35
周囲には頑丈そうな壁、天井は手を伸ばせば届きそうなほど低い。狭く小さな空間に一つの小さな明り取りと、入り口には鉄格子。大いなる虚無感と絶望を背負い、生気無くただ一つの入り口から外を見る。
なんの前触れもなく目の前を通り過ぎる人影。その姿には見覚えがある。でも誰だったのかはっきりわからない。
その人物はこちらに見向きもせずに通り過ぎた。私は思わず喉を震わせて何かを叫んでいた。
夢は覚めた時にその殆どを憶えていない。数分もすれば夢の内容なんて頭から消え去ってしまう。一日も経てば夢を見たことすら忘れてしまう。
寒い。まるで体に水をかけられたみたいに濡れている。こんなに汗をかくなんてどうしたのだろうか。頭は重いし、なにもしたくないが、このまま再び眠るのもあの続きを見てしまいそうで恐ろしい。
ベッドで仰向けに寝転がる。ぼんやりと弱い光を放つ電灯の光に照らされ、僅かにその存在を認識できる薄汚れた天井。ここは古ぼけた研究所の一室。それを確かめるように暫らくそのまま眺めていた。
ガラスが割れて出来た穴を埋めるため、薄い木の板が貼られている窓は、最早機能の半分を失っている。そんな窓を思い切って立ち上がり、開けてみても朝日はまだ無かった。闇の中で寒さと悪夢に震えながら、まだ暗い外の景色をただ眺めていた。そうだ。昨日に湯場で耳にした朝風呂とやらを試そう。今はとにかく動いた方が気が紛れるような気がする。
外に出ると、太陽が昇ってくるのが見えた。正面から昇る朝日に照らされながら歩くと、日の光に触れた部分にぬくもりを感じる。まるで陰鬱な夜を体から引き剥がしてくれているように思える。
温泉はすっかり冷たくなってしまった身も心も、じっくり温めてくれた。眠っている間に見た幻像の事はもうあまり良く覚えていない。でもあれは恐らくあの塔に残した過去の自分なのだろう。彼女は今もあの悪夢のような光景の中に生きているのだろうか。
思わずお湯を手ですくい顔にかけた。そんな事考えたところで仕方がない。仮にそうだとしても、私が私を怨むなんて考えるのはおかしな話だ。
目覚めから憂鬱だったが、温泉によって少し気分が楽になった。今回は明るくなってからやって来たが、湯に浸かりながら朝日が昇る瞬間を拝めたとしたら、それはもう最高だろう。いつかそれも試す機会があればやってみたいものだ。
そんな想像を繰り広げているうちに、長湯が過ぎたようで前日よろしくふらつきながら浴場を後にした。
モヤモヤした気持ちもひとまず落ち着いて、急ぎ研究所に戻る。約束の時間はすぐそこに迫っていた。
今日はこれから目的の洞窟へと足を踏み入れる予定だ。それまでの時間を自由にしていいという話から、今朝はこうして温泉にやってきた訳だ。
案内に導かれて洞窟に入るというのも過去にあった事だが、今回はあまりおかしな事にならなければ良いが。そんな想いを抱きながら時間ギリギリに到着した。
地質研究所の裏手はそのまま崖になっていて、建物はその崖に覆い被さるように建てられている。まるで何かを隠すように。そう感じたのは戻り際にふと建物を見上げた時だった。
彼女は既に準備を終えた状態で待機していた他の三人と合流し、いよいよ出発の時を迎えようとしていた。
「ところで、洞窟があるということでしたが、その入り口はここから近いのですか?」
「近いというか・・・そうですね。近いです。というよりもう着いています。」
彼は玄関に集合したにもかかわらず、再び研究所の奥へ入っていった。ニ、三歩進んだ所で振り返り、ついてくるように言った。
研究所は崖に保たれる形で建造されている。普通なら構造体として独立すべき所だが、何度見てもそれは崖と一体化している。また、崖と建物の接合部はピッタリと密着していて隙間はない。こんな状態で地震等の地殻変動に見舞われたならばひとたまりもない。もしかしたら、外観のみすぼらしさもそれが理由なのではないか。しかしそんな勘繰りもこの光景を見れば仕方がないと思うかもしれない。
ロディスは崖に面した壁側にある扉を開いた。当然眼前には剥き出しの岩山が広がるのだが、そこに一つの大穴が口を開けている。
「さぁ、行きましょう。」
「おかしな建築だとは思っていたが、裏が洞窟と直結していたとはな。正解の道は存外に思わぬところに転がっているものだ。」
「つまりこの研究所に来てなかったとしたら、見つけることはできなかったのですね。」
「家で隠すなんてねー。こうすれば偶然にも洞窟の入り口を発見される。なんてことも起きないね。」
雑談もそこそこに洞窟内部へと侵入した。足を踏み入れると、洞窟内はひんやりとした空気が充満していて、少し肌寒さを感じる。入り口から入るなり下り坂になっていて洞窟がこのまま地下へと通じているとすぐにわかった。
足元の凹凸は歩きにくさもあったものの、その凸凹があるおかげで下り坂でも滑りにくい。階段とまではいかないものの、およそ等間隔に足がかりになるようになっている道は、もしかするとある程度の整備がなされているのかもしれない。
自然洞窟の内部はかなり入り組んでいるようで、もし彼の案内なくしてここを訪れたとすると、二度と外の空気を吸うことは叶わないだろう。その考えは洞窟内を歩けば歩くほど強くなっていった。
洞窟の内部には、至る所に鍾乳石と呼ばれるようなものが立ち並んでいる。これらが乱立している光景は、このような自然洞窟で見られるもののようだ。時の流れが作り出した芸術品に彼らは目を奪われる。
当然そんなものを見るのは初めてだったアクサナとタルモは、これは一体何なんだといった様子で興味津々だった。そして言うが早いか伸び連なった鍾乳石をつつき始めた。
「やれやれ、このようなものに触れる事は推奨されることではない。悠久の時を経て築かれたこのような自然の芸術品を、簡単に壊すのは許される事ではないだろう。まぁ本来はこれに限った話ではない筈だがな。」
「そうなのですか?」
そう言って振り返ったアクサナのつついていた鍾乳石は、彼女の背後でガラガラと軽い音を立てて崩れ落ちた。彼女はそれを察してか、少しだけバツの悪そうな顔色を浮かべた。
「なんだか申し訳ないです・・・・。」
「別に咎めるつもりはない。ただ、今壊したものもそれ相応に時を重ねた上に成り立っていたものだったというだけだ。」
「うぅ・・・。」
自分が生まれる遥か昔。本当に気が遠くなるような時間をかけて作り上げられたもの。それを壊す資格が自分にあるとは到底思えない。
とはいえこんな石の柱、何の役に立っているわけでもない。と言い切ってしまえばそれまでだ。そう、素人目に「これが何かの役に立っているとは思えない」というのは正直な意見だった。しかし、役に立たないからと言って破壊してしまうというのも違う話だ。
彼女の心の内は純粋に単純に申し訳ないという気持ちに占領され始めていた。
「壊したからと言って、罪というわけではないですよ。無闇に壊すのは良くないですが。」
「はい・・・。」
彼女の様子を見かねたロディスは諭すような口調で言った。
「別に反省させる為に言ったのではないですし、そのようなもの一つや二つ壊した所でどうと言う事はないですよ。勝手に伸びるし。鍾乳石は石灰の成分を多く含んだ水が滴り、少しずつツララのように伸びていき、同時に床面に落ちた石灰の成分が積み上げられて、上と下両方から伸びていって最終的に柱のようになる。しかし、だからと言って天井を支えるわけでもない。何か役に立っているという訳でもないようですし。」
まさかそんな事を地質学者が言うのか。と、一同は一瞬だけ若干戸惑いの空気を漂わせた。その無言の反応に応えるようにロディスは噴出して言葉を続けた。
「フフッ。冗談ですよ。地質学的にこのような地形は興味深い。どうしてこういう光景が作り出されたのかを考えるのが仕事ですからね。僕としてもこういうのは好きですし。なんとなくぽたぽたと垂れた水が、こうやって柱になるなんてちょっと面白いじゃないですか。」
竜人でありながら大地に興味を持ち、その組成を知る事を好いている彼は、言葉の端々に当時の面影を残しているものの、タルモの知っているロディスの姿とはまるで違うように見えた。勿論それが悪いというものではない。子供から大人へと成長する上で生き方や考え方が変わるのが当たり前で、逆に変わらない者は社会的に爪弾き者となるだろう。それは竜人の社会でも同じ事なのだ。
竜人社会における仕事の役割とは、基本的には最低限の食糧を確保する事だ。その中で彼らは狩りをしたり農耕をしたりして、その最低限のラインを支えてきた。また、人間と関わりがある頃は、そうやって入手した品や工芸品などの商品を売買していたという歴史がある。それが適わなくなった後も、ロディスのように人間の社会に入って行動するものは少なからず居て、そういった者達の手引きによって暮らしを支えてきた。
自らの身分を偽り、悟られぬよう生活するのは困難だが、やはり一族として生きて行く上でそのような役割を担う人間が必要だった。
彼の場合は元々そのような、所謂橋渡し役に興味があった上に、地質学という専門的な分野の勉強を積み、独自の行き方としてここに住まうようになった訳だ。
タルモはかつて共に遊び、時に寝食を共にした親友の姿を、嫉妬と焦燥感とやるせなさを混ぜ込んだフィルター越しに、後悔と孤独に支配された瞳から羨望の眼差しを向けていた。しかし紆余曲折を経て今ここにある人間に対して「どうして変わってしまったのか」だなんて尋ねる方がどうかしている。色々思う事はあったが、彼はその複雑になってしまった思考を頭の中で打ち消し、今は受け入れるしかないんだ。と強く念じた。
曲がりくねった狭い道を抜けると、大きな空洞へと繋がっていた。そこは各々が手に持っていた明かりでは照らしきれないほどの大きな空間だった。ロディスはより強い光を放つように照明を調整し、その光で室内の状況がはっきりとした。
先ず目に入ったのは正面にそびえるカラフルで巨大な柱だ。まるで一本の大樹のような、大きくて力強い。そんな印象もありながら、その色彩はまるで絵画や彫刻のようなアート作品のようでもある。
そしてその柱は地底湖に囲まれていて、貯まった湖水は神秘的に透明で湖底の状況が目視でわかるほどだった。水底にはころころとした丸い石が敷き詰められているようだ。
こんな綺麗な水の中を泳いだらまるで空を飛んでいるような気分になれるかもしれない。アクサナはそんな事を考えていた。
「足元に気をつけてください。もし落ちたら上がれなくなるので。」
「なぜですか?それほど深いようには思えないですが。」
「一見するだけでは綺麗な水ですが、あの液体には所謂鉱物性の毒素を多く含んでいるのです。あの液体が体内に侵入した場合、その瞬間に筋肉が硬直し、動けなくなる。後は沈むだけです。」
見ただけでは分からない恐ろしさも同時に湛えていた地底湖は、まるで静かにその口を大きく開いて、獲物が入って来るのを待っている巨大な化物のようだ。それに湖底をよく見れば、さっきまで岩だと思っていた物も、何かの頭蓋骨に見えてくる。話を聞くだけでこれほどまでに印象が変わるとは、一瞬でもこの湖で泳いだら気持ちよさそうだと思ったアクサナは、勇んで飛び込まなくてよかったと胸を撫で下ろした。
綺麗な円形にくりぬかれたような巨大な空洞には、気になるものがまだある。それはその部屋の中心部に存在する見上げるほどの巨大な柱だ。地底湖のせいで近づく事はできないが、どうやらあれも鍾乳石から出来た石柱のようであることは遠目に見ても分かる。
巨大な空間を、さも支えているかのように立っている石柱は、先ほどまで見ていたものとは明らかに違うものだ。その威風堂々たる巨大さもさることながら、幾重にも折り重なるように積み上げられた層の一つ一つそれぞれが別の色をしている。色鮮やかに彩られた柱はどこか優雅で、また、見る角度が変わるときらきらと輝いているようにも見える。
「果たしてこの洞窟は、千年前に出来たと言う話だが・・・、この石柱は千年で出来たにしては大きすぎる。これほど大きく成長するには数万年は掛かるのではないか?」
「ええ。普通ならそうかもしれませんね。とはいえ鍾乳石というものは地質によって、形成される為に必要な時間も様々ですし、一概に言えるものでもないでしょう。」
「だが、あのような色とりどりな石柱など聞いたこともないぞ。それにこの洞窟は噴火によって出来たというより、浸食によって出来たものなのではないのか。」
今も尚きらきらと輝くようにその表情を変える石柱は、湖の真ん中で全てを拒絶するように佇んでいる。その情景は、やけに切なく物悲しい。
「そうですね。別に今更隠すほどの事でもないですね。ここで何が行われていたのかを話しましょう。」
ロディスは深い溜息をついて他の三人の方に向き直った。そして彼の歩んできた道を、彼の研究してきた成果を言葉にする。
「この話はタルモも知っているでしょうし、もしかしたらみなさんも聞いた事があるかもしれません。伝承によると我々竜人族の祖は荒廃した世界に活力を取り戻しました。
当時、大地は死に瀕していました。力を失っていたとも言えるかも知れません。地に根を張る植物が枯れ、動物たちも死に絶え、大気を正常に保つ事すらままならなくなった世界。そんな世界で彼らは、僕達の先祖はどうやって生き延びたのでしょうか。そこで登場するのが、みなさんが求めているもの、オリハルコンです。
そもそもオリハルコンとは、簡単に言うと、生命を結晶化したものなのです。我々の先祖はそれを持つ事で命の失われた世界を生き延びる事ができたのです。
仰るとおりこの洞窟も太古の昔に浸食によって出来たものです。それこそ世界が荒廃する以前からこの場所は存在していたと思われますが。
ここは我々竜人族の伝承では『生命のプール』と呼ばれている場所です。そしてオリハルコンはここで作られていたのです。
オリハルコンの生成。これは我々竜人の中でも、ごく一部にのみ伝わってきた秘儀。勿論そう簡単に作れるものではなかった。荒廃した世界に残った残り少ない命で、この湖は満たされたのです。その残滓が今も見て取れるでしょう。だがそれだけではオリハルコンは作れない。
ここは元々火山ではなかったのです。元々噴火などする事はなかったこの地に、必要なエネルギーを確保する為に、先祖はこの地にマグマを引いたのです。それも命を結晶にするためには必要だったからです。
昨日は噴火しないように止めていると言いましたが、本当は逆だったのです。言い方を変えるなら、オリハルコンを作る事を止めている。と言う方がいいかもしれません。そして千年前に行われて以降、オリハルコンは生成されていません。」
「すると、新しくオリハルコンを作り出そうとするなら、この湖に生きているものを大量に投げ込んで火山を噴火させるということですか?」
「ええ。まぁ実際はそれだけではないですけどね。」
「そんなの滅茶苦茶だよ・・・。」
「ええ。だから作るという動きがあれば僕が止めていたのです。それに、最後に作られた時も、作った者たちは自分達が起こした噴火によって命を落としているのです。荒廃していた当時ならまだしも、現在の状況でこんな馬鹿げている事をする必要はないでしょう。世界は命で満ちているのですよ。」
彼の話は衝撃的だった。自分達が求めていたものがそのようにして作り出されたものだったなんて考えもしていなかった。
「因みにその時に作りだされた結晶がここにあります。」
彼はポケットから小さな欠片を取り出して見せてくれた。その結晶は血のように赤く、よく見ると内部が流動しているような気さえする。
「過去に資料を調査していたら、当時このプールに投げ込んだモノの覚書がありましてね。確か、牛を約三百頭とヤギを約二百頭とネズミを二千匹、それとこの周囲に住んでいた人間を全員、五百人ほどと書いてあったかな。恐らく他にも見つけた生物は何でも投げ込んだのだと思います。」
「それだけいれてそんなちっぽけな欠片が出来たと言うの?」
「生成に失敗したと考える事もできるだろう。作り手も命を落としたとなれば尚更だ。」
「そうですね。結果としては失敗したのでしょう。ですが、それでよかったと思います。こんなもの、今後一切作られてはならないと考えていますから。」
彼は小さなオリハルコンの欠片を握り締め、ポケットにしまった。
ロディスの一族はこうしたオリハルコン生成に通じている一家だった。元々彼の家系はこの地の出身で、かつてオリハルコンを生成して世界を救う足がかりを作った偉大な一族だった。
千年前、長らく生成されていなかった結晶の生成法を再現しようとした者が現れた。それに反対した彼の両親は一族から見放され、遠いモリーホーンへと移り住み、そこでロディスが生まれた。結果的に彼らは秘儀の再現を失敗し、周囲一帯と一族の誇りを灰にした。後にその事を知った彼はその生成法を封印し、この地を守る事を決意したのだった。
過去に何があったのかなんて、知らなくてよかったことなのかもしれない。今回の事に限らず、過去の話を聞けば聞くほど、うんざりするような内容ばかりで気が滅入る。アクサナはそんな事を考えていた。
「少し話が長くなってしまいましたね。長が居るのはこの先です。行きましょう。」
ここへは竜人の長に会うために来たのだ。そしてオリハルコン生成の事情を知ってしまった今、そう易々と譲って貰える物だという考えは捨てなければならないだろう。もう今後、新たに作り出すことの出来ないものだから。
四人は生命のプールの周囲を回りこむように反対側へと移動した。そこには更に奥へと続く道があり、ロディスはその道を進んだ。再び狭い通路を地下へと下っていく。この奥に族長が居るのだろうか。
道は続いている。その終わりはまだ見えない。この道の先には、望む答があるのだろうか。
歩いている間に興じていた自問自答の答が出る前に、その道は目的地へと繋がった。小さな集落には粘土や木で出来た家が数軒建っている。そこには普通の人間の普通の生活の風景が広がっている。違うのは住んでいるのは竜人たちで、彼らの背中には翼があるということだ。
当然、外部からの来訪者があれば直ぐにそれは注目の的だろう。アクサナたちはたちまちそんな竜人たちに取り囲まれてしまった。
「みなさん!聞いてください!タルモが目を覚ましてこの地へ訪れたのですよ!」
集まっている人たちは口々に驚きと疑いの声を上げ、二口目には聞くに堪えないような言葉を発するものもあった。タルモは顔を伏せ、その状況に耐えているような状況だった。
「おい!」
その声は周囲を取り囲んでいた竜人たちを一瞬にして沈黙させる。
「来たか。中で話そう。」
響き渡る渋い声を発したのが族長だとすぐにわかった。ただの一声であの罵詈雑言を打ち砕くとは恐れ入る。その風格たるや族長の名に相応しい。いや、族長の名がその風格たらしめたのか。どちらにしても面目躍如とはこのことだろうか。アクサナは心の中で拍手を送った。
族長の招きに乗り、奥の一回り大きな家屋に入った。すぐにその扉は閉められ密室となる。そこは洞窟の中の家であるが、本来家というものは、雨風を凌ぐ為にあるのであって、このような洞窟内でどうして家が必要なのだろうと、彼女は一目見たときに思ったが、一度扉を閉めてしまうとその意味が判った。ここはプライバシーを守るため。その為だけにある家なのだと。結果として今のように外の人の声を遮断する。逆も然りでこの部屋の中の会話を外へ持ち出さないようにする。そういう意図があるのだろう。
「さて、話は聞いている。ロディス、ご苦労だった。そしてお二方・・・。」
「マリウスだ。」
「え?私はアクサナです。」
「マリウス殿にアクサナ殿。此度はタルモをここまで導いて下さり、有難う御座います。」
彼はがっしりとした両肩を床に近づけ、頭を垂れながら感謝の言葉を述べた。アクサナは畏まった彼の態度に、逆に恥ずかしくなって頭を上げるように言った。
「本来なら我々で保護しなければならなかった所を、どうやって知り得たのかは存ぜぬが、ここまで送り届けて頂いた事を心より感謝いたす。」
「私たちは、たまたま彼に出会ってたまたまここまで来たというだけです。」
「いや、某はそうは思わぬが・・・・、貴女がそういうのであればそうなのでしょう。アクサナ殿。しかし、事実としてここまで連れて来て頂いた事に変わりはない。」
「そうです。僕としても彼の姿を見る日が再び訪れようとは思いもしませんでしたから・・・・。」
「しかしタルモや、お前は―いや、その姿は・・・・」
「僕が覚えているのは、あの夜に悪魔と契約したということと、その後ついこの前まで眠っていたということくらいで・・・。」
「ふむ、悪魔とな・・・。カインとシャーリーについては聞いたのか?」
「ううん・・・・。でも、多分その二人の遺体があったのでしょ?」
「我々が見たのは二人の竜人の白骨化した遺体だった。察するに“カインとシャーリー”がこいつの両親なのだろう。何があったのか詳しくは分からなかったが、外部からの損傷の跡があったのは確かだ。」
「外傷・・・という事は魔物の仕業なのか。」
「その可能性は高いだろう。あの近くにも魔物が居たのは確かだ。」
「本来ならすぐに赴き、埋葬までするべきものだが・・・・言い訳のようになってしまうが、いかんせん距離がありすぎる。昨今はかつてのように堂々と飛ぶ事すらままならなくなってしまったのでな。」
空を飛ぶ事ができる彼らがどうして洞窟に居を構えているのか、例のプールの問題があるにしても疑問であったが、その言葉で考えが至った。飛んでいる所など、あまり人間に見られるのはよろしくない姿だろう。そして今や人間の数は増え、どこをどのように飛んだとしても目に触れないということはないだろう。結果的に彼らは翼をもがれたも同然なのかもしれない。
「あの時、お前が起こした悪魔の本の事件によって集落の人々は気味悪がって移動を求めたのだ。その時に移動先として候補に上がったのがこの山だった。どちらにしてもあの「生命のプール」を守らなければならないというロディスの両親の願いもあり、我らはこの地へ移り、住むようになったという訳だ。」
「そうだったんだね・・・・。」
「タルモ。すまなかったな。皆もきっといつかは受け入れてくれるだろう。それに、お前はここに住むに相応しい体になったではないか。」
「おじちゃん・・・・。でも、僕は帰ってくる為に、皆に会うためにここまできたんじゃないんだ。」
「どういうことだ?お前は一人でも頑張った。それで十分ではないか。」
「違うよ。僕は帰るために来たんじゃない。僕達は、オリハルコンを探しにここに来たんだ。」
「オリハルコン?あの呪われた石をか。・・・あれがどういうものなのか判って言っているのか?」
「うん。ロディスから話を聞いたよ。簡単に渡せるようなものではない事わかってる。でもそれが必要なんだ。」
その言葉に一瞬だけ顔色を変えた族長。その表情は鬼気迫るもので、少しでも変な動きをしようものなら、傍らに置いてある巨大な剣が黙っては居ないだろう。手にはしなかったものの、それでも十分な威圧感を感じた。
「・・・失礼した。客人に、それも恩人に見せる態度ではなかった。非礼を詫びる。この通りだ。」
彼は再び頭を下げた。
「これは先ほどの話の続きだ。本来我々竜人は魔物なんぞに遅れをとる事などない。なにせ魔物が現れる以前から存在していたのだからな。タルモ、お前の両親はお前を守るために戦ったのだろう。しかし、二人の力は及ばなかった。これは悔やんでも仕方ない事だが、もし某もその場に居たなら何の問題もなかっただろうが・・・。」
ふう、と大きく溜息をつく族長は、タルモに事の顛末を語ったが、それはまるで懺悔のように聞こえた。
「結果的に某はその二人を見捨てたのだ。その責め苦は幾らでも負うつもりだ。それも某の責任だ。その罪滅ぼしになるのなら、オリハルコンは持って行け。どうせ今となっては無用の長物だ。だが、扱いには注意をする事だ。膨大なエネルギーがそこには詰まっておるのだからな。」
立ち上がり、背後にある棚から小さな袋を取り出した族長は、それをアクサナに差し出した。彼女はそれを両手で拝領した。
「ありがとうございます。」
「それとタルモ。本当にすまなかったな。お前の帰る場所はここにある。全てが終わった時、行く当ても無いのならここに来ることだ。」
オリハルコンの欠片は、やはり燃え盛るような真紅に染まっている。私はその欠片を握り締めた。先ほどロディスがやっていたように。そうするとこの欠片には多くの命が宿っている事が感じられる。そして、今を生きる多くの命が掛かっているとも感じる。この石を持ってみて判った。これは“そう易々と渡せるもの”ではなく“そう易々と持てないもの”なのだと。




