝ってから半人分空けた位置に座る俺。
すると彼女はその半人分を埋めるように、その隙間を詰めて座りなおしてきた。
「む?」
「…………」
なんとなく、再度隙間を開けるように俺は少し横にずれて座る。
しかし彼女も、隙間を埋めるように移動してきた。
「むむ?」
「…………」
またもや同じ行動をする俺たち。
「むむむ?」
「…………どうしたの?」
そんな事を繰り返し、最後にはベンチ逆サイドの端までたどり着いてしまった。
後半なんかは俺も半分ふざけていたが、一応問いかけてみる。
「いくら私があれからずっと張ってて汗臭いとはいえ、それはひどいんじゃあないかい?」
「いやっ……臭いわけじゃあ……むしろ……」
そう言って自身の腕を鼻に近づけながら匂いを確認するリオさんを俺は慌てて否定する。
…………むしろ凄い好みの匂いがする。本当に汗臭いのかと信じがたいほどに。
さらに言えば、時間指定までしてるのにずっと張っていたことのほうが信じがたい。
「むしろ?」
「俺のほうが汗臭い、し……」
彼女の真っ直ぐな視線から逃れながらつい気になって自身の匂いを確認する。
俺にとっては目下そちらが問題だ。
まだマンションを出て30分程度しか経っていないくせにもう背中や額は汗まみれで不快感がすごい。臭っていないだろうか……
「ふむ…………」
「? …………ちょっ!何してるの!?」
彼女が考える素振りを見せたのも一瞬のこと。その後すぐに俺の背中に飛びつき、背中や腕、果には頭にまでその顔を近づけていく。
「クンクン…………うむ、全然臭くない。むしろ私好みの匂い」
「ありがと…………初対面で距離感おかしすぎるでしょ……」
「…………初対面?」
そのつぶやきに疑問を覚えたのか、彼女は今までずっと眠たそうにしていた目を大きく見開き、その茶色の瞳を俺へと向けてくる。
「えっ……と……」
「もしかして…………いや、なんでもない」
「?」
リオさんは何かを言おうとしたがそれも自らの手で止め、少し肩をすくめるようにして首を振る。
俺は彼女たちのグループを最近まで知らなかったし、コンサートなんて以ての外だ。会ったことなんて無いはずだ。
「俺たち、会ったことある?」
「…………」
「リオさん……?」
しかし彼女ももうそれ以上深堀りを拒むように無言となり、海に目を向け問いかけに答えなくなってしまった。
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どれだけ無言の時が流れたのだろう。
5分かもしれないし、1時間かもしれない。
なんとなく、気まずい雰囲気を感じたままずっと海を眺めていたものの不意に彼女の発する雰囲気が弛緩したような気がした。
「ねぇ、キッチンで言ってたことだけど……」
もう、このタイミングしかないと思って俺は本題を切り出した。
今日、エレナたちのお茶会を途中で切り上げてまでここへ足を運んだ理由はそれだった。リオさんは答えてくれないかとも不安に思ったがそれも杞憂に終わり、海を見ていたその顔がこちらへと向けられる。
「む? あぁ~、慎也クンとエレナのこと?」
「……うん。 話聞いてたって」
きっと俺が呟きエレナに睨まれたタイミングで、もうリオさんは居たのだろう。
別に偽物の関係だって広まる事はどうでもいいのだが、ここまで信じ切っている江嶋さんを裏切るのは本当に心苦しい。
もしかしたらエレナと彼女の関係性にも変化が訪れるかもしれない。そんな危惧があった。俺はどうなってもいいが2人の関係のため、そこだけはどうにか伏せていたい。
「心配してるのは…………アイにそれが知られることでしょう?」
「うん……」
見事俺の心中を言い当てられて頷くことしか出来ない。
彼女はしばらく顎に手を当て考え事をした後、とんでもないことを言いだした。
「――――もしかして……アイのことが好き?」
「へっ? い、いや!そ、そんな事は!! 俺と江嶋さんがだなんて……」
その言葉は寝耳に水で、俺は思わず狼狽えてしまう。
俺にとって彼女は高嶺の花だ。
確かに容姿は理想そのものだが、きっと俺に対して優しいのはエレナの弟に対する優しさなだけだろう。
仮に好きだと言ってもドン引きされて終わるはず。
「ふぅ~ん…………」
「な、なに?」
そんな俺を訝しげに思ったのか、リオさんは俺の脚をまたぐようにして馬乗りになり、頭から腰まで何度も何度も視線を行き来させる。
そんな謎の行動に不安になりながらも彼女に問いかけると今度はベンチの上で正座の格好となり、身体ごとこちらを向き直る。
「それじゃあ…………私と付き合わない?」
「…………………へっ?」
そんな突然の提案に、手にしていたバッグが地に落ちることすら気づくことは出来なかった。
俺の目の前にいる少女は、茶色の瞳を大きく広げ、震わせながらその返事をただただ待ち続けていた――――




