118.戦争か、融和か
「俺…………は…………」
真剣な表情で琥珀のような瞳が真っ直ぐ俺の方へ向けられる。
アイさんから告白をされた――――。
けれど何も答えることができない――――。
告白をされたことは嬉しい。けれどバカ正直に首を縦に振ることはできない。
彼女の思いは本物だ。それは日曜日に身を持って知ることができた。けれど俺自身、この思いが何なのか未だにわからない。
…………いや、これはただの言い訳だ。詭弁だ。
ただ俺は今の曖昧な日常が好きなのだ。
俺は彼女らに惹かれている…………認めよう。
けれど、三人ともに惹かれているなんて言えるものか。
「慎也さんは、私のことをどう思ってます……?」
「…………」
彼女の真っ直ぐな瞳を直視することができない。
なんて答える?
俺も好きだけどみんなも好きです――――バカか。そんなのふざけるなと一蹴されて終いだ。
じゃあ一人を選ぶ?――――そんな、妥協みたいな考えでどうする。今は良くてもいずれどちらかに限界が来てしまう。
全員ムリだと答える?――――なんだそれは。俺を含めて全員不幸の結末になってどうするんだ。
――――けれど、今は不幸でも、彼女らには未来がある。
アイドルでもあるならば同様の関係者に男の人なんていくらでも居るだろう。俺と比べたら遥かに容姿もよく、性格すらいい人もいるはずだ。
そう、ずっと好きで居てくれたリオもまだ中3だ。今まで何の因果か俺の為に頑張ってくれていたが、他に何か報われる時が来るだろう。
エレナだって日本人離れしている容姿が最も目を引く存在だ。その積極性ならばどんな人でも捕まえることができるだろう。
アイさんは恐怖症があるが、俺限定ではあるものの克服できたのだ。これからも克服できる存在が増えていくことも想像に難くない。
「俺は…………誰も…………好きじゃ……ない……!」
喉の奥に出かかっているものを全て押さえつけ、最も最悪の答えを選択する。
「――――。 そう、ですか……」
目を伏せた正面から彼女の息を飲む音と絞り出すような声が聞こえてきた。
これでいいんだ。そもそもトップアイドルが俺なんかに思いを寄せるなんて何かの夢だったんだ。こんな、全員が好きとかいうバカなことを言う男なんかより…………。
「それなら、仕方ないですね。すみませんでし――――」
「ちょっと待ちなさい。アイ」
無理矢理明るい表情を見せてくれるアイさんの言葉を止めたのはエレナだった。
彼女は壁にもたれかかっていたところをツカツカとこちらに歩みを進め、ドンドン俺へと詰め寄るってくる。その有無を言わさぬ迫力に、思わずベッドの横まで後ずさってしまう。
「慎也。それ、本当?」
「…………うん……」
「本当にアイも、私達のことも好きじゃないの?」
「…………」
碧色の瞳が睨みつけるように見上げてくる。
もちろん、嘘だ。けれどこんな不誠実な面なんて見せられるわけもない。目を逸らして彼女の視線をやり過ごす。
「…………」
「…………」
互いに無言の時が続く。
これでいいんだ。エレナが根負けして、俺はこの痛みを一生引きずって――――――――
「…………あぁ!もう!! 面倒くさいわね!!」
「エレ――――――――!?」
憤慨するエレナに呼びかけようとしたその時だった。
彼女は垂れ下がっていた俺の片腕を取り、そのまま足払いをするように俺の脚へと蹴りを入れる。
当然、全く予想だにしていなかった俺はバランスを崩し、即座に俺の胸元に彼女の腕が伸びてきて思わずベッドへと倒れ込む。
「エレ……ナ……?」
「リオほどじゃないけど私だって護身術習ってるのよ。慎也、何してるのよ?」
さっきまで俺の居た位置に立ち見下ろす彼女の眉は上に釣り上がっていて、明らかに怒っていることが見て取れた。
俺がこんな態度だからムリもないか。心の中で自傷するように自らに悪態をつき、身体を起こそうと腕に力を込めたタイミングで、エレナが突然腹部の上に馬乗りになるよう飛び乗ってきて、再度俺を見下ろしてくる。
もともとの背丈のおかげか重さはほとんど感じられない。
馬乗りになった後は何をするのだろうか。引っ叩くのかな?それも、今の俺にはいいかもしれない……。しかし彼女は手を上げること無く、持ち上げた手を俺の耳のすぐ隣にやり、それだけを支えに顔の距離を近づけて鋭い視線をこちらへと向ける。
「何を内に秘めてるのか知らないけどさっさと言いなさいよ! どんなことだって受け止めてやるわ!!」
――――まっすぐとした、全力の言葉だった。
端正な顔が迫り、長い髪が垂れているせいで視界には彼女しか映らない。目を逸らそうにも空いた手で顔を動かされて強制的に向かい合ってしまう。
「……でも、言ったら多分、失望するから――――」
「失望!?今まで慎也は私達の何を見てきたの!? 今更何があったってするわけないわ!! それがたとえ『好きになった人を殺してしまう』みたいなことでも上等よ!! 失望どころか受け入れてやるわ!!」
受け入れる――――。
たしかにそうだ。彼女は言葉が強くはあっても決して見捨てたり失望したりすることなんてなかった。以前のアイさんの時もエレナは優しく抱きしめていたじゃないか。
紗也もなんて言っていたか…………『好きなようにしろ』と言っていたじゃないか。
紗也にも、神鳥さんにも、小北さんにだって励まされ、支えてくれているのだ。今更ちょっとした失望が何なんだ。
その怒りの表情を浮かべる彼女に見つけられながら、俺はいつの間にか固く握られていた拳を解き、その手をエレナの背中に回していく。
「俺は…………みんなが好き。エレナも、アイさんも、リオも好き。 その思いはみんな愛情で、優劣なんてない」
「――――よく言ったわ」
自然と口が動いていた。
驚くほどすんなりと、今まで固く閉ざしていたのが嘘かのように。
俺の言葉を聞いたエレナは今までつり上がっていた眉が垂れ、表情に笑みが生まれる。
と同時に、頬に当てられていた手が頭へと移動してクシャクシャと俺の髪を撫で始めた。
「……ってことよ、アイ。 どう?失望した?」
「全然……! むしろエレナと一緒なら私にとってはよっぽど……!」
「相変わらずね……。 リオは?」
「ふぅむ。 私としてはメロメロになってほしかったけど、今はまぁしゃーないかな」
「…………らしいわよ、慎也…………よかった……わね」
髪に隠れて見えはしないが、離れた位置から聞こえる声はよっぽど明るいものだった。
けれどさっきからは一転、エレナの言葉が段々と途切れ途切れになって聞こえてくる。
「エレナ……?」
「ごめん。 そろそろ……腕が……。 限界…………あっ――――」
額から汗が出て耳のすぐ横にある腕が震えている。
もしかしてと嫌な予感が脳内で警笛を鳴らしながら戦々恐々としていると、ついに彼女は身近な声を発した後、その顔が一気に近づいて――――
「――――っ!!」
狙ったのかそうではないのか。
迫ってくる顔に反射で目を瞑ると顔面に思い切り衝突事故…………なんてことはなく、接地面は唇のみ。いわゆるキスをしていた。
きっと衝撃が和らいだのは、寸前でもう片側の肘を使ったからだろう。それが故意かどうかは知らないが、ゆっくりと目を開けると優しい顔で瞳を閉じてキスを受け入れているエレナの顔が直ぐ側にあった。
「……ふぅ、ごちそうさま。 セカンドキス、なかなかよかったわよ」
「…………!」
1分程の長い長いキス。
ゆっくりと離れた彼女の顔は小さく舌をだして満足げのあるものだった。
やっぱりわざとだったのか。
せめてもの反撃に睨みつけるも、ゆっくりと身体を持ち上げる彼女は何処吹く風。
嬉し恥ずかしの感情で俺は自らの唇に手をやると、彼女は乱雑に髪を撫でてきた。
「ってことよ。 みんな、どうしたい?」
「どうしたい、とは?」
馬乗りから降りてベッドの中央へと移動したエレナは二人に向かって問いかけ、リオが何のことかと首をかしげる。
「私達三人、これから慎也とどうなるかってことよ。戦争か、融和か」
「…………あぁ」
「…………なるほど」
二人ともその言葉で得心がいったのか、互いに顔を見合ってニッコリと笑い合う。
そろって頷きあったリオとアイさんは、同時にこちらへと走り出して…………俺の身体へと思い切りジャンプで飛び込んできた――――。




