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 「博士」ことスティーブン・ワイズマンは急いでいた。

 それはアクサナが目覚める数時間前、太陽どころか草木ですら眠っている時間。

 森の中にひっそりと佇む廃墟の静寂を破るためにやってきた。


「ここに来るのは何年ぶりだろうか」


 少しだけ思い出に耽る。耽ろうとする。しかし思い出すことは無い。記憶を思い出すことは出来ない。多くの記憶を記録したこの場所に関する記憶を、必要最低限のみを持ち出しただけだったからだ。



―――彼の過去。それは、ある意味でヒトとして生きる事を放棄した結果であり、ある種のナチュラリズムから逸脱した行為である。その事を知る者は少なかったものの、それを快く思わない人もあった。故に、歴史の表舞台から姿を消さざるを得なかった。

 一方で、彼は一層にその探究心という名の火を燃え上がらせた。曰く、「ヒトではなくなったかもしれないが人間であることに変わりない」。


 ヒトの記憶出来る情報には限りがある。日々生きていく上で、新しい何かが起こる度に不必要とされた記憶は薄れていく。

知覚したものを全て記憶するとなると、それだけで膨大な量のデータである。全てを記憶し、記録することは難しい事だ。

 しかし、こと機械、或いは機械人形にとっては、少しだけ違う。それは博士が“生きていた”頃においても、出来ないことではなかったにせよ、簡単なことではなかった。

と言っても、彼は死んだ訳ではない。かと言って生きている訳でもない。彼は今、ヒトではない。生きているとも死んでいるとも言えない。彼自身はきっと生きているつもりなのだろうが。

 彼の体は今や人間のそれとは、彼が生まれ持ったものとは、全く違うモノになっている。これはアクサナプロジェクトの、その研究の応用というべき技術であるとも言える。


 ステーブン・ワイズマンは機械として“生きる”事を選択した。


 彼は自らの肉体を機械の体へ換装した。

 彼の目指した研究は彼の本来与えられた時間では、ついに成し遂げる事は出来なかったが、その時間が尽きる前に、束縛から解放される手法を見出した。


 機械の体になり、出来るようになった事も随分増えたが、多大な犠牲を払ったのもまた事実だった。

 あらゆる感覚器官の働きなどは最たるものだろう。視覚や聴覚は問題ないとしても、触覚は以前ほど感じなくなってしまった。しかしそれは研究により克服できる課題であり、幾度も試行錯誤した結果、少しづつ改善されてきている。

 味覚や嗅覚に関しては、ごく僅かに感じる程度であり、魔法の力をもってしてもその完全再現は現在の技術では困難である。今や食事をする必要も無いが、いつか味覚や嗅覚が再現できた暁には、食物を口にしてみようと少しだけ思っている。


 肉体を換装した感想はこのくらいにして、彼はその頭脳すらも半導体に置き換えた。

 こちらも様々な問題点があったが、記憶領域の問題は特に物理的な面でも深刻だった。

 それぞれのパーツは交換が利くようになったものの、性能のいいものを準備したところで、限られたスペースに収められなければ意味が無い。

 仮にあらゆるデータを事細かに記憶する事が出来たとしても、それには限界がある。膨大なデータを処理する事が可能になった反面、新たな記録を残す場所を作るためには不必要なデータを削除しなければならない。一度削除されたデータが再び戻ってくる事はまず無い。

 彼はもう失った記憶を思い出す事は出来ない。ヒトだった頃のように、一度忘れてしまった事を思い出す事が出来ない。つまり、昨晩摂った夕食のメニューを忘れてしまったら、どう頑張っても思い出すことは出来ないのだ。(最早夕食をとる事も、もう無い事だが。)


 その問題の解決策としたのが、巨大なデータベースである。しかしそれも万能ではない。膨大な記録を保管する為に作られたそれは、セキュリティの観点から、彼が直接アクセスしなければならず、故に、必要なデータをいつでもどこでも出し入れできるものではない。むしろ不便である。

 それに必要なデータがあるかどうかという記憶もまた、無制限に記録できるものでもない。

 そこで博士が開発したのがデータベースの検索システムだったが、結果、自分の過去の記憶をを自分で調べまわるという、ある種の健忘症のような状態に陥ってしまった。博士にとってこれはきっと不本意であっただろう。


 彼自身の管理は非常に大変だが、言うなればこれはいろんな意味で博士の「生きた証」であり、人生そのものでもあるとも言えた。


 博士の身の上話を掘り下げるのはこれくらいにして、今回、100年以上前に放棄された旧研究所に再び訪れた由は、他でもない。アクサナの起動である。

 突如として暴走を始めたラピエルを、その製作者として見過ごす事は出来ない。対処しないわけにはいかない。

 しかし、ラピエルに何かが起きた事は確かだが、具体的に何が起こったのかが判明したわけではなかった。

 製作者という都合上、博士とラピエルの間には、メンテナンスのための専用のネットワークが構築されており、お互いがある程度どういう状況にあるのかを知る事が出来た。今回はそれを通して不具合を検出した。

 最後の更新で僅かに得られた情報によって、外部から干渉された痕跡が発見されたものの、誰が何の為にそのような事をしたのか詳しく調査する必要があった。安全のために、現在はそのネットワークも閉鎖されているが、油断は出来ない。仮に、あちら側に影の首謀者が居た場合、こちらの情報を探っている事だろう。


 この遠征もそんな中、辛うじて作れた時間の中で行われたものだ。そのため彼には時間が無かった。準備をする時間も、アクサナを目覚めさせ、付き添い、また、後処理をする時間も。

 ラピエル側に察知されるまでに、この世に“生まれて”間もないアクサナが準備を整えるための時間を稼ぐ為にも、アクサナは秘密裏に起動させなければならなかった―――



 過去の産物と称されるようなこの研究所は、あらゆるネットワークから遮断され、完全に孤立状態のままこの100年間を過ごしてきた。言い換えれば、安全に隔離された環境にあった。反面、実際に訪れてみない事には現地の状況が全く掴めなかった。

 廃棄された場所として、そして終わった場所として、この研究所はその荒れ果てた外観とは裏腹に、ただ、最小限の機能だけが稼動している。

 それは博士がここを去るときに託した、いわばアクサナの“生命”維持装置。大気中に漂う魔法の力を取り込んでエネルギーを生み出すジェネレーターは、博士の作品のなかでも最大の発明だろう。半永久的に稼動を続けるそれを、永劫機関と呼ぶ者もいた。

 この研究所に置かれていたのは、その最初の炉。小型化が進む前に造られたものであるが故に、効率もあまりよくなかった。必要最低限のエネルギーを賄う程度の能力しか無かった。


 研究所の中に入ると、一番奥の倉庫のような部屋の壁にある、大きな配電盤のような鉄の扉を開ける。実はこの壁を隔てて向こう側は巨大なジェネレーターが据え付けられており、その操作盤のみがこちらの部屋に作られているというものだった。

 その中にあるソケットに新型のパワーコアを差し込む。これで研究所にある全ての機能がオンラインとなり、薄暗かった室内に明かりが灯った。


「誰の手も入らないこんな秘境めいた場所で、今までよく耐えてくれた。」


 ポツリと呟いた労いの言葉と共に、胸を撫で下ろす。

 よしんば既に、完全にこの研究所が正常に稼動していなかったとしたら、ここへ足を運ぶ事自体が無駄になってしまっていた。

 それは博士が最も危惧していた事態であり、それが現実のものとならなかった事は幸運だった。とはいえ、単に幸運に頼っているばかりではない。

 それはかつて、この場所を去る時に、このように最小限の設備だけは動くようにしていた彼の過去の功績を称えるべきだろう。高精度な演算装置をその頭の中に獲得したとしても、未来の事などわかりはしないのだから。


 博士は奥にある隠し扉を通ってさらに階段を降りていく。突き当たりにある扉を開けると、埃の堆積した部屋の真ん中にカプセルが鎮座しており、その中でアクサナが眠っている。

 廃棄されたはずのアクサナを隠す為に、厳重に秘匿されたそれは、予期せぬ来訪者や物好きな輩、或いはアクサナを見つけられるとまずい誰彼が、この研究所内に侵入した場合を想定して設計された隠し扉だった。この100年の間にそのような事態が発生したかどうかは不明だが、現に無事だったのだからどちらでもよい事だった。


 そんな光景を目の当たりにして、当時の記憶がふつふつと蘇るなんて事は無い。それは思い出す事が出来なくなった彼がとっくに忘れてしまった感覚で、そんな諸々の感傷に浸っている暇は無い。積もった埃を掃除する暇なんて尚更無い。

 彼はすぐさま端末の電源を投入する。そこからアクサナを目覚めさせるプログラムを起動していく。


「このままでは夜明けまでに間に合わないか・・・」


 彼に選択の余地はなかった。起動させる事が出来たとしても、この100年間で収集、判明したあらゆるデータをアクサナ本体に入力する時間が無かったのだ。

 旧式の入力装置はそのようなデータの転送や入力にどうしても時間がかかってしまう。そして何時間後になるかわからないアクサナの目覚めを待つ時間も、もちろん無かった。

 アクサナに視覚や聴覚などの感覚器官や、感情のプログラムをそれぞれインストールしていく。

 一部のデータが破損している。問題は山積みだったが、残された時間は僅かだった。止む無くある程度の修復を、最低限の修復だけを済ませる。


 起動が完了したらアクサナをカプセルから出さなければならない。まだ活動していないが、遅くても数時間後には目覚めるだろう。

 彼は部屋の隅に立てかけられた埃だらけのスレッジハンマーを持ち出し、カプセルを叩き割る。


「やれやれ、簡単に開けられるように作っていればよかった。」


 液体と共に流れ出したアクサナの体を抱きかかえ、部屋を後にする。


 夜明けまであと数十分。博士は彼女を寝台へ横たえると、急いでメモを残した。

 本来なら直接入力するべき内容だったが、それが出来なかった以上、他の手を用意するしかなかった。そして彼は電子的な媒体ではなく、紙の媒体を用いた。これは生前より彼が続けていた『ノートに日誌を付ける』という彼の習慣に基づいたやり方であり、彼が『極めて原始的でありながら、最も安全で簡単な方法』として信じているもののひとつである。

 それに紙に書いて貼り付けるという簡単手軽で時間も取らない方法は、この場合最適に思えた。

 目覚めた後のアクサナが気が付くかどうかはある意味で博打だったが、彼女が自発的に何らかの端末にアクセスして情報を得ようとする可能性と比べれば、比較的確率は高いだろう。


「後は自分で何とかしてくれ。」


 そう言い残して博士は去る。アクサナが聞いているかいないかはわからないが、聞こえていればそれはそれでいい。結果的には独り言になってしまったが。


 アクサナが独り言をよく口にするのも、博士のこのような部分に似たのかもしれない。アクサナの人格も元となったものはあるし、それは博士と関係のないものではなかった。

 博士には昔、娘がいた。しかしそれはそれは遠い昔に既に亡くなっている。そんな今は亡き娘の面影を投影したのがアクサナであり、ラピエルだった。


 アクサナが目覚めた時に、この研究所も役目を終える事となる。そして今はこれ以上ここには居られない。また、日を改めて後処理をすればよい。パワーコアも回収しなければならない。

 外に出ると、小雨が降っていたのか、空気が少し湿っていた。ふと見上げると、朝焼けに浮かぶ雲はその中に赤い光と影を抱き、その陰影はくっきりと空と雲の境目を縁取っている。

 長らくこのような景色を拝んでいなかった。つい見惚れてしまう。


『今日という日がアクサナにとって特別な一日になりますように。』


 口にはしなかった。博士はただ、心の中で呟いた。それはまるで、娘の誕生を喜んだかつての父親のように。また、幸福を祈った今は亡き彼の妻のように。



 それから数日後、研究所を再び訪れた博士は、アクサナの旅立った後を見て頭を抱えた。

 限られた時間の中で、準備できた物資は少なかったが、その大半が残されていたからだ。そして回収するはずだったパワーコアが無くなっている。

 挙句の果てに、未だに近くの町にアクサナが立ち寄ったという情報すら無い。何事も思い通りにはいかないものだ。やはり無理にでも付き添っていればよかったのだろうか。それとも、無事にアクサナが目覚めたことを喜ぶ方が建設的なのだろうか。

 複雑な心持ちの彼に出来る事は、祈る事と待つ事以外に無かった。しかし、それもまた“人間”である証なのかもしれない。

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