~第二話~京香との勉強会
玄関を開けると母が出迎える。
「ただいまー」
母「おかえり。あら、京香ちゃんいらっしゃい、いつもいつも娘の勉強見てもらって悪いわね」
京香「おばさま、お邪魔します。そんなことないですよ、私も一人でしてるとつい本とか読んじゃいますから二人で勉強する方がはかどります」
京香は親しい友人以外と話をするときはこんな感じで借りてきた猫の毛皮をかぶる。
十二年前、京香と初めて話したのは保育園の昼時で皆が一斉に弁当箱を開けた時である。
隣で保育園児とは思えないほどきれいな箸使いではむはむとふわっふわな手作り厚焼き玉子を食べている娘がいた。
その娘の弁当を見ると色とりどりのやたらに高そうな手作り弁当で、私の三色くらいしかない弁当とはえらい違いだって思ったのを覚えている。
京香は黙々と工場のライン作業のように食べ物を口に運んでいるた。それに見かねた私は
「ねぇ、おいしいんだったらもっとおいしく食べたら?」って声をかけたのを覚えている。
京香「そうですね、ごめんなさい。私、そういうのが表情にでなくて……」
京香「ママに作っていただいたのに申し訳ないですよね」
その娘が京香であった。
最初は深窓のお嬢様みたいだったのだが、保育園の卒園式を迎える頃には
京香「ママったらいつも見栄はっちゃって……こんなに食べれないから……」
京香「あなた、猿みたいに動き回っておなか空いてるでしょ?食べてもらえる?これ、いらないから」
こんな感じになった。私に対して気を使わなくていいと早々に判断した京香はすぐに子猫の毛皮を脱ぎ捨てたのであった。
私が雑に靴を脱ぎ捨ててる横で京香は脱いだ靴を丁寧に揃えると二人で二階へ上がっていく。
後ろからは母親のため息が聞こえてくるが聞こえないことにした。
京香「とりあえず、ここ一ヶ月あなたの勉強見てきたけど、そもそも基礎が出来てないみたいだから、はい」
京香はカバンから本を一冊とりだした。ところどころ折れ目、スレが目立つ辺り年季が入っている。
京香「私が一年のときやってた問題集持ってきたからとりあえずこれをやりなさい」
あんたは私のことをとことんバカにしたいのか
「さすがの私でも高校入りたてくらいの知識は持ってるよ」
そんな言葉も5問目を解いた辺りから撤回することになるのだが……
「こんなの習ったかなぁ?あはは」
京香「そんなの中学生でも分かる簡単な問題よ……ちなみに3問目の答えも間違ってる……」
「ぐぬぬぬ」
てか、私ってこんなに勉強してなかったか?たしかに家では勉強机に向かった記憶などないが……
1年の時から根はまじめだから先生の話も聞いていたし板書だってちゃんとしてた記憶がある……などと
自問自答していて気づいてしまった……
まじまじと1年の時に配布された教科書を見返していた。なるほど、この本は私の手に渡って2年と半年近く経つのだがまったくその年月を感じさせない
折れ目も一切なく新品のような教科書であった……
くそっ、タイムマシンがあったら私を殴りに行きたい……多分、殴り返されるけど……
そんなやり取りをしているとたったったったと階段を駆け上がる音が聞こえる。
その足音が私の部屋の前までくるとドアがガチャッと開いた。
「おねぇちゃんただいま」
京香「あら、こう君おじゃましてます」
こうた「きょー姉ちゃん、こんにちは」
京香「今日の最後の授業は体育だったの?ふふっ、体操着似合ってるわね、可愛い」
可愛いといわれこうたはかすかに頬を赤らめてうつむいた。
いままでの私に対するゴミを見るような目が嘘のような透き通ったウユニ塩湖のような瞳でこうたを見つめる。
こうた「んっ……あ、ありがと」
こうたは私の弟で6つ違いの小学5年生。サッカークラブに入っている。
体育があった日は着替えずに体操着のまま帰ってくる。当然、体操着には土埃と汗のシミがついていた。
「あんたねぇ、ノックぐらいはしなさいよ」
こうた「あっ、ごめん」
「あいさつが済んだらさっさとお風呂に入りなさい」
こうた「いや、その……ちょっときょーお姉ちゃんにお願いが……」
京香「ん?なにかな?」
うれしそうな顔でこうたの黒い瞳を覗き込む。
こうた「勉強を見てもらいたいんだけど」
京香「……あら、そんなこと?ふふふっ、構わないわよ」
こうた「ほんと?ちょっと待ってて」
こうたはイソイソとかばんから宿題の問題集を取り出そうとするのを私が制した。
「その前にお風呂に入ってきなって、汗臭いから」
こうた「あっ、うん、分かった」
京香「それじぁ……なんだったらお風呂で教えてあげようか?」
蠱惑な表情で京香はこうたに微笑んだ。
こうた「えっ、いっ、いい」
頬を真っ赤に染めながら急ぎ足で私の部屋から出て行った。
京香「こう君はいつみても可愛らしいわね」
「そうかねー」
姉の私には分からん。
京香「それにしても不思議ねー」
「なにが?」
目の前の数式以上に不思議なことがこの世界にはあるのだろうか。
京香「あなたとこう君の血がつながってるって事が」
「それ、どういう意味だ?」
京香「あなた、桃から生まれてきたとか、川から流れてきたとかいわれたことない?」
「そんときは、鬼の前にあんたを退治してやるよ。4対1じゃなくてタイマンでね」
ちらっと京香の瞳が壁掛け時計の方に移動したのを私は見た。
つられて私も時計を見る。
時刻は16時ちょっと過ぎ。
そういえば今日は木曜日だから、母親は15時45分頃に遅出のパートの為に家を出て行く。
母は近所のベルケというスーパーに週4日程、パートタイマーとして働いている。
じぁ、今日、夕飯はスーパーの余りものだ。
のり弁は嫌だなぁ、手巻き寿司だったらいいなぁ。
時々、京香は時計を見る。
京香「ちょっと失礼するわね」
それだけいうとスススッと立ち上がる。
「どしたの?」
京香「……トイレ」
そういうと部屋を出て階段をとっとっとっと降りていく音が聞こえる。
私の家には1階2階の両方にトイレがあるのだが2階にはウォシュレットがないため京香がトイレを使うときはわざわざ1階に降りていく。
こういうところはお嬢様なんだよな~私気にしないな~
シャワーだけ浴びてさっと着替えてきたこうたを交えて3人で勉強会をする。
こうたが私の部屋のテーブルに宿題を広げて腰掛けるとすかさず京香が隣に密着して座る。
こうた「ちょっ……きょー姉ちゃん、近いよぉ」
顔を真っ赤にして恥ずかしがるこうたの目をじぃっと見つめて微笑む京香。
京香「だって、こうしないと一緒に問題が見れないでしょ」
おい、何で私のときは一緒に問題を見ないでファッション雑誌を見てたんだよ。
もはや、付き合いたてのカップルがごとく密着していく京香。
京香の髪がこうたの頬をくすぐるたびにこうたは小さなうめき声とともに頬を赤らめる。
「あの~京香先生、ここの問題が分からないのですが……」
京香「あ~そこの問題難しいわね~がんばって~気合よ、気合」
京香「あら、こう君、小学生なのにこんな難しい問題解けるんだ、すごいすごい」
こうたの頭を地蔵菩薩かのごとく撫で回す京香。
そんなに撫でたってご利益ないしはげそうだからやめて。
こうた「うぅ……でも、こっちの問題が分からないんだぁ」
京香「ふふふっ、こっちの問題も難しいわね~じぁヒント上げちゃう」
京香の吐息がこうたの耳をくすぐる。
くれ。私にもヒント。なんだ、頼み方か?頼み方が駄目なのか。
「ねぇ~きょ~おねぇ~ちゃん~この問題が分からないんだぁ~」
京香は一瞬、私の方を向いたがすぐに視線をこうたに向けなおした。
すげぇな~。
生ごみに群がるハエを見るような目を親友に向けれるなんて。
そんな感じで私たちの勉強会は夜まで続いた。
京香が帰った時には時計は21時をさしていた、さすがにお腹が空いていたため、母が買ってきたスーパーの余り物を食べにリビングに向かう。
リビングでは、こうたがソファに座ってゲーム機を弄っていた。
その横で寝巻き姿の父親がビールを飲みながらテレビを見ている。
父「これ、毎週お前が見ていた探偵物のドラマじゃないか?始まってるみたいだぞ」
「えっ、やばっ今日だっけ、忘れてた。5分ぐらい見逃した」
あわてて、テレビの方へかけよろうとすると
母「ちょっと、あんたも早く風呂入りなさい洗濯機が回せないじゃない」
「うー」
私は仕方なくテレビの録画機能を設定してからリビングを出た。
脱衣所に入るとそそくさと衣服を脱いで洗濯機に放り込み、スイッチを押してお風呂に入った。
私が風呂から出てきたときには時計の針が22時をさしていた。
父は寝室で寝ているらしくリビングにはこうたと母しか残っていない。
遅めの夕食を食べるため冷蔵庫を開けるとのり弁があった。
手巻き寿司は売り切れてたか~。
テレビのリモコンを操作して先ほど録画したドラマを再生した。
テレビを見ていると洗濯物を干していた母が声を荒げた。
母「ちょっと、こうた、あんた、また下着と服一緒にして入れたでしょまったくいつも別に分けてって言ってるでしょ。絡まっちゃって大変なんだから」
こうた「あーごめん」
リビングのソファで携帯ゲームをしていたこうたは謝罪の言葉を口にしているが反省よりもゲームの方に集中しているようだ。
母「って、こっちもシャツが裏返しになってるし……あんたもちゃんと表にしなさいって言ってるでしょ」
母「聞いてるの」
こうた「無駄だよ、ドラマが今、良い所だから、お姉ちゃん夢中になっちゃうと周りが全然見えなくなっちゃうから」
母「もう……いつもいつも……」
私がテレビを見終わってしなしなになった揚げ物を口にする頃にはこうたは部屋に戻っているらしく母親も寝室にいるようだ。
私もテレビの電源を切って、食べ終わった空の容器をゴミ箱に入れると、静かになったリビングをあとにして自室に戻って小説に耽ることにした。