164.花嫁修行
「ただいまー」
「おかえり~、お兄ちゃん……って、随分と大人数で帰ってきたね」
リビングに入ると、ソファーでゴロゴロとスマホをつついていた紗也がこちらを見て少しだけ驚く。
あれから満足いくまで彼女たちのオモチャにされていた俺は、四人を連れて家に帰ってきた。
出迎えてくれるのは最愛の妹、紗也。
紗也は一時帰省の身だから当然、俺がウダウダ文句言っている学校とは縁が無い。だから今日もその身は朝見たものとまったく同じパジャマ姿だった。
下はボーダー柄のウール素材で暖かくし、上はだいぶダボダボな胸元に英語が書かれている白Tシャツ…………って、あれ?そのシャツって俺のじゃなかったっけ?いつの間に紗也のものになってるの?
……なんにせよ、どんな服を着ても紗也は可愛い。さすが我が妹だ。
「やふー紗也ちゃん。聞いたよ、そろそろ向こうに戻るんだって?」
「璃穏ちゃんやふー! そうだんだよぉ。突然で困っちゃうよねぇ!」
顔を合わせるやいなや、二人仲良く会話に花が咲く親友同士。
こうやって無邪気に笑い合う女の子同士って、見ててこっちも嬉しくなる。
「ここが慎也と美代の愛の巣になるのね。私もその中に入ろうかしら……」
「…………」
「ねぇ、慎也はどう思う? 私にもきてほしい?」
「…………」
エレナさん、それはちょっと反応し辛いです。本音は来てほしいけど世間体含め色々とまずいし……。
紗也たちがまた海外に行ったら……どうなるんだろう。このままいくと本当に二人きりになってしまう。それは美代さんの母親といえども望んでいないことではないだろうか。
「あ、そうだ。 お兄ちゃんと美代さんに伝言があるんだった」
「ん?」
「なぁに? 紗也ちゃん」
エレナからの攻撃を無言で受け流していると、ふと思い出したように話に入ってくる紗也。
伝言?誰から?
「今朝二人が学校に行ってから美代さんのお母さんから電話来てね、あたしたちが海外に戻る日までには帰ってきなさい。だってさ」
「えっ…………えぇぇぇぇ!! なんで!?いても良いって言ってくれてたのに!!」
母親からの、思わぬ宣告に声を上げる美代さん。
一方俺は納得すると同時に少しの安堵で息を吐く。
そりゃそうだよね。こっちにも家族が居て、その目があったからこそ託してくれたんだ。それが居なくなるとなっちゃあ向こうとしても心配に決まってる。
俺個人としてはその宣告に賛成反対の半々だ。
離れたくないという思いもあるが、心配からくる親の言葉には従うべきという考えと、絶対に心が休まらなくなるという予感がある。
だから俺からはなんとも言えない。
「紗也ちゃん!紗也ちゃんだけでもこっち残るとかできないの!?」
「無理だよぉ。あたしだって残りたいけど向こうの学校があるし……。 あ、でもね、もう一個伝言があるんだぁ」
「もう一個……」
「帰ったら花嫁修行ビシバシやっていくから、覚悟してなさい。 だってさ」
「――――!!」
付け足された伝言により、美代さんの目の色にパァッと光が戻っていく。
花嫁修行……確か将来はお嫁さんになるって言って出てきたんだった。進路はともかく、それを認めてくれたということだろうか。
「慎也君、ごめんね。ずっと居るつもりだったけど戻らなきゃいけないみたい」
「ううん、ちゃんと戻って、二人話し合ってね」
「……うん!」
俺が正面の彼女の頭を撫でると、彼女は気持ちよさそうに目を細める。
素直で可愛い美代さん。だが、そもそも親の言うことに逆らって家出してきたのだから、言うこと聞かなくてもいいんじゃない?って思ったのは黙っておく。
そりゃあ親子は仲良いのが一番だろう。変に口出しして、ややこしくするわけには行かない。
「あらぁ、寂しそうね。 私がこの家に来ちゃおうかしら?」
「私だって! 家事でも何でもやっちゃいますよ!!」
そんなはにかむ美代さんを撫でていると、両隣から現れるのはエレナとアイさん。
彼女はらこの家に住まおうという魂胆か。でもそれは一番まずいだろう。
「それは遠慮しとく。ここセキュリティーもよくないし、何より俺が堕落するの確定じゃん」
アイさんに家事を任せれば全てをやってしまうのが目に見えている。
基本的な家事から明日の準備、課題、あーんまで。そこまで全部やられちゃ俺が何もできなくなってしまう。それこそ監禁生活となんら変わりない。
「私はそれでも構いませんのにぃ……」
「アイは甘やかしだものね。 その点私はいいんじゃない?」
「エレナは…………小学生誘拐で俺が捕まる」
「なんでよ!!」
だってねぇ。傍目から見れば完全に誘拐確定だ。俺がしょっぴかれる。
あ、でもこのマンションの人たちには知られてるんだっけ……。
「二人ともダメダメなんだから。これはもう私と慎也クンの愛の巣にするしか無いね」
「……不公平がすぎるからダメ! 俺は今まで通り一人で住むから!!」
「えぇ~~」
リオは最も断る材料がない分、迫られると一番辛い。
あまり全面に出ない分、最も優秀とも言える彼女だ。欠点らしい欠点もなく、一途で、可愛さは言うまでもない。強いて言うなら自由な性格くらいか。
さらに最も護身術が強いのが彼女なのだからもし本気で迫ってきたら……うん、勝ち目ないね。
「慎也をウチに拉致するのも考えたけど……仕方ないわね、やめておきましょ」
「エレナ……。ぜひそうして……」
向こうまで行ってしまえば、たしかに生活自体は豊かになるかもしれないが登校が……距離が死ぬ。
こっちだったら歩いて三十分すらかからない時間が、電車だけで一時間は余裕で消費してしまう。そんなのやだよ。ただでさえ朝はしんどいんだから。
「大丈夫かなぁ……お兄ちゃん。 あたしヤだよ?次帰ってきたらまた女の子増えてるなんて」
「な……!ないない!そんなの絶対に無いから!!」
「ホントかなぁ……前帰ってきた時エレナさんが居て、気づけば三人も引っ掛けてたの、あたしすっごく驚いたんだからね? 一人は親友だったし……」
「それはぁ……」
俺もそうなるなんて、一人暮らし開始時点では夢にも思わなかった。
気づいたらこうなってたんだから仕方ないじゃないか。それに、もう増えようとしても断るつもりだ。
「大丈夫だよ。紗也ちゃん」
「アイさん……」
「慎也さんがどこに行っても私たちにはわかるから。それに、増えそうになったら私たちがどうとでも……ふふっ」
アイさんのそのセリフに背筋に一筋の汗が流れる。
そういえば正月に川で一人居た時も普通に見つけてたし、絶対なにかされてるよね。
あと何する気?好きな人が血なまぐさいことに巻き込まれるのは嫌だよ?
「それならいっかぁ。お兄ちゃんも幸せものだねぇ。 こんないい人たちに好かれて」
「ははは……」
背中に冷たいものを感じながら俺は苦笑いをするに留める。
……大丈夫だよね、俺の将来。
「そういえばみんなはなんで来たの? 普通に遊びに?」
「あぁ、そういえばそうだったわ」
紗也のふとした言葉にエレナが何かを思い出したように声を上げる。
そういえば俺も知らないな。ただウチにきたいって言ってたから連れてきただけだし。
「エレナ、何かあったの?」
「えぇ、ちょっとキミや美代に相談したいことがあってね」
「相談したいこと?」
美代さんが首を傾げる。
エレナは、自らの性格にしては珍しく少し逡巡したようで空中で視線を行き来しつつも、すぐに決心したようでその視線を俺たちに合わせる。
「えぇ。 私たち…………アイドルを辞めようと思ってるの」
次の更新は2日後の29日です。




