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マリウスの知っている真実というものは、一体どうやって知り得たものだったのか。そう言えば、彼はこれまでも何度か調査と称して情報を集めていた事があったらしい。アクサナが何となく語っていた言葉を思い出し、僕はそんな風な事を考えながら歩いていた。
一同は彼の提案により既に物が無くなってしまった例の事務所に行く事になって、今はそこに向かって歩いている。太陽は真南に差しかかろうとしていた。
「あそこには比喩ではなく何もないぞ。」
「物が無いのは知っている。目に見える物はな。」
「どういう意味だ?」
刑事の男の言葉に彼は無言で答えた。ここに来るのはもう4度目だろうか。しかし何度来ようがその印象は変わることなくボロ小屋だった。違う事があるとすれば今回はノックも無しに扉を開けたという事だけだった。
中に入ると、マリウスは直ぐに仕事を始める。僕はそれに見覚えがあった。それは坑道のあの事件現場で彼が持っていた光そのものだ。あの時も暗かったから灯していた訳ではなく、それを灯す必要があったからそうしていたのだった。
「アンダーヴィジョン。この魔法はここで起きた事を再現して投射する。残留思念を呼び起こしているという都合上、時間が経つとその精度は落ちてしまうが、24時間以内なら十分に見れるだろう。それがほんの1時間前の出来事なら顔に出来た皺一つをも再現できる。」
彼の言葉に対して反応するものは居なかった。僕たちは実物を既に目の当たりにしていたからだ。マリウスの手から出る光に照らされた場所に、薄く淡い輪郭の人物が歩き回っているのがわかる。体型からしてあの小太りの男だろう。彼は部屋の中を落ち着き無くぐるぐると歩き回っている様に見える。
「あの坑道の中の事件もこれで見たから、あの男が犯人だとがわかったのですね。」
「そういうことだ。」
「こんな事が可能なのか。我々のやっている捜査とはまるで違うな・・・。」
暫くすると来訪者があった。シルエットに見覚えのある三人組が部屋の中に入ってきた。これは間違いなくアクサナ、マリウス、それと僕の姿だろう。昨日の夕刻、三人でこの場を訪れたときにはあの男はまだここに居たのだ。居なくなったとすればこの後だろう。三人組は直ぐに去り、残された小太りの男は昏睡した男を何度か起こそうと試みたようだった。
「私たちですね。」
「なんだか変な気分だよ。」
「何かあるとしたらこれ以降だろう。」
その後、男は先ほど同様ぐるぐると部屋を徘徊したり椅子に座ったりを繰り返した。落ち着き無く動き回っていた男は、いつしか椅子に腰を下ろし何かの紙片を見ている素振りだった。それは紛れも無く、あの竜人の文字で書かれたメッセージだった。
それを読み終えた男はスッと立ち上がり、そのまま外へと出て行った。
「どうやらここまでらしい。」
「ちょっと待ってくれ。どうもおかしな点がある。あの男、せわしなく動き回った後に何かに気が付いて椅子に座った様に見えた。そしてその後に例のメモを読んだ・・・と言う事は、最初からあのメモはあの部屋にあったわけではなかったのではないか。」
「それが誰かから届けられた風には見えなかったが・・・。その辺りをもう一度見てみよう。」
再び現れた幻像が何度か再生と逆再生を繰り返している。
「やはり肝心要のあのメモの出処は判らんか・・・。」
「時間が経ちすぎた。小さな物の情報は失われるのが早いからな。」
「ではこれ以上の情報は得られないと?」
「いや、今度はこいつを追跡する。」
彼が指差したのは今にも外に出ようとする男の幻影だった。
「空間が広ければ広いほど残された思念は散りやすい。この場合は誰かがここを通ったという程度の情報しか得られないが、それだけあれば十分だろう。」
部屋から出て行く幻影をそこに居る全員が注目していた。扉を開ける動作の後、それをすり抜けるように消えた幻影。急いで後を追い、外に出た。そこに居るであろう幻影に注目するが、その影は薄く何とか見える程度になっていた。彼らは時々見えなくなる影を注意深く追跡した。
僕はその道をよく憶えていた。この道は正に昨日通った道だったからだ。そしてその先にはあの惨劇が待っていた。彼はその事を考えるだけで吐き気がした。今すぐにでもこの行進をやめたいと思った。前も向きたくない。いつしか下を向いて歩いていた。
『来なくてもいいぞ。』
『そうですよ。無理に来る必要なんてないですよ。』
ハッとして前方を見た。そこにはアクサナが居て、マリウスが居て、あの刑事のおっさんも、その同僚も居た。彼らはその前方を揺らぎながら歩く幻影を逃すまいと注視していた。そんな状況で、当然自分の事なんて見ていやしない。ましてや気にかけても居ないし、声も掛けないだろう。
そんな事は判っていた。自分は勝手に付いて行くと決めて無理矢理ここに居て、彼らと共に旅することになった。でも、本当はそれを望んでいる者は居なくて、僕も本当はそれを望んでいたわけではなかったのではないか。単に一人ぼっちで寂しくてたまたま知り合ったあの二人にそれを慰めて欲しかっただけなのではないか。
僕に対してやさしく声を掛けてくれる人間はもう居ない。お母さんとお父さんだけが自分を気に掛けてくれる。あの頃が懐かしい。村で一緒に遊んで走り回った友たち。あの頃に戻れたら・・・。でももう居ない。居ないんだ。
あぁ、僕にはもう何も残っていない。家族も無い。思い出ももう殆ど忘れてしまった。今ここで僕が死んだとしたら、誰か悲しむ人が居るのだろうか。いつか僕が死んだ時には誰か悲しんでくれる人が居るのだろうか。
つくづく自分が嫌になる。このまま本当に死んでしまえばこんな苦しみから解放されるのかな。
惨めだ。いっそあの坑道で死んでしまっていればこんな事を考えなくてもよかったのかもしれない。あんな寒い夜を越さなくてもよかったのかもしれない。思い出すのは血に染まった壁と、ぬるぬるになった床の事ばかりだ。そしてその場所にこれから行くのだろう・・・・気が重い。
「どうしたのですか?」
ハッとして前方を見た。考え込むうちにまた俯いていたのか。さっきと違う事と言えば、アクサナは振り向いてこちらを見ていること。彼女は声を掛けてくれたのだ。こんな僕に、こんな自分勝手な奴に。
「あ、ううん。なんでもない・・・。」
遅れていた数歩が、考え事をしているうちに数十歩になっていた。その遅れを取り戻すように少し駆けて答えた。口から出るのは単なる強がりで、なんでもないことはない。本当はここから逃げ出したい。でも、逃げた所で何処へ行く?僕にはお金も帰る場所も友人も知っている者も無いのだ。あるのは断片的な思い出だけだ。
案の定向かっていたのは例の坑道の入り口だった。刑事の男は応援を呼ぶ為に同僚を一旦返した。彼は三人のことを信用したらしく、単独で彼らと行動を共にすると決めたようだ。
「とにかく砂を撒いておく。準備が出来次第追ってくれ。」
この街で起こる犯罪の多くは、このような坑道を利用されるらしい。彼らは何時そのような洞穴に入る事になっても対応できるように、道標になる光る砂のようなものを常に携帯しているという。小さな粒子は一見してもあるかどうかすらわからないが、そこに光が当たるときらきらと輝いて見える。彼らはこれを『道標の砂』や『導きの砂』或いは単に『砂』などと呼んでいるらしい。
坑道の入り口を潜った幻影は、空間が狭くなったからか今までとは打って変わって安定している。彼らはそれを追う。その後姿を見ながら僕はなんとか歩いている。
幻影は時々後ろを振り向きながら歩き続け、行き着いたのは自然洞窟だった。恐らく鉱脈を探して掘り進んでいて、たまたまここにぶつかって繋がったのだろう。
男の幻影は迷うことなくその洞窟を進んだ。時々広い空間に差し掛かるたびに少しその影は薄くなったものの、追跡は順調に進んで目的地までたぶんもうすぐなのだろう。
結論から言うと、僕の心配とは裏腹に、その目的地はあの現場ではなかった。そして、そこはあの現場とは比べ物にならないほど嫌な空気を纏っていた。
一行は物陰からその様子を窺っている。広場の中心に火が灯っているのが目に入る。その光に照らされた巨大な彫像は、ここが自然に出来た洞窟ではないのではないかという疑問を抱かせた。
「この場所は一体・・・?」
「あの像は何かの信仰の象徴なのか。もしそうならかなり危険な部類に入りそうだが。」
「噂は本当だったのか・・・。しかし、もしそうだとしたらこの一件は思ったより根が深いものかもしれん。」
「どういうことですか?」
「何から話すべきか・・・少し長くなるが、話はこの街が出来る前まで遡る。その時代の人々は移り行く季節と共に動き回る。そんな狩猟生活を送っていた。では、どうしてそのような人々が今のように定住するようになったのか。それには様々な説があるが、その中にあの像が出てくる説があった。」
「信仰が人々の生活を変えたと?」
「さぁな。一つの可能性に過ぎない話だ。何にせよこれまでの生活を根本から変えると言う事は、何かしらの意識の革新があったのは事実だろう。」
「それがあの像に関係あるということか。」
「ああ。街の中にもああいうのが建っていて、それを中心にして人が住むようになったと言われている。しかしあの像は誰が造ったのか、どうやって造ったのか等は未だに謎のままだ。」
「何か問題があるものなのですか。」
「そうだな。話を戻そう。その像は今や観光資源になるほど有名なものなのだが、実はそれの対になる存在があるという事を知るものは少ない。街にある像は創造や生きる力の象徴とされているが、ここにある像は恐らくその逆。死と破壊を象徴するものだろう。」
「そういう話はよくあるだろう。問題があるようには思えない。」
「別に、死や破壊が不健全と言っている訳ではない。それを屈折して解釈する者が居るというだけだ。」
「なるほど。それがあいつらだと言うわけか。」
「そこまではまだわからん。だが、この場所がその本拠地である可能性が高いだろう。」
僕は三人が話し合っているその内容を聞きながら、改めて広場の中心の方向を見てみた。ここからは少し距離があり彼らが何をしているのかはよく見えない。ただ、揺らめく炎に照らされながら像の前で跪く人が何人か見える。彼らは一体なぜこんな所にいるのだろう。あの男もやっぱりここに居るのだろうか。疑問は尽きなかったがここに来なければならなくなったのは彼らのせいで、そんな彼らやその所業を許す事など出来ないと思った。
勿論、選択は自分次第だということも心のどこかでは理解はしている。でも、そういう選択に迫られたときに自分で選択する余地があるのかと言われれば、それは無い気がする。結局は周りの状況に流されて自分の意思とは関係なく結果は訪れる。そこに自分の意思をいくらねじ込もうとしても。
逆にそこのところを自分の責任と問われでもすれば、たちまち口をつぐむしかなくなる。物事がどう転んでもどうすればいいかなんてわかりっこないことで、それこそ未来の事がわかれば、結果がわかればこんな問題は起きないのだろうか。
考えても仕方ない事だというのもわかっている。しかし、その考えを頭から払拭しようとすればするほど、どうしようもないほどに考えてしまう。結論など無い。納得もできない。受け入れる事も出来ない。じゃあ一体どうすればいいのだろうか。
頭の中が、思考が、ぐるぐると回っている。一つ分かった事は、こんな事を考えている間は少しだけ現実を忘れたような気分になれるということだ。そして次の瞬間にはまた現実に引き戻されるわけだから堂々巡りも甚だしいが、救いがそこにあったような気がした。
「さて、実際にどうするかを考える時間だ。」
「何か考えがあるのですか?」
「我々に現時点で出来る事は限られている。端的に言うと俺は例の事務所に居た男を逮捕することしか出来ない。それだけが認められていて、逆に言うとそれ以上の事は出来ない。そこに犯罪性がある場合を除いてはな。」
「犯罪性か。暫く様子を見たほうがいいという事か。」
「そうだな。応援ももう直ぐ来るだろう。どちらにしても動くのは合流してからの方がいい・・・。と、噂をすれば影とはこの事か。」
「お待たせしました。」
「よし。始めよう。」
刑事の同僚たちが到着し、彼らは打ち合わせをしている。僕はそれを蚊帳の外といった具合で眺めていた。ふと像のほうを見てみると、彼らは四つん這いで地に伏せて何かをしているように見えた。何かをしているというより何かを食べているのだろうか。よく見えないが一体何を食べているのだろう。好奇心からいつの間にか身を乗り出して見ていた。
「馬鹿野郎!それ以上見るな!」
叫び声。それはあの刑事のおっさんの声。それは僕に向けられた声。そしてその場に居たものを全て凍り付かせた声でもあった。
「誰だ!そこに居るのは!」
「坊主を影に匿ってくれ!早く!」
ばれた。完全に。こんな所で急に大声を出せば彼らにも当然聞こえるだろう。彼らは次々と立ち上がった。こちらに向かってくる人たちは赤い服を着ているように見えた。詳細を見ぬ内に担がれて離れた場所に連れて行かれた。
「ええい!だが問題は全て無くなった!全員捕らえろ!」
その後何が起きたのかはよく判らなかった。好奇心は猫を殺す。後にあのおっさんから言われた言葉だ。僕はそれまで特になにもしていない。ただついて行ってただけだ。好奇心でその謎を暴こうとしたわけでもないし、ましてや本当は行きたいと思っていた訳でもなかった。結果的に彼らと同行して坑道の最奥まで行ってしまったというだけだ。これが好奇心かどうかもわからない。いや、もしかしたら初めから好奇心でここまで来たのかもしれない。そして、その好奇心で色々な嫌なものを見てしまっていたのかもしれない。
でも今はそこに後悔は無かった。知らなくていいことを知り、見なくてもいいものを見て、それに対して守ってくれなかったなんて文句を言う方が馬鹿げている。あの場所で何が行われていたのかは、僕にはわからなかった。でも、あのおっさんが危険を承知で僕が見るのを止めたという事実は、僕の中ですごく印象的な出来事だった。あの叫び声は丁寧な言葉遣いではなかったはずだが、どことなくやさしさを感じたからだ。
好奇心は猫を殺す。この言葉の意味はたぶん余計な事はしないほうが身のためだという事なのだと思う。でも、それでも知りたいと言うのならそれが自分の責任であるという事なのだとも思った。
今日も長い一日だった。あの後坑道から出たときも昨日と同じく夕方で、沈みかけた西日が丁度正面に見えた。とてもまぶしかったけどその温もりは長い間地下に潜っていた人たちを包んで暖めるのに丁度良かったと思う。その時誰の顔を見ても晴れやかだったから間違いないだろう。




