32
泡沫の夢の中に真実を求めて歩き回るのは愚かな事なのか。
『だからあれほど行くなと言ったのに。』
どこからか声がしたような気がした。
ここは何処だろう?頭を整理しながら記憶を辿ってみよう。そうだ、列車の旅を終えて大きな都市に降り立ったんだ。それからどうしたっけ・・・・確か、次の日の夜明け前に出発したんだ。何処に行ったんだっけ・・・・・?そう、森!森を歩き回ったんだった。その次は・・・?その次は・・・・・・・
「おや、目が覚めおったか。久しぶりの来客は、様子がおかしいと思ったが、調べれば調べるほど面白いの。」
「あれ?体が動かない。」
「ただの人間ではないようじゃの。三人が三人とも。」
「あなたは誰ですか?」
「そう急ぐでない。そしてまだ急ぐ時ではない。」
「答えになっていないです。あなたは何をしているのですか?」
「はぁ、見て判らんか。尤も、見えるはずも無いか。自由に体が動かせる状態ではないだろうしの。」
理解が追いついていない。一体何が起きているのだろう。そう、塔にたどり着いた私たちは、昇降機で上層へ上ってその後・・・。何があったのかはよく憶えていない。まるでその瞬間からの記憶が消えてしまっているかのようだ。今の状況から、捕まってしまったと考えるのが妥当だろう。となるとあの二人にも危険が迫っている可能性が高い。
「説明してください。何がどうなっているのですか?」
「・・・・・・・・・・。」
「答えなさい!」
「・・・・お前さんは何者なのだ?」
「・・・・・・・私はアクサナ。」
「人間ではないな?」
「・・・そうです。」
「人体を真似て造った傀儡じゃな?」
「・・・そうです。」
「では、その頭脳はどうなっておる?本物の脳みそが詰まっておるのか?」
「違います。」
「ああ。知っとるよ。今そこを見ているのだからな。」
「え・・・・・?」
「お前さんはどうしてここへ?」
「・・・任務です。」
「違うじゃろ。本当はただの興味本位で、その口実がその任務とやらなのじゃろ?」
ハッとした。言われてみれば確かにそうだ。高い場所を探すという口実のもと、此処までやってきた訳だったが、本当はただの興味本位だったのだろう。そして、ここへ来るという判断をするべきではなかった。ここは、この場所は危険すぎた。立ち入り禁止にされている理由は、つまりこの塔で、この人物なのだろう。
「返す言葉も無いか。じゃが、面白いものを見させてもらったのは事実じゃ。今回はそのお礼に返してやろう。ただし、お前さんのお友達をどうするかは、お前さん次第じゃな。」
「どういう意味ですか?あの二人は無事なのですか?」
「いまのところはな。じゃがさっきも言ったとおりお前さんの判断次第じゃ。」
「何か条件を出すというのですか?」
「理解が早くて助かるの。つまりそういうことじゃ。そしてその条件というのは・・・・・。」
「お前さんの体をここへ置いていく事じゃ。」
絶句した。体をここへ置いていくという事は、私はここから出られないという事ではないか。私にはまだやらなければならないことがある。私はここから脱出しなければならない。しかし、そのためにあの二人をここへ残すことは出来ない。彼らは私の仲間であり友だ。簡単に失うわけには行かない。
「か、彼らを助ける為に私はここへ残り犠牲になれと言うのですか・・・?」
「“犠牲”か。よい言葉じゃ。」
「・・・・・・・。」
「答えは定まったかの?」
「わかりました。彼らを自由にしてください。」
あの二人をここへ連れてきたのは私だ。私はその責任を取らなければならない。こうすれば彼らの自由が確保されるというのであれば、やぶさかではない。そう信じている。私がどうなろうとも、彼らを犠牲にする訳にはいかない。
「じゃあワシの実験に手伝って貰うかの。面白い事になりそうじゃ。」
体が重い。自分の体ではないみたいだ。目を開くのがやっとだ。目を開いてみても前はよく見えない。ここはどこだろう。どうなっているのだろう。
よくわからないが、少しだけ声が聞こえる。もうすぐ?どういう意味?
猛烈な体のだるさに目が覚めた。気分が悪い。こんなの味わった事がない。だめだだめだだめだ。気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い!何がどうなっているのかわからない!体が動かせない!苦しい苦しい苦しい苦しいくるしいくるしい・・・・・・
「―――――――がはぁ!!・・・はぁ・・・・・・・・はぁ・・・・・・・」
「起きたか。体調はどうじゃ?」
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ・・・」
「喋る余裕は無いか。もう少し休め。」
口から何かが出てきていた。ひどい臭いだ。今までこんな強烈な臭いは嗅いだ事がない。それと、絶えることなく口から空気を送り込まないと苦しくなる。体が熱い。自分の中になにかが、脈を打つなにかがある。体は重くて動かせない。動かそうという気も起こらない。なにが起きているの・・・?
また気を失っていたようだ。記憶は混濁しているし、視界もかすれていてよく見えない。あの人物が近くに居るのだろうか。声が聞こえてくる。
「落ち着いたか?実験は取り敢えず成功したと言ってもよいじゃろう。」
「はぁ、はぁ、私に、何を、したのですか?」
「体の中に鼓動を感じるじゃろ?それがお前さんの新しい心臓じゃ。」
「心臓?それって、つまり・・・・・」
「新しい体を作るのに一週間は掛かったがの、うまく定着してよかったわい。」
突然、低く響く大きな音が鳴った。腹部に響いた大きな音は今までに聞いたことも無いような音だった。
「腹が減ったか。大した物はないが、何か持ってきてやろう。」
呼吸も落ち着いて、少しずつ体が動かせるようになってきたのと同時に、少しずつ考える事が、頭を働かせる事が出来るようになってきた。あの人物がなんなのかはまだ不明だが、容姿からして相当な歳をとっている男性である事はわかる。
しかし一週間というのはどういうことだろう。あれから既に一週間も経っているとでも言うのだろうか。未だに何が起きているのかはっきりわかってはいないが、体にはものすごく違和感がある。体と言えば、頭がまだはっきりとしていなくて聞きそびれたが、新しい体がなんとか言っていたような。
手や足の状態を見たり触ったりして確認してみたものの、見た目には変わったようには見えない。しかしなんだろう、妙な不安感が押し寄せてくる。
不思議な感覚はまだ続いている。腹部から断続的に音が出ている。
「どうやら待ちきれんようじゃな。」
あの老人が手に何かを持って部屋に入って来た。その手に持ったものを私のベッドの近くにあるテーブルに置いた。覗き込んでみると、器に温かい湯気の沸き立つスープが注がれている。湯気を顔面に浴びて感じる香りは、腹部から出る音をより激しくした。
「遠慮するな。というより、食わなければ死ぬぞ。」
「どういうことですか?私は食べなくても死にませんよ。」
「それは以前までの体の話じゃろう。今はそうではない。みてみろ、お前さんの体はそれを欲しておるじゃろう。」
グルグル鳴り止まぬこの音はこのスープを食せと言っているのだろうか。自分の体であって自分の体でない。そんなちぐはぐな感覚を確かめるように、温かいスープを口に運んだ。
一口目を啜った所から、手が止まらなくなった。事実として私は空腹だった。そして一気にそのスープを飲み干していた事に、驚きと不思議さを抱いた。
お腹の中にスープを流し込むと猛烈な睡魔に襲われた。抗うことなくそのまま眠ってしまった。しかしなんだろう、すごく満たされた気分だった。
体の異変に目が覚めた。何かが溢れ出しそうな感覚がある。何が起きているのかよくわからない。しかし慌てて上体を起こしたときにはもう遅かった。股間から液体が滲み出しているのがわかったが、自分ではどうする事もできない。状況に身を委ねるしかない。瞬く間にベッドは水浸しになってしまったが、同時に違和感はなくなり、なんともすっきりした感覚すらあった。
「しょうがない奴よのう。」
いつの間にかそこに居た老人にベッドのマットを換えてもらった。なんだか猛烈に恥ずかしくなってきた。
「うぅ・・・・すみません・・・。」
「今度から用を足す時はトイレへ行ってくれんかの。」
「トイレ?あぁ、あのシャワーの横にあるやつですか?」
「左様。」
それから数日間はその部屋で過ごした。寝たりスープを飲んだりしているうちに体に力が湧いてくる感覚があった。支えなしでも歩けるようになってきた。
「もうほぼ大丈夫そうじゃな。」
「なんとか歩けるようになりました。」
「さて、お前さんは自分の体に何が起こったか、もう判っておろう?」
「・・・・・ええ。ですがこれって・・・・・。」
「ワシの口からもその答が欲しいか。よかろう。お前さんはもう傀儡ではない。生きた人間と同じ体を手に入れたのじゃよ。」
「・・・・・・・」
「ワシもこう永く生きとりゃ聞いた事はある。それは傀儡に魂を移した人間の話じゃ。お前さんは言うなればその逆じゃの。」
「という事は、私の体は“人間の体”になったということですか?」
「左様。」
感覚や容姿が変わったように見えなかったのは、以前の体が極めて人間に近い作りをしていたからに他ならない。それを踏まえたとしても身の丈も重量も変わったような感じはない。一体どんな魔法を使ったというのか。
魔法といえば、前の体の場合、そのエネルギーを使って力を行使していたが、今はどうなのだろう。同じように力を入れようとしたのに、感覚がわからなくなってしまった。
壁に取り付けられている鏡を覗き込んでも、私は以前の私と何かが変わったようには見えなかった。姿かたちも持っている記憶も同じなのに、その内側は人間に、血の通った肉体に変わったというのだろうか。
鏡越しに老人と目が合った。そのままの姿勢で思っていることをそのまま言葉にする。
「私は私自身のことを“人形”だと思っている一方で、“人間”だとも思っていました。それは体の事ではなく、生き方というか・・・・なんというか、・・・・あくまでも『人間』として生きていました。」
「では、名実共に“人間”の仲間入りじゃな。」
老人は自分で言って自分で笑っている。これは彼なりのジョークなのか・・・?
体調も良くなって来た。先日からは食事として固形物を食べられるようになった。味はよく分からないが、食べた後には元気が出る。今まで懐疑的だったこの習慣も、今なら理解できる。食べる事は生きて行くために必要なエッセンスなのだと。
食事と休息により体は回復していった。それと平行して体の動かし方を練習した。もう跳んだり走ったりも出来るようになった。
今は壁から壁へと走る練習をしている。そんな様子を眺めるためなのか老人が部屋に入って来た。私は少しの疲労感に息を上げ、部屋の壁に手を突いて少し休憩している。ひんやりとした壁の温度と質感を手のひらから感じ取る。
「調子は良さそうじゃの。」
「はい。問題なさそうです。ですが、なんというかやはり違和感はあります。特に、言い表しにくいのですが、全体として『脆い』感じがします。」
「そうじゃの、人とは脆いものじゃ。じゃがその体は特別製じゃ。無茶な事はせん方がええが、人間の骨格よりも丈夫に出来とるし、そうやすやすと壊れるものでもない。今までと勝手が違うのは確かじゃろうがの。」
その後も数週間、塔の一室で過ごした。体は思うように動かせるようになったし、違和感ももう感じなくなった。今まで着ていた服は吸水性の問題もあったが、たちまち着るものがないという事でそのままになっている。老人には翌朝にここを出発する事を伝えた。老人もそれを承諾した。もうデータは十分に取れたらしい。
所持品を整理し、最後の夜を過ごしていると、お茶を持って老人が現れた。
「昔話をしよう。これはお前さんにも関係ない話ではないからの。」
彼は椅子に腰を下ろし、二人分のカップにお茶を注ぐと話を始めた。
「ワシが生まれたのは今からおよそ6000年前の事じゃ。正確には6362年と4ヶ月前じゃ。」
「訳が分からないです。」
「じゃがこれは事実じゃ。ワシの名は『アレイスター・クロウリー』という。もう大昔に失われた名じゃがな。まぁとにかく、ワシはもう六千年以上生きてきたんじゃ。」
「でもどうやって・・・?」
「お前さんの体にしたような事をやっている。と言えばわかろう。その身をもって“体験”したのじゃからな。」
「・・・・・とりあえず信じます。続きを聞かせてください。」
「・・・当時の世界は上級と下級、その二種類の人間ではっきりと分かれておった。自らを上級と名乗っていた奴らは、少数派じゃったが、魔法を操る力を持っておった。ある時、その力をもってワシらを、それを使えぬ人間を『下級民族』と勝手に位置付け、虐げた。抵抗はしたもののはっきり言って勝負にならんなんだ。あいつらはその後もその力を強めていき、ワシらから搾取を続けた。ワシらは厳しい生活を強いられとったが、奴らは決してワシらを手に掛ける事はせんかった。ワシらの数が多くなる事が奴らの繁栄に繋がると思うとったんじゃろう。じゃが、ワシらもそれで黙っては居なかった。永い準備期間を経て、反旗を翻したのじゃ。」
話を聞きながらカップを両手で包むように持つ。温かいお茶は少しだけ冷たくなった指先を暖めてくれる。私はこのお茶が好きだ。湯気を吸い込むと気分を落ち着かせてくれるような香りがする。少し啜るとほんのりとした甘みが感じられる。
「戦争の時代の始まりじゃった。ワシらは数では勝っていたが、奴らは簡単には倒れぬ。次から次に同胞を失った。奴らの力は無尽蔵じゃった。尽きる事のない力をあらん限り使い、歩けば火柱が上がり、走れば氷河が出来るほどじゃ。それに比べてワシらのできる事は限られておった。」
「圧倒的に不利な状況だったのですね。」
「然り。ワシらの軍は最初から続いていた劣勢にさらに劣勢を重ね、勝つ見込みなど殆ど、いや、無かったと言っても過言ではないほどじゃった。そんな中、ワシは軍の中でも所謂「研究班」に所属しておった。そこでは新しい技術を生み出して戦争に役立てる研究をしとった。ある日、奴らの力の源である魔法の力の根源を封じる方法が判明したのじゃ。そしてその方法を試すチャンスが訪れた。ワシらは12個あった魔法の根源を全て封印することに成功したのじゃ。」
「それじゃあ、勝てたのですね。」
「でなければワシはここにはおらんじゃろうて。」
この話にはなんとなく覚えがあった。12の悪魔やそれを封印した勇者の話。この話が本当なのだとしたら、あの御伽噺に出てくるものと、魔法の関係性の裏付けになるのではないか。お茶をもう一口啜り、話に集中する。
「大変なのはその後じゃった。世界は魔法の力が無ければ存続できないものじゃった。草木は枯れ、大地は裂け、大気は淀んでいった。多くの命は失われた。ワシらは打開策を探しあらゆる手を尽くした。ワシは当時の科学の粋を集めて、人間を“改造”することにした。荒れ果てた世界でも生き残る事ができる人間を作ろうとした。」
「まさかその過程が下の階の牢屋に入っていた・・・・・?」
「いいや、あれはただの暇つぶしじゃ。あの時に作り出したのは竜のように強い体を持つ人間じゃ。」
「・・・・竜人ですか?」
「左様。荒れ果てた世界で生き残った彼らは、永い時を経てワシらの封印した魔法の根源を一つ開放した。それによって世界に光が戻ってきた。新しい時代の幕開けじゃった。人類は滅亡を免れたと言うわけじゃ。」
「竜人はあなたの作った種族だったということですね。」
「然り。そしてあの子供がそうじゃったのじゃろう?こんな巡り合わせがあるなど思いもせんなんだわ。」
「あなた自身はどうやって生き延びたのですか?それに、その話だと人間どころかあらゆる生命がその一件で死滅したのではないですか?」
「・・・ワシは自らを改造してその環境でも生きれるようにしたまでじゃ。お前さんにやったようにの。それと、これはワシが関係した案件ではなかったが、地下にシェルターを作って様々な種を保存する。という計画があったようじゃ。それによってある程度生き残った生物もあったそうじゃ。現存する野生動物の殆どはそこから再生したものじゃろう。他にも冷凍睡眠やら色々な方法を試されとったわ。その後どうなったかはよく知らんがの。」
時折お茶を啜りながら話すこの老人の話を、そのまま信じてもいいのだろうか。はっきり言って六千年前の話など突拍子もない。しかし、嘘だとしても私にそんな事を言う意味があるとは思えない。
興味が無いと言えば嘘になる。この話はまだ続きがあるだろうし、参考までに聞いていく方がいいとも思っている。
「信憑性。その話が真実なのかどうなのか、判断しかねます。」
「そうじゃろうとも。ワシの話を信じるか信じないかはお前さんの自由じゃし、その結果に何が待っていようともお前さんの自由じゃ。しかしの、ワシはワシの体験した歴史をそのまま伝えておるだけじゃ。それ以上でもそれ以下でもない。」
「・・・・・・」
「お前さんはワシの実験に付き合うてくれたしのう。その対価としてこの話をしてやろうという気持ちになった訳じゃ。」
彼の話には説得力があるのも事実。私自身が望んだ事ではないとはいえ、こんな体にすることが現実に可能なのだ。彼自身もそのように生き永らえ、世界を見てきたという話を、鼻で笑ってしまうのは違うような気がする。
「私の“元の体”には何をしたのですか?」
「何かした訳ではない。ただ、噂に聞いた『魔法工学』とはなんじゃろなと思ってのう。」
「魔法・・・。この体ではもう使えなくなってしまったみたいなんですが、何かわからないですか?」
「さあの・・・。じゃが、おそらくお前さんの言う『魔法』はワシの知っておるものとは違うものじゃ。むしろワシが軍に居った時に並行して研究されとった技術に似ている気がするのう。もしかすると旧世界の遺産が基になって構築された技術なのかもしれん。」
自分が魔法だと思って使っていた力は魔法ではなかったというのだろうか。では、一体何だったのか。『魔法工学』とはなんなのか。
「魔法で思い出したわい。お前さんの連れの一人の事なんじゃが、あれはどうも本物らしいのう。」
「どういう意味ですか?」
「ワシが、ワシらがかつて戦った奴らの、言うなれば子孫やもしれぬ。しかし気になるのは、姿は成人男性の筈なのじゃが、生殖器官が存在しなかったんじゃよ。怪我をして失った風でもないしの。くまなく調べた訳ではない故、断言はできんが。」
実際彼に関してはわからない事が多い。これまでも過去を匂わせる様な話をしたこともあったが、核心を聞いた訳ではない。はっきり分かっている事実といえば、悪魔と契約してああいう体になったという事と、百年にもわたり多くの女性と共に過ごしていた事くらいだろう。しかし生殖機能が無いのならどうしてそんな事をする必要があったのか。
しかしそれを本人に問うのは避けた方がいいだろう。彼が自発的に語り出すまでこの事は心にしまって置くのが無難だろう。といっても、その時が来るかどうかは分からないし、彼の言っていたことが全て真実という確証もない。疑ってしまえば際限が無い。だが、旅の仲間を疑うような事はしたくない。どちらにしても行き過ぎた詮索はしないほうがいいのだろう。
「話は戻るのですが、私が魔法だと思っていたものが魔法ではないとすればなんなんでしょう。」
「あれは恐らく、物質が質量を変えるときに生み出したエネルギーを動力にする技術じゃろう。」
「なんですって?」
「異常に発達した技術は魔法のようなものじゃ。」
「魔法って事でいいのですか?もうよくわからないです。」
「深く考えなくてもいいじゃろうて。人間とて自らの体のメカニズムを全て知っている訳ではないのじゃ。」
「そうなのですか・・・。」
「まだ聞きたいことはあるかね?」
聞きたいこと。正直な所、そんなもの山ほどあるが、そろそろ瞼が重くなってきている。
この世界の事を、旧世界の事を聞けたのは幸運だった。今までありとあらゆる研究者が文献を漁り、仮説を立てて推測しようとした過去が、こうもやすやすと耳にできたという事実は、そのような人達からすれば羨ましいことこの上ない案件だろう。私自身、学者ではないにしても、この話が今の世界の成り立ちを語る上でなくてはならない部分だと理解できる。
私自身の話としては、今まで魔法だと思っていたものは魔法ではなかったという事実と、その技術が旧世界の遺産から生み出されたものかもしれないという事だろう。今となってはその力も無いしその体も無いのだけれど。
新しく手に入れた体は“特別製”らしい。今はまだこの意味がよくわからないが、もしかすると新しい体になったことでチャンスが生まれるのかもしれない。そう考える事でこれからの旅に臨む活力になる。そう、私はまだ旅を続けるつもりで居る。体が変わってしまったとしても、あの子の、ラピエルの姉である事に変わりは無いのだから。
いつの間にか眠っていたようだ。ベッドで横になった体を起こし、体を伸ばす。外の様子はこの部屋からはよく分からないが、恐らく朝なのだろう。立ち上がり荷物を持って部屋から出ようとすると、老人から「最後に朝飯を食べて行け」という言葉を賜り、それに甘える事にした。
食卓には表面を少し炙ったパンに、卵とベーコンをそれぞれ焼いたものがお皿に盛り付けられ置かれていた。見覚えのあるそれらの食品を口に運ぶ。その何れもあの時は味わえなかったものだったが、当時は特に食べたいと思っていなかった物だ。しかしこうしていざ食べるとなるとなんだか新鮮だ。そして今まで食べられなかった記憶が思い出され、なんというかもったいない事をしてきたような気分になった。
あの老人も同じものを食べているようだ。食器の音だけがする、静かな食卓。何となく充実した日々を送ったような気がした。
老人との別れもそこそこに昇降機を使って地上まで降りてきた。あの時無かった出口が今はある。あの骸骨の男が開けてくれているのだろうか。そこから一歩足を踏み出す。これからはこの新しい体で、新しい気持ちで旅を続ける事だろう。
外に出ると途端に日の光が目に厳しい。長らく外に出ていなかった弊害だろうか。それともこの体で、この瞳で始めて見る日の光だからだろうか。記憶では存在するそんなデータも、体にとっては初体験なのだ。ちぐはぐな心と体の反応。モノを忘れたときと逆のパターン。こんな瑣末な事ですら楽しいと感じる自分なら、これから何があってもきっと乗り切れるだろう。
老人の話によるとあの二人にはそちらで待っているらしい。とりあえずあの都市に戻る事を目指そう。
「それにしても、一ヶ月もこの塔で過ごしていたなんて・・・。」
振り返り少し上のほうを眺めようとしたが、首が痛くなったのでそこそこに視界を戻す。ふとあの骨男の姿が目に入る。
「久しぶりだな。譲ちゃん。」
まるで待っていたかのように彼は声を掛けた。いや、おそらくそのタイミングを待っていたのだろう。
「ああ、どうも。」
軽く会釈した。同時に彼のその骨だけになった姿に少しだけ悲哀の感情が湧いた。彼もまたあの老人に改造された者で、しかもあんな姿になっても死ねず、それでも、まだ門番を続けているのだろう。
「あー譲ちゃん。それは違うぜ。」
「え?」
「いや、なんか俺の事を『かわいそうな奴』っていう顔で見てたからな。それが違うって言ったんだ。確かに、この状況に対して人間が取れる反応ってのは、慄いて逃げるかそういう目で見るかのどっちかだろう。譲ちゃんの場合ここに来たときにはそのどちらでもなかったからよ。だからちょっと通してみたくなったってだけだ。塔の中で何があったかは少し聞いたから知ってるが、その体験をした上でそういう顔になるっていうのは、俺は解せない。譲ちゃんには譲ちゃんの、俺には俺の人生があって生きてきた結果があるだろう。俺の場合はそれがこれだったってだけで、それ以上でもそれ以下でもない。だってそうだろう?俺は俺でしかないんだからな。」
「・・・・・そうですね。ありがとうございます。」
今度は深々と礼をした。彼の言った事をかみ締めながら、過去の自分がやってきた事の意味と、これからの自分のやるべきことを本当の意味で考えなければならないと感じたからだ。
「じゃあな。よい旅を。」
「はい。ありがとうございました。」
一ヶ月もあれば蔦や草葉は元の様な姿に戻ってしまう。特にそれが活発な時期なだけに再生は早いのだろう。今までのように内蔵された地図のデータ参照やコンパス機能などは無い。ここで頼れるのは己の方向感覚と実物の地図だけだ。とはいえ、通ってきた道の痕跡が全て失われたわけではない。その道を辿れば森は抜けられる筈だ。
「でも今はもうあの時のように光り輝く鉈を作ることはできない。それこそ、鉄パイプでもあれば開拓が捗るのでしょうけど。」
たちまちそこらに落ちていた細い木の枝を拾い、振り回してみる。ブンブンと風を切る音を出して木の枝が踊る。
準備運動と言わんばかりに肩を回す。その速度は徐々に速くなり、いつしか風を切る音も聞こえなくなった。手元を見ると、細い木の枝は既に折れていたことに気がついた。今度はもう少し太い枝を拾い上げ、振り回してみた。試しにその枝で軽く道を遮る木の枝を切り払うと、バサバサと音を立て切断された枝葉が地面に落下する。
手応えの違和感に改めて持っている枝を見ると、元より短くなっていたものの、それは何の変哲も無い木の枝だった。次に落ちた枝の断面を見てみる。目を疑った。まるで刃物で切られたような断面になっている。
「刃物でもないのに切れている・・・・・?ううん。考えても仕方ない。この調子なら先に進める。今はそれでいいです。」
辛うじて判別できる、来るときに拓いた道を辿りながら進む。以前に比べて体が軽いような気がする。スパスパとよく切れる謎の木の枝の力も相まって、来るときとは比べ物にならないほどの速度で進んだ。日が暮れる頃には例の卵型の黒い物体の場所までたどり着いた。
しかし、その場所は以前来た時と様子が違う。あの時は横倒しになっていた物体だが、今は縦になって置かれている。また周囲の木々は軽く伐採され、地面も土が見えるようになっている。
「とりあえず日も暮れそうな事だし、今日はここで夜を明かすほうがいいかしら・・・・。」
鞄の中から水や固形の食糧を取り出し、口に入れる。その何れもあの塔で老人に分けてもらった物だ。とりあえず暫らくはこれで過ごせるだろう。完全に日が落ちる前に食事を済ませ、暗くなる頃には横になった。
朝の光に起こされる前に、彼女は体の痛みに起こされた。激痛とも呼べるその異変に一瞬意味が判らなかった。もしかして寝ている間に何かに襲われたのかもしれない。
そう思った彼女は力を振り絞り立ち上がり、周囲を見回してみる。しかしそこに何があるわけでもなく、物陰に何者かの気配があるわけでもなく、ただ寝る前と同じような景色が広がっているだけだ。
「いたたた・・。だったらこの痛みは一体なんなのでしょう・・・・。」
こわばった体をほぐすように動かしているうちに、彼女はあることを思い出した。それはまるで初めて共に野営したあの朝に、マリウスがやっていた運動。今まさに自分がそのような事をやっているのが少しだけ滑稽だった。
「ふふふ、確か、マリウスはベッドが恋しいとか言っていましたね。」
「何の話だ?」
そこに誰か居るとは思わなかった彼女は驚いて飛び跳ね、振り返った。一瞬心臓が大きく脈打ったような気がした。
「い、居たのですか!?」
「それはこっちの台詞だ。朝早くから一人で笑いながら人の話をしているなど気持ちが悪いぞ。」
「えぇ・・・・。」
「いや、正直言うとそんな事はどうでもいいがな。今まさに気になっているのは・・・一体どうなったらそんな風になるのかということだ。」
「あ、分かりますか?私、人間になったみたいなんです。」
彼女は何があったのかを話した。その体験はにわかには信じられない内容だが、その異変を既に感じ取っていた彼はその言葉を疑う事はしなかった。というより彼は既に何度か疑って、何度か彼女の体を魔法を使って調べていた。
「君がそれでいいと思っているのならそれでいいのだろう。」
「どうなったとしても私は私です。ところで、どうしてこんな所に?」
「私は君が居ない間にこの石について調べていた。」
「何か分かったのですか?」
「ああ。この石が魔法に反応するのはこの前見ただろう。だが、本当はもっと別の役割があったようだ。」
彼は極僅かな魔法の光を、以前やったように物体に押し付けた。その物体は不思議な不気味な文様をその身に浮かべ、上に向けて光を放った。二人の頭上には明滅する光で円形の陣のような模様が描かれた。
「この物体が現在の技術で生み出されたものではないというのは分かった。そして魔法を増幅させるという現象も確認できた。」
「ということは・・・超古代の遺産?」
「そういった類のものだろうが、もしかして何か知っているのか?」
六千年前にあった戦争の話。あの老人の口から聞いた話をアクサナはマリウスに話した。それを聞いた彼はなるほどといった表情を浮かべた。
「つまりこれがその残滓だということなのだな。通りで・・・・」
「おーーーい!」
上からの声に見上げると、何かが飛んできている。近づいてくるとその物体が何なのかわかった。あれはタルモだ。
「あぶないあぶない。光ってなかったら見失う所だったよ。」
「飛んでいる方が迷子になってどうするんだ全く・・・。」
「あれ、おねーちゃんも来てたのか。久しぶりー。」
「ええ。とりあえず朝ごはんでも食べましょうか。」
「え?ごはん食べないじゃなかったの!?」




