162.触らぬ神に祟りなし
新学期――――
それは単純に換言すれば、新たな学校生活の始まり。
そう聞けば初々しい気持ちで頑張れるかもしれないが、その実、また朝から夕方まで授業の連続と考えればゲンナリするものだ。
事実、俺も毎度毎度訪れる新学期は良い印象なんて持っていなかった。
彼女らと……エレナたちと会ってから始めて訪れた二学期の始まりも、正直サボろうかと思ったほど。
当然だろう。三人にも会えないし、ただ面倒な授業が待っているだけだし。
けれどそんな中でも、面倒くさい学校生活にも、一つの彩りがあった。
最初は面倒臭いオーラを出しながらボーッと過ごしていた時に、臆することなく話しかけてくる少女。
きっと彼女にとっては取るに足りない石ころのような、そんな大した想いもなく話しかけたのだろう。その後はクラスメイトに別け隔てなく接していたし。
もしかしたら俺は無意識でそんな彼女のことを目で追っていたのかもしれない。
今となっては思い出すこともできないのだが、最初から惹かれていた可能性すらある。
口に出してしまうとと気の多すぎる男だと怒られるかもしれないが、強欲でも、それでも良いと言ってくれた人がいた。
そんな優しい彼女が今、隣でしゃがみこみ靴を履こうとしている。
俺の視線に気づいたのか、下を向いていた視線がこちらに向き、ニッコリと微笑まれた。
「ど~したの? またチュウしたくなっちゃった?」
髪が揺れたことによりフワリと甘い香りを醸し出しながら、その小さくも紅い唇を「んっ」と少しだけ突き出す。
朝一番もしたのに……と、俺は気づかれない程度に肩をすくめながら、待ちわびているその顔に自らの顔を近づけていき――――
「慎也ー!ハンカチにティッシュ持った~!?」
「「!!!」」
お互いが触れ合う寸前、突如後ろからかけられる母の声。
突然の声に驚いた俺たちは反射的に距離を取り、後ろにいるであろう人物へと視線をやる。
そこにはいきなり動き出した俺たちに驚いたのか目をパチクリさせる母さんが立っており、すぐに何をしようとしていたのか察したようで、その二十年弱も見てきた顔がニンマリとした笑みに変わっていく。
「あらぁ……? もしかして、お邪魔だったかしらぁ……?」
「あっ……いえっ……! そんなことは……」
「母さん、俺だって小学生じゃないんだからもう大丈夫だよ」
顔を赤くしてうまく話せない彼女に代わって俺が答える。
ホントお邪魔だよ……突然現れてもう…………。
「ごめんなさいね~。 それじゃ、遅刻しない程度に。いってらっしゃ~い」
口元に手を当て笑いながらリビングに去っていく母さん。
すごいタイミングで来たものだ……。なんだか雰囲気が一気に壊されたぞ。
「えっと……じゃあ、行く?」
「う、うん……。 行こっか……」
俺たちは外への扉を開いて足を踏み出す。
これから学校……始業式だというのに、俺の心は始めて晴れやかな気持ちだった。
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おはよう、おはようと。教室には久しぶりの再会を喜ぶ声が行き交っている。
たかが二週間程度の休みなのになんだか懐かしい気持ちがするのは、この冬休みがかなり濃密なものだったからに違いない。
パーティーに年越し、帰省に家出の迎え入れ。かなり色々なことがあった。
だから教室に見える面々も随分と懐かしい気持ちに襲われる。
ただ一人、美代さんだけは別だが。
「やっほ、前坂君。 元気だったっ?」
机にたどり着いたところで隣の女子が話しかけてくる。
そんな彼女は新学期だというのに少しもゲンナリする様子も見せず明るい調子だ。
「おはよう、元気だよ。 そっちは?」
「私もっ! ねね、さっき美代ちゃんと一緒に入ってきてたけど、下で会ったの?」
なかなか目ざといな。下で会ったというよりか……うぅん……。
「まぁ、うん。そんな感じ」
「そっか。 ついに前坂君にも春が来たと思ったんだけど違ったかぁ。 知ってる?美代ちゃんはかなりモテてるんだよ!あの顔であの明るさだから当然だろうけどね~」
背もたれに身体を預けながらクラスメイトと話している美代さんを眺める少女。
知ってる。俺もその明るさには随分と励まされた。
そんな彼女は久しぶりの学校でテンションが上がっているのか俺が口を開くよりも早く言葉を連ねる。
「二学期だっていっぱい告白されてたのに一切見向きしてないんだもん!誰か好きな人が居るに違いないと思うんだよね!! 前坂君はその相手、誰か知ってる!?」
突如机を支えにして、鼻息荒くしながらこちらに前のめりになってくる。
女の子が恋愛話が好きなのはどこのどなたも同じようだ。
その相手は……これ、言っていいの?
「それは――――」
「慎也く~~ん!!!」
適当にごまかそうと口を開くと、遮るように美代さんの呼ぶ声が教室中に響いた。
普段も高く可愛らしい声だが、今回は一層トーンが上がって甘ったるい声。駆け寄ってきた彼女は目の前のクラスメイトとの間に立ったと思ったら、すぐさま視線が下がり俺の膝の上に腰を降ろした。
「なになに!? 私の話!?」
「えっと……うん。 二学期告白されまくってたって話……」
「そんなぁ~! 私がいくら告白されても関係ないよぉ!」
首に手を回して高いテンションで足をばたつかせる美代さん。
あれ、この流れは……
「だって私、最初っからずっと慎也君しかみてないんだもんっ!!」
「…………………。」
言っちゃった。
その衝撃発言にまさか誰しもが予想していなかったようで、視界全ての人の話し声が止む。
ほら、さっきまで話してたクラスメイトがすっごい驚いてるじゃん。目かなり小さくして口も開いてるし。
「む~~!! なんでそっちばっかり見るの~! ほら、私の方を見て!!」
「むぐっ!!」
「んっ! よろしいっ!」
チラリと視線を逸していたら頬を包まれ顔が正面の彼女へと向けられた。
今までの五割増しで明るい美代さん。そんな彼女は頬を包んでいた手を肩に乗せ、倒れ込むように俺の胸元へと動いていく。
「えへへぇ……慎也君……だぁいすき…………」
甘えるように胸の中で安心する美代さん。
そしてクラスメイト全員の視線を一身に受けながら、脱水症状になりそうなほど冷や汗を背中にかく俺。
逃げようにも逃げ場がない……こんな時好きに隠れられるスキルがあれば……助けて!リオ!!
「えっと……美……小北さん……ここ教室だからそれくらいで……」
「そんな……名字だなんて……慎也君、私のことキライになっちゃったの……?」
「…………美代さん」
「うんっ!!」
泣き顔はずるいよ美代さん……。
触らぬ神になんとやらなのか、さっきまで話してたクラスメイトは我関せずって様子だし。
行き場の失った俺の手は彼女によってその小さな頭へと誘導されてしまう。
「んっ……。きもちいぃ……。ずっとこのままでいたいなぁ」
「チャイムが鳴るまで……ね?」
俺は胸の内で丸まる彼女の頭を撫で続ける。
そんな針のむしろの状況は、本鈴が鳴るまでずっと続いていた。




