20
「山頂目指すぞー!」
響き渡った威勢の良い声は、若干の余韻を残したまま、誰の返事を得る事も無く散っていった。暫くして彼は口火を切った。
「元気が良いな。元気が良いのはいいんだが、山頂を目指すだけなら昨日の段階でやってただろう。目指す事を意気込むより、たどり着く事を考えた方が良いのではないか。」
「だったらどう言えば良かったのですか?」
「そうだな、例えば『山頂までたどり着くぞ』といった具合に、目的を率直に表した方が鼓舞できるのではないか。」
「そんなに違いは無いような気もしますが。」
「大きな違いは無いが、受け取る人間によってその意味が違ってくる場合があると言う事だ。山頂を目指す事は何時何処ででも出来る。しかしそこに着く事を主眼に置いた方がより具体的だと思わないか?」
「確かに・・・・。」
「そこに含まれる気持ちは同義だから言い方と捉え方の違いでしかないだろうから、わざわざこんな事言う必要すら無い事だが。少しそう思っただけだ。」
「単純に私の気持ちに水を差したという意味では効果はあったと思います。」
「ならよかった。」
朝早く、まだ日も昇らぬ内に立った一行は、これから始まる冒険の無事を祈りつつ登山口へと赴いていた。
彼女はかろうじて見える足元と、頭上の遥か上に存在するであろう頂上を目を凝らして見比べる。
「はぁ・・・。」
「どうした?」
「いえ、こうしてみるとやはり大きな山ですね。遠くから見ると天辺の形がはっきり見えたのに、ここまで来るとまるで壁のようです。足の裏を山頂のあの場所に踏み込む光景が想像しにくいです。」
「まだ登り始めて間もないのにもう弱音を吐くのか。引き返すなら今だぞ。」
「そんなつもりで言ったのではないです。単純に思った事を口にしただけです。」
「そうか、残念だ。」
「残念とはどういう意味ですか?」
「君の気が変わって登山を取り止めれば、これから起こるであろう苦労は回避できるからな。」
「ご期待に添えそうにはないですね。私の気は変わらないし、起こりうる現実も変わらないです。苦労も覚悟して臨んでください。」
「はぁ・・・。」
「どうしました?」
「いや、立派な事だと感心しただけだ。」
息が合ってるのか合っていないのか。そもそも息が有って無いようなものなのか。二人は暫く口を開く事はなかった。なにがなんでもやり遂げるという強い意思があったかといえば、そうではない。しかし本来なら、そういう気持ちを持たない者が挑戦したとしても、成し得る事の出来ない領域だろう。
少しづつ明るくなる世界は、山の南側から登り始めた二人に壮大な景色を見せてくれる。日の光に照らされた大地は静かな目覚めを迎え、鳥や虫の声がその覚醒を喜ぶように歌っている。二人も暫しその眺めと歌声に魅せられていた。空は快晴。風もそれほど強くは無い。絶好の登山日和だ。
「美しい景色を眺める為に来た訳ではないが、ここでなければ見ることは出来ない景色だろうことは疑いようが無いな。」
「そうですね。まだ登り始めて数時間ですが、この高さでこれほどの絶景なら、もっと上に行けばきっと世界中を見渡せます。」
「世界中を見渡す。か。それも一興だな。」
「ところで、このペースならどのくらいで山頂に着きそうですか?」
「地図を見る限り、このルートだと100キロほどの道のりだろう。高地順応が必要無いから、登頂まで3日といったところか。勿論このペースで歩けばの話だが。」
その後も途中で足を止める事はあったものの、概ね順調に進んだ登山隊。気が付けば一日目が終わろうとしていた。薄昏に染められ始めた風景は、刻まれてゆく一瞬を現に留めているようだった。
時と共に移り行く景色を眺める時間は、ここを登っていく者にとって貴重な癒やしの一時だろう。そしてそれは彼女等にとっても同じになりつつあった。
「朝やけに眺めたものとは、また違う色彩に染められていますね。ここから見ると、森は橙の絨毯のように見えます。もし触れられるのであればその感触は柔らかくてしなやかでしょうね。」
「実際に触ったらゴワゴワのガサガサだろうがな。」
「わかってますよそんな事は!そういう風に見えると言っているだけです。」
「冗談だ。その気持ちも分からない訳ではない。しかしこうして見ると遠くまで来たものだ。そんなに長い間旅をしている訳でも無い筈なのに。」
「あそこに見えるのはアラマントの街ですね。大きな街でしたが、ここから見るとちっぽけなものですね。」
「そうだな。ここから見ればあらゆるものが小さく感じるな。しかし、感慨深いものがある。ここは私の館からも見える程の大きな山で、そんな山からの眺望など、夢にも思っていなかった。」
「遥か遠くへと続く海も見えます。あの街で見た海より小さいですが、とても広く感じます。」
「『小さくて広い』か。それだけ聞くと意味不明だな。それにしても、君がそんな事を言うだなんて初めは考えられなかった。私の知らぬ間に一体何があったんだ?」
「何があったかなんて簡単に言えるものでもないですよ。色々あったとしか言いようがないです。」
「そうか。色々か。そうだな。」
夜の帳は音もなく下りてくる。気が付けば太陽は地平に落ち、空には小さな星たちが瞬いている。
「今日はここまでにしよう。夜の道を歩くのは避けたほうが良いし、君には休息が必要だろう。」
「はい、そうですね。・・・・ん?『君には』という事はあなたにはそれが必要無いと言うのですか?」
「ああ。言ってなかったか?睡眠は私にとってそれほど重要ではない。それだけの話だ。とは言え、力を蓄える場合には効果的な手段である事には違いない。」
「あなたが眠っている所を見た覚えが無いのは、“たまたま”なのだと思っていましたが、そうだったわけではなく本当に寝ていなかったのですね。」
「そうだな。“たまたま”眠っていなかっただけだ。」
「・・・偶然見ていなかった訳ではなく、偶然寝ていなかっただけなのですね。という事は今日も眠らないのですか?」
「いや、私も今日のところは、体力を十分に蓄えるという意味では眠る方が良いだろう。明日の事もあるしな。」
「やっぱり寝るんですか・・・・。」
「では、夜の道は避けた方がいいし、君に“も”休憩が必要だろう。これでどうだ?」
「別にそういう意味で言ったわけではないですが・・・。まぁいいです。話は変わりますが、今後遭遇すると予想される問題はありますか?」
「そうだな、先ずは天候の変化だろう。今でこそ気持ちの良い環境だが、山の天気は変わりやすい。殊更この山は周辺の状況も相まってその変化たるや想像も及ばない。数分後、雲に覆われてもおかしくない。」
「では、天気が変わったとして、起こる問題はなんですか?」
「雨が降れば足場が悪くなり滑りやすくなる。滑落に気をつけなければならない。明日からは今日までのような勾配の緩やかな所ばかりではないからな。」
「他に何か危険な箇所は在りますか?」
「そうだな。もう気がついていると思うが、気温が大分低くなってきた。もう少し登れば積雪を目にするだろう。更に登ると今度は氷河が現れる。そうなると滑落の危険性が極めて高くなる。そして氷河の隙間に飲み込まれてしまったら助かるのはほぼ不可能だろう。今日までのような散歩気分で臨むのは自殺行為だ。」
「ここまでの話を要約すると、過酷になるのは明日からで、今日は寝ますという事ですね。おやすみなさい。」
「やっぱり疲れていたのか。私はもう少ししてから休むとしよう。」
夜が明ける前に二人は目を覚まし、準備をする。特にテントや寝袋があるわけではないが、マリウスは起こしていた火を完全に消した。
「やっぱり火を起こしていたのですね。」
「あぁ、キャンプに火は付き物だと前にも話しただろう。なぜか君は不服そうだったがな。」
「参考までに何のために火を起こしたのか聞いてみてもいいですか?」
「あぁ、暖と明かり以外だと、食事の準備だとか、見てると落ち着くだとか色々と理由はあるだろう。」
「寒いのは致命的ではないし、明かりも結局寝るなら必要ないじゃないですか。食事も持ってきていないし、やっぱり無意味じゃないですか。」
「要るものは要るんだ。そこに理由は必要ない。」
「やっぱり私にはわからない事でした。」
「そうだな、君には判らないだろう。」
「さて、目も覚めたところで、出発しましょう。」
「いや待て、今日は天気が悪いようだ。もう少し明るくなってから出発しよう。」
「そうですか。あまり気にしていませんでしたが、霧に覆われているみたいですね。」
「ああ、霧は思いのほか危険だ。少し離れてしまうだけで、お互いの姿を確認できなくなる。その上、道を失えば遭難待ったなしだろう。霧が晴れるまでは出来るだけすぐ近くを歩くように心がけた方がいいだろう。」
「わかりました。」
「私はもう少し地図を確認する。それと、もし、はぐれてしまったら見つけ出すのは困難だろう。たとえ小さな事でも何かあったら必ず声をかける事。」
「はい。では早速。あそこに誰かが倒れています。」
「なんだと?」
「ちょっと見てきます。」
「待て!どこだ!」
「こっちこっち!」
「はぁ、言ったそばから・・・・仕方ない。声を頼りに行くしかない。」
そこには男が一人倒れていた。
「大丈夫ですか!?」
「どんな具合だ?」
「返事は無いです。」
「これは・・・・既に亡くなっているようだ。」
「そうですか・・・。」
「少し調べてみよう。この服は見覚えがあるな。例の巡礼者の一人のようだ。色が違うが、形状から言ってあの装束で間違いないだろう。」
「赤い装束を着た巡礼者が居たのですね。」
「そうではない・・・・赤いのは血だ。全身に傷がある。さほど深い傷ではないようだが、どこかに致命傷になったものがあるはずだ。」
「あの・・・取り込み中のところ悪いんですけど、魔物が近くに居ます。」
「なんだと?」
「もしかすると、既に取り囲まれているかもしれません。」
「では、これは奴らの仕業と見るのが妥当か。」
「そう考えるのが自然でしょう。しかし、霧が濃いせいで何も見えません。」
「さて、どうするか・・・・」
僅かな足音がする。依然として魔物の姿は捉えられない。しかし間違いなくその気配がする。耳を澄まして様子を窺う。少しづつ足音が近づいて来ている気がする。
霧の中からうなり声が聞こえる。それはどこか一つの方向から聞こえてくる訳ではなかった。悪い予感は的中していた。
「恐らく野犬のような姿の魔物です。」
「状況から言ってその可能性は高いな。犠牲者の傷跡とも合致する。」
「察知できる限り3頭・・・・いえ、それ以上の数で包囲されているようです。」
「危険な状況だ。このままでは奴らの独壇場だろう。」
「しかし、魔物の姿が見えない以上、こちらからは手を出しにくいです。それに彼らはこの霧の中でも私たちを感知できると予想できます。」
「さて、君ならこの場をどのようにして切り抜ける?」
「私なら・・・・実績から言えば、鉄パイプに電撃を乗せて向かってくる魔物を一匹ずつ叩くでしょう。勿論、あの時は霧も無かったし、魔物の数も少なかったのですが。」
「極めて筋肉寄りな対応だな。それで、その鉄パイプは何処にある?私は一度もそれを見た憶えは無いが。」
「森に捨ててきました。曲がって使い物にならなかったので。」
「では、何か代わりになるものは?」
「試したことは無いですが、恐らく出来るはずです。」
掌に意識を集中させ、魔法の力を固めて実体化する。出来た塊をを少しづつ研ぎ澄まし、細く長く薄く形を変えていく。
「ラピエルがやっていたものを見よう見まねで再現しているだけですが、これなら鉄パイプよりも切れ味鋭いと思います。」
「ほぉ、そんな事が出来るのか。面白い。」
「感心している場合ではないです!もう来ます!」
霧の中から魔物が飛び掛ってくる。予想通りそれは大型犬のような体格の魔物だった。一匹目を視認した瞬間に、数匹が他方位からもほぼ同時に現れたようだった背後から何かが破裂したような音がする。
二人は咄嗟に背中合わせになっていた。アクサナは目の前に来た一匹に、先ほど作り上げた新しい武器を振りかざした。
その一撃は見事に魔物に命中したものの、鈍い感覚を手に残し、魔物を弾き飛ばしたに過ぎなかった。
直ぐに周囲を確認すると、2匹の魔物が見える位置で倒れている。マリウスはあの一瞬でその2匹を仕留めていたらしい。彼の方へ振り返ると、その手には短めの猟銃が握られていて、銃口から煙が立ち上っている。
「もう一度来るぞ!」
3匹の魔物がまたしてもほぼ同時に別方向から襲い掛かる。先ほど一撃を入れた魔物は動きが鈍っていたせいか、少しだけタイミングがずれていた。その一瞬の隙を突いて、アクサナは飛び掛る魔物を、今度は地面に押さえつけるような角度で突き、そのまま止めを刺した。
マリウスは一瞬の内に狙いを定め魔物を一匹撃ち抜いた。別角度のもう一匹はというと、なぜか先ほど倒れていた筈の魔物が立ち上がっていて、その魔物を食いちぎっていた。魔物が魔物を喰っている。彼は共食いをしている魔物に、落ち着いて狙いを定め、最後の一撃を食らわせた。
「はぁ、はぁ。どうにか、なりました。」
「危なかった。下手をすれば我々の旅もここまでになる所だったな。」
「それ、絶対本心で言ってないでしょう。」
「いや、本当に危なかった。君が一匹を仕留めていなかったら我々は殺されていたね。」
「なんですかそれ、それだと私が殆ど何もしてないみたいじゃないですか。」
「フフフ。まぁそう怒るな。君も良くやったと言ってるんだ。」
「やっぱりなんだか見下されている気がしますが。」
「何とかなったんだからそれでいいじゃないか。それに君の新しい刃もなかなかのものだ。」
「いいえ、思い描いていたものはあんなものではないです。あんなナマクラでは鉄パイプのほうがマシです。」
「そう悲観するな。次はもっと鋭くすればいいという事だろう。」
「・・・・そういうことにしておきます。ふぅ、しかし、思ったよりも消耗が激しいです。効率化も考えなくてはならないでしょう。」
「課題が見えるのはいいことだ。」
「ところで、さっきのは何だったのですか?その・・・・共食い?ですか。」
「あれは魔法の罠によるものだ。大体の場所にあたりをつけて前後不覚と意識障害を起こす罠を仕掛けておいた。今回は運よく魔物がその罠に掛かった上に、その魔物が別の魔物に喰らい付いてくれた。」
「ということは、運が悪かったら被害を被っていたという事ですか?」
「そうだな。だから下手をすれば旅が終わっていたと言ったまでだ。」
「・・・・・いえ、私が文句を言えるような立場に無いのは判っているのですが、なんというか無責任ですね。」
「何を言うかと思えば・・・今生きているのは運が良かったからに決まっているだろう。そもそも、いつ終わるかも知れない旅なのだ。それに、常に博打に頼って生きている訳はないだろう。」
「そうですか。ともあれ、私がもう一匹を相手に出来れば良かったという話でもありますし、今無事で居られるのはあなたのおかげという事に違いないです。」
「判ればよろしい。そして精進したまえ。」
「はい。・・・あれ、風向きが変わった?霧が晴れてきましたね。」
「もしかすると、あの霧もあの魔物の仕業だったのかもしれないな。」
「どうなのでしょう。因果関係は判らないですが、念の為、情報として記録しておきます。」
「さて、霧は晴れたものの、天気もそこまで良くはないか。」
彼女は新しい力の使い方を模索し、彼は彼女のその姿勢を素直に喜んだ。
彼女は記憶の中で垣間見たラピエルの姿を思い出していた。やっていることは変わらないはずだった。状況も視界が悪い意外はほぼ同じ。違ったのは力の使い方と体の使い方なのか。ラピエルのような強大なエネルギーも、目にも留まらないような素早い動きも、仕様上自分には不可能な芸当なのかもしれない。しかしそう思って諦めてしまったら、そこに到達することはないとも判っていた。
彼が銃を持っていたことすら知らなかった彼女が、その事について触れる事はなかったが、彼の銃の腕前もまた、刮目に値するものだった。本人が語る事は無いが、これは彼の修練の賜物で、長すぎる寿命の使い道をそのような時間に当てる事が出来る人間ならではの能力とも言えた。
昨日とは打って変わっての曇天。これから山頂に向けて状況は悪くなる事が予想されたが、一行が歩みを止めることはなかった。




