18
「私は女王を、ラピエルを破壊することは出来ない。したくない。」
アクサナの訴えに少しの間考える素振りを見せた博士は気分を変える為に外に出ようと提案し、それに応じたアクサナと、二人で階段を上った。そこには新しい朝があり、更に小屋の中で何かよくわからないものに腰掛けているマリウスの姿もあった。
彼は約束通り、予定通りに次の朝を待ってここを訪れたのだった。
「私はラピエルを破壊する命令を拒否します。」
先ほどからの話の続きを切り出したアクサナ。マリウスも黙ってそれを聞いている。
「そうか、お前がそう言い出した時は、許してやろうと思っていたのだ。そもそも無謀な任務だったからな。」
博士は覚悟を決めたような口振りで話を続ける。
「ということは、他にやりたい事が出来たということなのだろう。お前に自由を認めない訳にはいかない。しかし・・・任務を放棄してまでやりたい事とは一体なんなんだ?」
「私はラピエルを破壊しない。そうせずに止める。その方法を探します。お姉さんとして。」
こんな答えが返ってくると思わなかった博士は言葉を失った。さっきも急に『ありがとう』だなんて言われて驚いたのだ。その直前までは研究所のパワーコアを持ち出した事を叱るつもりだったのに、そんな事を言われたら小言を言う気も失せてしまった。
今回もこんな事まで言うようになったのかという気持ちで胸がいっぱいになり、目頭が熱くなったような気がしたが、そもそも涙腺がなかったので涙などは流れない。
「お前の気持ちは分かった。こっちもその方が良いと思っていた所だ。観測によると、ラピエルは何者かに何らかの改造を受けた可能性が高い。具体的に何が行われたのかはまだわからんが、私はその調査を引き続き行う。君は、いや、君たちと言った方が良いのかな。」
博士はマリウスの方へ、チラリと目線を移す。蚊帳の外といった雰囲気でその場に居た彼は、しかし淀み無く当たり前のように答える。
「当然だろう。私からしても既に他人事ではないのだから。」
理由も無く付いてきた訳ではない。そんな意思を感じる物言いだったが、同時にその理由についても、断固として語らないという思いも含まれているような声色だった。
「ふむ、それがどういう意味であれ協力に感謝する。」
彼がどういったいきさつでアクサナと行動を共にする事になったのかという事に関しては、博士はアクサナから読み取った記録から何があったのかは知っていた。しかしアクサナの経験の中でさえ、その理由が語られているという場面は無かった。彼の存在は文字通り降って湧いたようなものだった。
「さて、今後についての話をしよう。」
博士は壁に張り付いていた古い地図の方へ向き直った。
「我々が居るのはここだ。」
地図の一地点を指差す。
「見ての通りアラマントの街がここで、別の集落が付近にある。しかし、我々はもうアラマントに戻る事はできない。従って君たちが次に目指すべきはこちらの集落だろう。そこで旅の準備を整えるんだ。」
「・・・という事は、博士は一緒には行かないのですか?」
「ああ。共に行くのは危険すぎるし、一人の方が動きやすい。私はラピエルについてもっと詳しく調べるつもりだ。その間に君たちがやるべきことは・・・・。」
博士は言葉を濁したが、それにすかさずマリウスが口を開いた。
「言葉を選ぶ必要は無い。破壊しないと言っても、それはやり方の問題だけであって、結果的に女王と対峙することは避けられないだろう。そうなった場合あの時のような状況では話にならないだろう。私も含めてな。」
「確かに、いつまでも逃げ回っている訳にはいかないのは事実だ。私はラピエルの能力を知っている。故に確信できる。君たちがそれに立ち向かった所で、一蹴されてしまうだろう。今のままではな。」
「強くならないとダメだという事ですね。振り返ってみても、私は何もする事が出来なかった。手も足も出なかった。でも、あの子が出来る事なら、私にも出来る事だと思います。私の体が旧式なのは分かっています。でも、何かしらの方法があるはず。」
「・・・それがお前の体をラピエルのものと同等なものに置き換えるという意味なら、現時点では無理だ。お前の体を新しいものに取り替えようにも、もうその設備は無くなってしまった。ラピエルによって当分前に破壊されてしまっている。もし、君の体がラピエルと同等なものになったとしたら、或いは何とかなるかもしれないという事は、考えてなかったわけではない。ただ、現実的にそれが不可能だった為に今の状況があると思ってくれ。」
「その設備はもう直らないのですか?」
「難しいだろう。新しいものを作ろうにも膨大な時間とコストが掛かってしまう。今の状況でそれを作り上げるのは至難の業だ。ラピエルが何時来るかもしれないのだ。」
「では、現実的に可能なものはありますか?」
「まだはっきりと断定は出来ないんだが、お前が強くなれないというのなら、ラピエルに弱くなってもらうしかないだろう。その方法も模索しているが、彼女がどういう改造を受けたのかを詳しく調べなければならない。その時間を稼ぐ為にも、新しいビーコンを設営しなければならないだろう。」
「びーこん?食べる物ですか?」
「いや・・・そういうのは求めていない。・・・詳しい話は省くが、これを各地に置く事でラピエルに対して囮として機能する。前回彼女がアラマントから去ったのは別の場所に置かれていたビーコンが発した信号を察知したからだ。しかし現時点で起動可能なビーコンの数が少なくなってきている。」
「我々はそのビーコンとやらを設置しに行くという事か。」
「その通りだ。」
博士は鞄から三脚のような形をしたものを3つ取り出してその場に置いた。
「これがそのビーコンだ。」
「思ったより小さいな。」
「この三脚を広げて・・・そして真ん中にある赤いボタンを押せば準備完了だ。必要に応じて倒れないように紐などで固定してくれ。」
「簡単だな。それなら誰でも出来る。」
「この3つをそれぞれなるべく離れた場所へ設置してくれ。出来る限り高いところがいいだろう。設営が完了したら自動的にこちらまで信号が送られる。進捗状況はそれで分かるが・・・」
博士はもう一つ、手のひらに収まるような小さな装置を取り出してアクサナがそれを受け取った。
「最後の一つ、3つ目のビーコンの設置が完了した時はその装置で連絡を入れる。もし、何か問題が起きた時もこれで連絡してくれ。なるべく使われない方がいいものだが念のために渡しておく。」
アクサナはビーコンと連絡用のデバイスを鞄に詰めた。
「君たちがビーコンを設置している間に私はラピエルの情報を集める。だが時間は限られているという事を頭に入れておいてくれ。」
「わかりました。それでは出発します。」
博士に別れを告げ、一路新しい旅路に着いたアクサナ一行。新たな任務を帯び、やるべき事が明確になったことでアクサナの足取りは少しだけ軽かった。
そして昏睡していた間に見た様々な光景を思い出しながら、その真実を自らの目で確かめなければならないと感じていた。ただし目に見えるものが全て真実とは限らない。これはあの巨大な街でアクサナが得た教訓だったが、これらの相反する事象の中の真実を見極めるのは難しい事だということも理解していた。
一方、マリウスは彼女が目覚めて以降、その雰囲気がまるで違うと感じていた。何があったのか詳しい事までは想像が及ばないが、その様子から何かしらの成長があったと確信できる。出会った頃から比べれば、顔つきがまるで変わったような気もする。
自分が不甲斐なかった事も含めて色々な事があったが、結果的にそういう風に転んだ事は喜ばしい事だと感じた。とは言えそれは後付の言い訳でしかない。今後は自分が出来る事なら迷い無くやらなければならないと心に誓った。
付近の集落へと、諸々の準備の為に向かう。しかし何の為の準備が必要なのか。それまで言わなかった事だったが、一つ目のビーコンを設置する場所を何処へ設定するかという問題に対しては彼女の中では既に答が出ていた。
「あの山はどれくらいの高さがあるのですか?」
「名前はモリーホーン山だ。標高6237メートルの大陸でも屈指の高さを誇る独立峰。時として霊峰と呼ばれる事もある程、神聖な場所としても名高い。現在は開放されているが、かつては信仰の対象だったこともあり、禁則地に指定されていた時期もあった。」
マリウスは少しだけ溜息をついて立ち止まり、アクサナを真っ直ぐに見た。
「・・・・・あれだけ存在感のある山だからな。その気持ちも分かるが、本当に行くのか?」
「問題があるのですか?」
「君は知らないと思うが、素人が登るには危険すぎる山だ。ここから見る分には美しい山だが、登るとなれば話は別だ。高所へと登るにつれて環境は厳しさを増す。山頂付近は気圧が低く、気温も低い。更には周囲に遮る他の山もなく絶えず強烈な風が吹き荒んでいる。山頂までたどり着くのは困難だ。」
「それは“人間なら”の話ですか?」
「・・・・・・あぁ、不可能ではないだろう。大変だろうがな。高いところにビーコンを設置すると聞いた時点で、嫌な予感はしていたんだ。」
「あんなに御誂え向きな場所は無いでしょ?」
聞く耳を持たない彼女のせいで彼の言葉は半分独り言のようになってしまった。
「はいはいそうだなその通りだな。」
彼の暇つぶしがてらに仕入れていた情報が、直ぐに役に立つものになるとは思っていなかった。更にはよもやそれが次の目的地としての情報になろうとは想像すらしていない。今朝までは決して自分があの山に足を踏み入れることは無いだろうと思っていた彼は気も足も重かった。
「これから向かう集落は、言わばあの山に登るものが日程の調整をする為に向かう場所だ。したがってシーズン中は多くの登山者で賑わう。しかし、今はそうではない。この時期に登ろうという者はかなりの熟練者で、この山を登るために長い時間をかけて準備をしてきている。君はそれをピクニック感覚で登ろうとしているのだぞ。」
「それも“人間なら”の話ですよね?」
「・・・・はぁ、好きにしろ。」
「村が見えてきましたよ。」
「なんでそんなに楽しそうなんだ。全く・・・・」
色々と吹っ切れた様子で明るい顔のアクサナと対照的に、肩を落とすマリウス。村に到着したのは太陽が南に昇り詰める少し前だった。そこは小さな村だが、メインストリートには商店が軒を連ねているのが目に付く。何れも山に関係のある店なのだろう。あの街ほどではないにしても活気があるような印象だ。
マリウスの仕入れた情報によると、裾野の広いこの山にはこのような拠点となる村が複数存在しているらしい。その中でもここから登るルートはそれほど急な斜面も無く、登りやすい方らしいのだが、それは夏の間の話だ。
冬の間にはその美しい景観を見物する為や、様々な催し物が企画されたりと、訪れるものは多い。また、数こそ少ないものの、危険を糧に生きているような冒険野郎は、その心を満たす為にあの山に挑戦しているらしい。
春先の今の時期で言うなら、ある種の巡礼の一環でこのルートを登るものが存在するらしく、今はこの村にはそのような人々が集まって準備をしている。しかし比較的難度の低いこのルートであっても、毎年死者や行方不明者が後を絶たない。山岳信仰は危険と常に隣り合わせであり、故に敬虔な信者がこぞって集まるものだ。
つまり年間通してある程度の出入りがある、栄えた村として機能しているようだ。
「準備を始めようか。登山用品売り場は嫌と言うほどある。先ずは必要な物を揃えなければならない。」
「何が必要なのですか?」
「そうだな、まずは身に着けるもの。登山靴や防寒着。特に風雨に強いものが必要だ。次に計画を立てる必要がある。あの山を登るのに掛かる日数は、天気がよければ10日から二週間ほどらしい。それに見合った量の水や食料。また、休息する為のテントや寝袋。食事や暖をとるのに火を起こすためのライターや燃料。道に迷わないように、時間や場所を確認する為の時計、地図、コンパス。それと明かりを確保する為にライトがあったほうがいいだろう。そしてそれらを持ち運ぶ為の鞄が必要だな。」
「枚挙に暇が無いですね。」
「・・・・判ったのか?出来れば今日中に全ての準備を終えて明日の朝には出発したいところか。」
「なんだか楽しくなってきました。」
「そう言っていられるのも今のうちだと思うが・・・。まぁいい。取り敢えず服装からだ。あちらへ行ってみよう。」
衣料品の並ぶ店先へと歩を進めた。店内には沢山の服や靴が並べられていて、そのどれもが登山に特化した内容になっている。
「いらっしゃい。」
店に入るなり店主が立ち上がり、声をかけてきた。
「この時期に一般のお客さんとは珍しい。それに・・・・」
二人を値踏みするような目で、つま先から頭のてっぺんまで舐めるように見つめる。
「まさかこれからあの山に登ろうって言うのかい?」
「そのまさかです。」
「へぇ~、こう言っちゃあれだが、やめた方がいい。そんなピクニック感覚で登れるような時期じゃない。」
「ピクニックの為に登るわけではないです。」
「じゃあ何の為に行こうって言うんだい?」
「それは・・・・登る為です。」
マリウスは彼女がいつの間にか山に登るという行為が、ビーコンを設置するという目的に対しての手段だという事を失念しているかもしれないという懸念を持った。それは登山欲と呼ぶべきなのか、その欲望に対して従順に話を進めようとする彼女に、この店主が釘を刺し、また、その意思を遮ってくれれば、わざわざあの山に登らなくて済むのに。と心の半分はそう思いながら話を聞いていた。
それにビーコンを設置するだけならば別にあんなところでなくてもいいはずだ。例えば大きな木の上や、廃村に立つ見張り台の上などだ。どうしてわざわざ標高6000メートルの所にそんなものを立てなくてはならないのか。
彼らのやり取りを傍観したのは失敗だったかもしれない。ここは店主に加勢して山に登らずとも目的は果たせると説得すべきだった。結果的に店主の言葉だけでは彼女の意思は曲がらなかったからだ。
「とにかく行くのです。それ以上何か言うのなら別の店に行くまでです。」
そう言って出て行こうとする彼女を、店主が引きずられながらも止めて謝っている。マリウスはその様子を見ながら頭を抱えただけだった。
実に彼の心のもう半分の部分では『不可能ではない事を止めさせるのは逆に成長を止める事に繋がるのではないか』という意識が存在していた。成り行きに任せたのもそんな考えがあったからだった。
それは成長なくしてラピエルに勝る事はないと確信していたからである。
いづれにしても骨が折れる事だ。彼は更に頭を抱える羽目になりそうだ。




