175.ファイナルライブ
人が――――
人が、たくさん居る。
右を見ても左を見ても、はたまた後ろを振り返っても多くの人が、そこに居た。
傾向的には若い人が多いだろうか。家族、カップル、友達同士など、パッと見る限り多様な関係性だと予測させる人がそれぞれ談笑しあっていた。
ただ一つ分かるのは、そのどれもが笑顔を浮かべているということだ。
少なくとも見て取れる限り緊張や期待の顔はあれど、怒りや悲しみといった感情は見受けられない。
俺はそんな様々な顔を眺めつつパイプ椅子の間、狭い通路を通っていく。
「おにいちゃ~ん!こっちこっち~!!」
その呼びかけに顔を向けると、前方には先に席へとたどり着いた紗也が笑顔でこちらに手を振っていた。
紗也はエレナを真似るように長髪を二つ留め、両肩から前に流した髪型。
少しでもおしゃれに見せようとしているのか、普段は履かないプリーツスカートで生足を大胆に露出し、小豆色のニットベストに白のニットカーディガンといった組み合わせだ。
まるで大事なお出かけの一張羅のよう。俺はそんなはしゃぐ紗也に少し微笑んで小走りでそちらへと向かっていく。
「見てみてお兄ちゃん!!すっごい近いよ!!」
「これは……すごいね……」
至るところに人は居るが、唯一何者も居ない前方へと目を向ける。
目の前には胸元までの高さがある簡単なフェンスがあり、その向こうには一段だけ高い場所――――ステージが広がっていた。
彼女たちからチョコレートを貰ってから一ヶ月と少し。
俺はストロベリーリキッドの最後の晴れ舞台、ライブを鑑賞するためにドームへとやってきていた。
相当な倍率を勝ち抜いてきただけはあるのか、周りの観客も随分と熱が籠もっている。過去のライブで買ったであろうシャツやタオルを身に包み、ペンライトまで何本も準備する者も居た。
一応俺たちも人数分ペンライトを用意したが、自動制御されるなんて知らなかった。生のライブなんて初めてだから知らないものでいっぱいでもあるのだが。
そして神鳥さんから貰ったチケットはまさしくど真ん中。いくつも区画に分けられている中の、ステージど真ん中の席だった。
一列五席。ウチは紗也と母さんで三人、そしてもう二人は美代さん親子が座るらしい。
話によると美代さんの親戚であるのぞみちゃんも何処かに居るだとか。
「こんな席用意できるなんて、さすがお兄ちゃんだね~」
「完全にコネで複雑な気持ちだけどね……」
「ホント、お兄ちゃんは女たらしなんだから……はぁ、どこで道間違えちゃったんだろ……」
ホント、紗也の言う通りどこなんだろうね。
あの台風の日?それとも結成のきっかけになったという小学生の時?
いずれにせよ、よっぽどのことがない限りどうあがいてもこの未来が来ていた気がする。小学生の頃って俺の知らないとこで動いてたからどうしようもないし。
「ホントにねぇ、先輩の息子さんがウチの大事なアイドルを持ってっちゃって、管理する身としては悔しいよぉ」
「あ、マネージャーさん。 お久しぶりです」
「久しぶり~紗也ちゃん。 元気してた?」
「はいっ! あ、チケットありがとうございます!」
チケットに記載されていた椅子に腰掛けて紗也とボーッと会話をしていると、ふと隣からかけられるのは久しぶりに聞いた声。
神鳥さんだ。彼女は美代さん達一行が座る席の一つにいつの間にか座っていた。
紗也は見つけると同時に礼儀正しく挨拶する。
「いえいえ~。ちゃんと紗也ちゃんたちも帰国できたようで何よりだよ」
「ウチの主人は向こうでお留守番ですけどね、恵那さん」
フッと微笑んで紗也の頭を撫でると、一足先に母さんが釘を刺す。
そんな腕組みをして威嚇する母さんに神鳥さんは「いやいや~」とあっけらかんと返事をした。
「それはもちろん。わかってるからこそ三人分しか用意してないじゃないですか~」
「……ふぅ。 ま、わかってるならいいわ。それでどうしたの?」
「えぇ、まず慎也君たちがちゃんと来れたかどうかの確認と……紗也ちゃん、お呼びがかかってるよ」
「私に? 誰から?」
なんのことか一切見当がついていないようで首をかしげる紗也。
呼ぶ?この会場で呼ぶほど関係してる人って……誰かいたっけ?
「そりゃもちろんあの三人からだよ。控室に来てくれってさ」
「いいの!?」
まさかの提案に目を輝かせる紗也。
え、いいの?じゃあ俺も行こうかな。未だに秘密だって言われて衣装すら見れてないし。
「もちろん。 ……あ、慎也君はダメだよ?」
「えっ!?」
「絶対来させるなって言われててね。慎也君はここで私と留守番。 紗也ちゃんと先輩は向こうの……あのスーツの女の人が案内してくれるから」
そう言って指を差したのは普段の制服とは少し毛色の違う、ビジネススーツを来た運転手さんが立っていた。彼女は俺達の視線に気がついたようでこちらに手を振っている。
先月、彼女から貰ったバレンタインのチョコは、板チョコを溶かして固めた至ってスタンダードなものだった。けれどその形は大きなハート型。まさかと思って箱をひっくり返してもメッセージカード一つ見当たらず、緊張して食べたのを覚えている。
……まだお返しできてないし、近い内に準備しないとな。
「わぁ……! それじゃお兄ちゃん!行ってくるね!」
「うん、ゆっくり話してきて。 ……母さんも」
紗也が高いテンションで運転手さんに駆けていくも母さんは動こうとせず俺たち二人を見比べている。
そしてピッと人差し指を神鳥さんへと勢いよく差して……
「恵那さん、慎也に鞍替えは許さないわよ」
「あはは……。大丈夫ですよぉ。 普通に業務のお話ですから、安心して行ってきてください」
「……行ってくるわ」
少しだけ後ろ髪を引かれる様子を残しながら紗也の後を追いかける母さん。
これ以上増やすと俺が彼女たちに殺されるだろうから安心して。
そうして紗也たちが運転手さんに連れられて扉をくぐると、隣の神鳥さんの息を吐く音が聞こえた。
「――――さて、やっとゆっくり二人で話せるね、慎也君」
「二人っていいますが、美代さんたちもそろそろ来ると思うんですけど……」
「ん? あぁ、いいのいいの!美代ちゃんたち家族も先に見つけて控室に行ってるから!」
だからここに来ないわけか。
美代さんも間に合ったみたいでよかった。それじゃあ、神鳥さんは何を話しに来たんだろう。
「……ねぇ、慎也君。今までありがとね」
「えっ? あぁ、マネージャー業ですか?いえ、なんだか仕事らしい仕事をした覚えもないですし全然……」
彼女の第一声はお礼の言葉だった。
お礼なんて全然。まったく役に立った覚えなんてない。
結局最後まで俺はあの三人についていくだけだった。
名目どうりただの応援で、仕事した自覚はない。
「ううん、すっごく助かったよ。 実は三人とも、そこそこムラっけがあったのに慎也君が来て一気に安定したからさ。 夏の険悪な時はもうひどかったよ」
険悪……俺がアイさんの部屋で捕まったときだろうか。
後日、俺もいきなり神鳥さんに連れ出された時は驚いた。もしかしたらあの時はマイルドに言ったものの、本当にひどかったのかもしれない。
「役に立ったのなら、嬉しいです。 ……俺からも聞きたいんですけどいいですか?」
「なんだい?」
「神鳥さんがウチの父さんと出掛けた日、結局どうなったんですか?」
俺にとってはまずそこが一番気になっていた。
母さんが許したのも驚いたけど、アレ以降誰もその話をせず、なおかつ普段どおり何も変わらないのが一番驚いたものだ。
俺から両親に聞くのはなんとなく憚られ、神鳥さんに聞こうにも忙しく、結局こんな日まで引き伸ばしてしまった。
「…………あぁ、あの日ね――――」
彼女は思い出すように目を細めつつ目の前のモニターを見上げる。
正面には『Strawberry Liquid Final Live!!!』と大きく書かれた文字。
その思考はどこまで深く潜ったのか、ははっと息を吐いてから俺を優しく見つめる。
「ヒミツ。これは私と前坂先輩だけの大事な思い出だから」
「……そうですか」
「でも、君たち兄妹が心配するようなことはないよ。安心して」
彼女はクシャリと俺の頭を撫でてからその場から立ち上がる。
「確かに私は前坂先輩が大好きだけど、君たち兄妹も大好きだから。 先輩……二人のお母さんが危惧することはなにもないよ」
「神鳥さん…………」
「ま、前坂先輩が私に鞍替えするってなったら話は変わるけどね!」
「ちょっと」
最後の最後でオチをつけるか。
立ち上がったその表情は晴れやかなものだった。きっと二人の時間は、彼女にとってもいいことだったのだろう。
「あの人もキミたち家族のことをちゃんと愛してたし大丈夫だよ。 それじゃあ私はこれくらいで。ライブ、楽しんで」
「……ありがとうございました」
「そういうのは打ち上げのときでいいよ~! じゃっ!!」
そのままプラプラと手を振って裏手へと去っていく神鳥さん。
俺はそんな後ろ姿に、頭を下げて見送った――――。
◇◇◇◇
――――廊下を歩きながら私は一人思い出す。
あの日のことを。二十年ぶりに出会い、二人きりになれたあの夜のことを。
気合を入れて、一張羅で望んだ。場所はとあるレストランのワンフロア。
見晴らしのいい眺めと美味しい料理で評判の店だ。どこぞの金髪は泊めてくれたお礼でとある男の子を招待したみたいだが、絶対お礼だけの感情じゃないと確信している。
「…………恵那さん、ありがとう」
「前坂先輩……」
二人揃って窓を向き、夜景を楽しみながら出た最後の料理。私は思い切って自らの想いを吐露した。
きっとこんな長い年月想われていて引かれただろう。少女みたいに顔を真っ赤にして振り絞るような声で言われて失望しただろう。
そう思っていたが、男性は一つも引くことすらなく穏やかな笑みを浮かべてお礼を言った。
「でも、僕には家庭がある。愛する子どもたちもいる」
「はい…………」
その言葉でもう察してしまった。脈がないんだと。もう私がいくら頑張っても無駄なのだと。
そう思って自らの半生を振り返る。
フラれた勢いで始めた事業が成功し、まさかの軌道に乗る事態。そこで、もしかしたらあの人を養えるかもと思ったのが一つ。
そして姪っ子の提案で始めた、彼女を使った広告。後々知ったが姪っ子は更に先を見ていたようで、トントン拍子にアイドルとして大成してしまった。そこで見つけた、自らがプロデューサーとして矢面に立てばあの人が見てくれると思ったのが一つ。
その二つの希望が、今潰えてしまった。自分はこれから何を糧にして生きていけばいいのかと、そんな思いが自らの胸を占めていき知らぬ間に目に涙が溜まっていく。
「――――でも、聞いた話によるとウチの息子は三股?四股?なんてバカなことをしようとしてるみたいだね」
「えっ……あぁ、はい。 ウチの所属三人とクラスメイトの四人です」
私はこれ以上みっともない姿を晒してたまるかと涙を拭き、気丈に返事する。
確かに四股は驚いたが、予想の一つでもあった。引き金はいつもどこか遠くを見ている姪だと、彼女次第で何股でも自体は動くのだと、そんな確信があったからだ。
「はぁ……まったく。そんなバカな育て方した覚えはないんだけどな……」
「ははは……。きっと優しいところが似たんだと思いますよ」
「そうかな。 僕には自分の気の多いところが似たんだなって思うけどね」
「ははは…………えっ?」
思わぬ返答に私は聞き返す。
なんて言った?気の多い?誰が? この一人の女性を愛しているこの人が?
「僕もあんな生き方見てね、すごいなぁって思ったんだ。 世論を気にせずみんなでいる、そんな手もあるのかってね」
「それって……?」
予想だにしない答えに声は震える。期待していいのかと、喜んでいいのかと。
「もちろん、僕は奥さんを愛してるからキミには指一本触れるつもりはないよ。でも、もしも彼らがうまくいって、万が一奥さんが良いっていえばあるいはね……」
「っ――――!!」
それから私は大粒の涙を流し、暗い月夜の下で先輩と会った。
さっきまでの話をした途端、当然のごとくあの人はボコボコにされたが、それでも先輩の予想の範疇だったようで涙痕が残る私を優しく抱きしめてくれた。
こんなバカな男に騙されてかわいそうだと――――
もし何かあれば相談して。すぐに駆けつけてボコボコにすると――――
そう優しく抱きしめながら撫でてくれる先輩に、更に大粒の涙を流してしまった。
暗闇の公園で、私の隣で倒れている男性を尻目に目の前の先輩を抱きしめ返す。
まだ希望はあるのだと。それが遠くない未来叶うかもしれないと、そう予感させる出来事だった――――。
「そうそう、恵那さん。 なにか保証がほしいわね。貴方を信じてないわけじゃないけどそういう、ね……」
「保証ですか……。あ、それならどうですか先輩! もうちょっと経ったら専属秘書にしようと思ってる子がいるんですよ。今運転手してもらってる……」
「運転手……そういえば居たわね、美人な子が。 その子がどうしたの?」
「その子を新しい慎也君のお嫁さんに加えるってことはどうでしょう!?」
「えぇ…………さすがに人身売買?政略結婚?ってのはちょっと…………」
「いえいえ! 前、話の種に聞いたんですが案外悪くない反応でして!」
「それはそれでビックリだわ……。 でも、やっぱり人はナシよ。私が言ったことも忘れてもらえる?」
「えぇ~……わかりました……。 あの子なら余裕で了承してくれると思いますけど……」
女性は小さく呟きながら口を尖らせる。
今この時、非常にややこしい地雷が回避された瞬間だった――――




