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017.恐怖症

「「ごちそうさまでした!」」


 テーブルに乗せられていた大量の料理が空になったタイミングで俺とエレナから声が上がった。


「はい、お粗末さまでした」


 そんな美味しい料理を作ってくれたシェフ……江嶋さんがにこやかに返事をする。

 ちなみにリオさんは自分が満腹になった途端江嶋さんの膝を枕にしてそのまま眠りこけてしまった。羨ましいことで。


「それで……えっと……どうでしたか? 私の料理は」

「…………あっ、俺?」

「はい。 もちろんです」


 一瞬、それが俺に問いかけられた言葉だという事を理解できなかった。

 確かにエレナはよく食べているだろうし、よくよく考えなくても俺に投げかけられた言葉にしか思えない。


「えぇと、凄く美味しかったのは当然でしたが……こんなにいっぱいあって食べられるかは不安でしたがすんなり入りましたし、まだまだ入りそうで……うぅん……」


 日頃美味しいものを食べて様々な人に褒められているであろう彼女のことだ、俺も食レポのごとく美味しいと伝えるために言葉を並び立てて見るもこれが案外難しく、言葉にならない。

 それでも出ない言葉を出そうと苦心していると江嶋さんからクスッと笑みがこぼれだす。


「ふふっ、素直に一言『美味しい』だけで満足しましたよ。 ……それでも、私の為に考えてくれてありがとうございます」

「い、いえ……語彙力なくてすみません」


 彼女の優しさに嬉しくもなり自分の実力不足を嘆いていると、そっと肩にエレナの手が乗せられる。


「大丈夫よ、言葉の出来なんか気にしなくたって。 アイも母親と私達にしか振る舞って来なかったから珍しく褒められてまんざらでもないようだし……」

「ちょっとエレナっ!!」


 彼女の焦るような口ぶりから逃げるように側にあったソファへと避難するエレナ。

 江嶋さんはしばらく頬を軽く染めて俺と空になったお皿を交互に見るように、視線が行ったり来たりしていたが一つ手を叩いて無理矢理場を整えだした。


「そ、そうだ! 全部なくなっちゃったみたいだしお皿洗ってきますね! ……エレナ!」

「は~い」


 そう言って視線がエレナの方に向くと同時にソファからクッションが一つ投げつけられる。

 これは……さっき俺の顔に押し付けられたものと同一のようだ。江嶋さんは投げられたそれを片手でキャッチして自身の膝の代わりとばかりにリオさんの頭へ差し替える。


「いってきますね。 料理、喜んでくれたみたいで嬉しいです」

「い、いってらっしゃい……」


 いつも同じようなことをしているのだろう。彼女は自然な動作でお皿を纏めてお盆ごとキッチンへと運んでいってしまう。

 ようやく俺も落ち着けると背もたれに身体を預けたところで、こちらを覗き込んでくるようなエレナの視線に気がついた。


「え、エレナ……?」

「ホントに仲良くなったわね……男性恐怖症であるアイと」

「…………」


 その疑いの眼差しには何も答えられない。

 たしかに一度買い物に行ったが、普通に会話できるくらい受け入れられたことは意外だった。彼女の中で何か心変わりでもあったのだろうか。


「……でもまぁ、恐怖症が緩和されることは嬉しいことね。 これにかこつけて手伝いに行ってあげたらどう?」

「え? あぁうん、いいけど……エレナは?」


 案外あっさり終わった疑いの目に少しホッとするもののソファから動かない彼女に疑問を覚える。

 この家はなんといってもエレナの家だ。彼女は働かないで良いのだろうか。


「私はいいのよ。 そういうの苦手だし」

「苦手って……ここエレナの家じゃん」

「よく考えてみなさい。私は料理があの有様なのよ? 洗い物したら大変な事になるってことは経験済みなのよ」

「…………」


 たしかに、彼女にはゆっくりしてもらうのが一番平和な方法のようだ。

 俺は静かに立ち上がり、江嶋さんがいるキッチンへと向かっていった。







「♪~♪~ あ、前坂さん?」

「手伝いに来ましたが……大丈夫です?」


 キッチンに飾られていたのれんをくぐると、シンクに向かって鼻歌を歌っている江嶋さんが目に入った。

 しばらくその歌を聴いていたくもなったがそれも諦め、思い切って中に入り彼女に声をかける。


「あっ、ありがとうございます。 それでは……お皿を拭いてくれませんか?」

「わかりました。 このタオルですね」



 俺たちは互いに黙々と無言でお皿を洗い、洗い終わったものを拭いて積み重ねていく。

 2人でやると効率も上がり、更には俺の家より遥かに大きいキッチンのためかあっという間にシンクに溜まっていたお皿が少なくなっていった。


「…………よしっ! これが最後です。 お願いします」

「はい。 任せてくだ……あっ――――」

「あっ――――」


 お皿を取っては拭いて重ね、また拭いては重ね……

 そんな事を流れ作業のように無心で進めていたからだろう。

 最後の1枚となったそのお皿を目の端で捉えながら受け取ろうとした瞬間、俺の手はお皿に触れることなく差し出している彼女の手へと重なってしまう。


「「…………」」


 数秒、そのまま固まっていただろうか。

 彼女の手に重なっていると自覚した俺はお皿を受け取る事を諦め、目にも留まらぬ速さでその手を引っ込める。


「ごっ……ごめんなさい!」

「い、いえ……」


 やってしまった。

 彼女の恐怖症がどれほどのものか具体的にはわからないが、せめて触れることないよう細心の注意を払って置くべきだった。


 しかし彼女は少々驚いたものの、取り乱すことなくそっとお皿を置いてその手を胸元へと移動させる。


「すみません、少し油断してました」

「いえ、私こそ……」


 なんとなくお互い無言になり、気まずい雰囲気のまま調理台に置かれていたお皿を拾い上げ最後の一枚を拭き取る。

 けれどこれから『それじゃあ』などと軽い言葉で離れるわけにはいかない。語彙力も経験も無い俺にはどう言えばいいかわからず、ただその場に立ち尽くしてしまった。



「…………あの……」

「……はい?」


 そんな雰囲気を崩すように口を開いたのは江嶋さんだった。

 彼女は蛇口に視線を固定しながらボソッと小さく声をかける。


「エレナから……なぜ私が恐怖症なのか聞いてます、か?」

「いえ、そういう事は本人から聞けって……」


 以前、ホテルで食事をした時そんな事を言っていたのを思い出す。

 あの時は特に何も思わなかったが、俺と彼女が親密になることを期待しての言葉だったのだろうか。


「いえっ!そんな全然大げさな事は何も無いんですよ。 それでも……聞いてもらえますか?」


 小さなその声を受け入れるように俺はゆっくりと首を縦にふる。

 それを見ていた彼女は軽く口角を上げ、ポツリポツリと話し始めた。



「詳しいことは省きますが…………私が幼稚園に通っていた時のことです。

 私のお父さんはあんまり褒められた人ではなく、仕事を転々としてお昼からお酒を飲んでいたのを覚えてます。お母さんは働いて稼いでいたのですが、お父さんのお酒が深くなると私の見ていないところでお母さんに手を上げていたみたいで…………


 それでもお母さんは頑張って働いていたのですが。ある日、仕事で大失敗したからと深酒をして私の居るところでお母さんに手を上げているのを目撃しました。


 あの時のことは今でも鮮明に覚えています。お母さんの叫び声……患部の腫れ……お父さんの顔……全てが怖かったです。

 それから私まで被害が及ぶんじゃないかと危惧したんでしょうね。お母さんはすぐ離婚して、私を連れて実家へと帰りました……」



 そこまで話してから彼女はコップに水を注ぎひと息に飲み込む。

 俺は何も応えることは出来なかった。夫婦仲は円満で、そんなくらいところなど一切見たことが無い俺には何を言ってもそんな資格など無いと思ったのだ。


「でも……悪いことじゃなかったんですよ?実家に帰ってからエレナと出会えましたし、今ここにはいませんがお母さんも元気になりましたし」


 彼女は小さく笑いかけながらそう付け加える。

 それでも……彼女にとってそれは幸せなことなのだろうか。俺にそれを判ずる資格もなければ問いかける資格もない。ただただ疑問とそれを話させた後悔だけが残り、さっき聞いていた言葉を反芻させた。


「――――だから、そんな辛そうな顔をしないでください。もうとっくの過去のことなんですから」

「あっ……」


 その優しい言葉で俺自身の表情が歪んでいることに気がついた。

 自身の顔が中央に寄っていることを自覚すると、彼女は触れない程度にその手を俺の頬近くまでかざしていく。


「大丈夫です。前坂さんのおかげでこれくらいなら近づけるようになりましたし、今は幸せなんですから」

「…………話してくれて、ありがとうございます」


 俺の言葉にニッコリと微笑んだ彼女は手を戻し、身体を再度キッチンの方へと戻していった。

 しかしその顔は笑顔から一転、なんだか緊張しているような怖がっているような、何やら目線が定まらない様子で胸元にある手をせわしなく動かしている。


「そ……それで……私の恥ずかしい過去を話した代わりと言ってはなんですが……一つお願いがありまして…………」

「は、はい! それで代えられることならなんでも言って――――うひゃぁ!!」


 お願いとやらを待とうとしたその時、俺の背中にナニカがのしかかる感触と共に、頬へ何か冷たい物が触れてくる。


「ひゃっ……! り、リオ!? いつの間に!?」

「えっ、神鳥さん!?」


 こちらからは見えないが江嶋さんによるとそれは神鳥さんのようだった。

 たしかに、俺の両肩からペットボトルを手にした2本の腕が伸びているし、背中にはとっても柔らかい感触がヒシヒシと…………


「やぁやぁ、なんだか重い話をしてて入り辛かったリオさんだよ」

「入り辛いって……いつから見てたの!?」

「ん~……手が触れ合ってた時かな?」

「最初からじゃない!」


 もはや重い話をしていた空気はどこへやら。

 神鳥さんの登場によってよくわからない空気へと変貌していく。


「それにしても、エレナの弟といい雰囲気になるアイ……いやぁ、青春だねぇ」

「もうっ!そんなんじゃないってばっ!!」


 俺の首元で頬を触りながら江嶋さんを見やる神鳥さん。

 そんなに顔を真っ赤にして否定されると、なんとなく心に来るものが……


「あっ、いやっ! 別に前坂さんのことが嫌いってわけじゃないんです! むしろ……その……」

「いえ、ありがとうございます。 そのフォローだけでも嬉しいですよ」


 そう紳士的な返事をするものの背中の感触を味わいながら言っているだけに台無しだ。


「でも、これって略奪っていうのかな~? ……もしかして修羅場?」

「ちょっとリオ! いい加減前坂さんから離れなさいっ!!」

「は~い」


 その言葉を受けて素直に離れる神鳥さん。

 俺も降りた時の衝撃で少しよろめくもなんとかコケないようにバランスを取り直す。


「それじゃ、また会おうねぇ。慎也クン」

「…………」


 そのまま彼女は俺の返事を待つこともなく出ていってしまう。

 江嶋さんは彼女にご立腹の様子だったが俺自身、口を開くことは出来なかった――――



『エレナと慎也クンの会話を聞いてたけど、弟って設定だってね?』


 彼女は背中から降りる瞬間、そう言い残していった。

 これは……どういう意図なのだろう。俺は彼女の真意がわからないまま、ただその言葉の意図を考え続けていた。


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